森一弘『教皇フランシスコ』(サンパウロ、2019年)を読んで。

本書は森一弘氏が一人の司牧者として教皇フランシスコのメッセージをどのように受け留めたのかの記録である。本書で強調されるのは教皇フランシスコの文章の中で通奏低音のように流れる「憐れみ」の心である。本書は来日までに発表されていた勅書と回勅とを紹介することに留まらない。著者自身が教皇の言葉を自らの問題意識と照らして受け留めてそれを読者に訴える仕方で、読者もまた教皇のメッセージを受け留めることを促している。
 カトリック教会ではヨベルの年に沿うように25年に一度、聖年を設けて大免赦を伴う大きな行事が行われる。教皇フランシスコは着任後すぐ「憐れみの特別聖年」という異例の特別聖年を設けた。教皇フランシスコの文章に既に親しみのある読者にとってさえ馴染みがあるとは言えないであろう「憐れみの特別聖年」の勅書に焦点を当てることから著者は書き起こす。回勅『福音の喜び』『愛のよろこび』『ラウダート・シ』を一貫して流れる「憐れみ」の内に、「これらの小さな者が一人でも滅びることは、父の御心ではない」というイエスの言葉に突き動かされるフランシスコ自身の姿を描き出す。その「憐れみ」の言葉に突き動かされる教皇の姿を、回勅だけでなく司教団とのやり取りの内に、以前から教皇の胸の内にあったものとして提示する。
 一人の司牧者としての著者の視点は、読者が躓き得るであろう言葉の障碍を取り除き、読者に教皇のメッセージを送り届けることに注がれている。教皇が聖書の言葉を念頭に説かれた言葉の深みを明らかにし、一司牧者としての葛藤を率直に表現する中に、イエスの力強い呼びかけに一人ひとりがどのように答えるべきかを問いかける。現代の社会全体が抱える教会の外の問題への教皇の問題意識だけでなく、今の教会が抱えている問題への明確な自覚の上に教会のあるべき姿を切々と問いかける。それはただ著者自身の言葉であるだけでなく、読者の一人ひとりが教皇の回勅に向き合う時に見出すものと重なり合うものであろう。
 来日に先立って刊行された本書は、来日を経て数年たった今も、その新鮮さと今日性とを携えている。そして今なお歩み続ける旅する教会の導き手が、何を見つめて、何を問いかけているかを確かめさせてくれる本なのである。

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