2024/05/11 静岡日記

・祖母、逝去
 急ではあるが老衰で父方の祖母が亡くなった。3月に病院で面会したのが最後だった。病室に行って私をひと目見るなり声をあげてたいそう喜んでくれた。おとろえた祖母を見て、そのときからもう長くないことを覚悟した。ひとつの後悔は、そのときに二人で写真を撮らなかったことだ。写真を撮っておこうかな、と思ったけど、それをしてしまったらなんだか次はもう会えないみたいじゃんか、と思ってしまいできなかった。それが現実になってしまったので、私は強く後悔することになった。
 最期のお顔はとても穏やかで、今にも起きそうなくらい、ただ寝ているだけに見えて、すこしほっとした。苦しんだ形跡はなく、本人は眠るように亡くなったのだろうとうかがえた。
 通夜のあとは母方の祖父母の家に泊まった。悲しみに浸る間もなく、彼らからは太り過ぎだ、タバコを吸うなと言われ少しうんざりしたが、この二人ももう歳だし、いつ何があってもおかしくないと思うと、うんざりするより孝行したほうがいいなと思った。でも私は夜中にこっそりトイレでiQOSを吸ってしまった。
 持病はあったものの大往生ということで、通夜・葬儀は穏やかな悲しみに包まれていた。東京から静岡に通って祖母の面倒を見ていた実の娘である叔母が、気丈にふるまいつつも時おり涙を見せていたことに胸が痛んだ。
 私は、本葬儀よりも火葬場で最後の別れをするときが葬式は一番つらいと思う。斎場の人が、御身体のある状態で過ごせる最後のひとときですので後悔のないようにと言ったとき、そうそれが一番つらいのだよと思った。あの、棺がゆっくりと焼き場に吸い込まれていくカイロス的時間。とても長く感じる。扉が閉まるとどうしても涙が出る。待合室で叔母と泣いた。叔母は、親があるうちにしっかりと孝行してね、と言った。
 反対に、骨を拾うというのは、なぜかいつも大丈夫だ。収骨までは、骨になってしまった故人を見るのが怖いと思う。けれど、実際に骨を目にすると、なんだか穏やかになる。ひとつの受容なのだと思う。義父のときも、斎場で私はがくがく震えていたが、骨を拾うときには、お疲れ様、と故人に声をかけてあげたくなるような気持ちになった。今回もそうなった。

・祖母について
 周囲が語る祖母と、私が見てきた祖母との間には少々ギャップがある。より近しい子供たちや祖母から見て甥・姪にあたる人々は、彼女のことをおしゃべり好きだと言うが、私は祖母とたくさんは喋らなかった。
 小学生の頃、祖父母と自分の家族とで旅行に行った。どこかは忘れたが、海辺だった。海岸の岩の上で、ひとり離れてぼうっと海を眺めていた祖母のことを思い出す。なにかに思いを馳せているようなその姿に、私は話しかけることができなかった。
 祖母はレザークラフトを趣味にしていた。作ったポーチや財布をくれた。祖父母の家を訪れると、祖母は毎回革のハギレをくれた。それを使って遊んだ。革細工の装飾に使う、模様を刻むスタンプのような道具があった。ハートや花や葉っぱなどの刻印を私はでたらめに押した。それが楽しかった。
 就職してから会いに行ったとき、私は東京のワークショップで作った革の名刺入れを祖母に見せた。すると、あのスタンプをひとそろい出してくれて、なにかマークを入れたらどうかと言った。私は昔に戻ったようで嬉しくなり、いくつもある模様を時間をかけて選び、葉っぱの刻印を入れた。祖母はもう使わないからそれはなっちゃんにあげるね、と言って、スタンプと革用の裁縫道具をくれた。それが祖母からもらった最後の物になった。新宿二丁目で飲んでいたときにパスケースを落としてしまったことを悔やんでいる。

・髪を切った
 祖母の葬儀から一夜明けて、なんだか気持ちを切り替えたくなり、髪を切りに行った。小学生の頃からお世話になっていた美容室に久しぶりに行くことにした。大学生のときも一度行ったような気がするので、7年ぶりくらいだ。Kさんというおじさんと、その奥様とで切り盛りしている。Kさんはセンスと技術のある人だと子供の頃から思っていた。口調はきっぱりとしているが、心優しい。
 私は肩につかないくらいのボブで太ってしまった輪郭を隠している。重めの髪型でカバーしようったって、伸びてくるとぶしょったくますます太って見える。なので、少しだけ長さを短くして、Aラインのフォルムをストレートに近づけたい、顔周りの毛はほぼ切らずに、後ろは短くして前下がりにしてほしいと面倒な注文をした。しかし、センスと技術のあるKさんはその要望を何なく理解する。私の髪を遠慮なくすいて、もったりしていたフォルムをどんどん削り、重めのボブなのに段を入れたようにきれいな頭の形にしてくれた。細いわりに毛量のある私のすいた毛を見て、Kさんは犬の毛を切ったみたいだな!と笑った。床に目をやると、自分の頭にこんなに毛が生えていたのかと驚くくらい毛の塊が落ちていた。
 もう29になったと告げるとKさんも奥さんもおどろいた。まだ大学生くらいの感覚だったよ!そりゃ俺も老けるよな、と言い出した。たしかに、9歳ごろから髪を切ってもらっていたと考えると20年経っているわけだ。しかしその年月を感じさせないほどKさん夫婦は若々しくちゃきちゃきと動いて昔の印象のままだった。二人ともほんとうに老けない人だなあと思った。
 もちろんセンスと技術も衰えていない。東京の美容院だったらちょっぴり切って8000円、とか珍しくないので、久しぶりに技術の確かな人に思いっきり切ってもらえて爽快だった。もちろん仕上がりも太ってからいちばん可愛くしてもらえた。要望以上のことをしてくれた。ここまでやってもらって4500円。もう、これからは毎回帰省のときにKさんのところで髪を切ろうと思った。

・静岡の夜
 義父の友達の店に行った。そもそも私は祖母のことがあるなしにかかわらず静岡に戻る予定があった。義父の一周忌なのだ。店に行くと、やはり義父つながりの人と再会してその話になった。また別の義父の友達の店へはしごすることになった。その日私は1杯目のビール以外ひたすらウーロン茶を飲んでいた。なんだか酒への自信がない日だった。それでも話に花が咲き、とても楽しかった。

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