村岡崇光『聖書を原語で読んでみてはじめてわかること』(いのちのことば社、2019年)を読んで。

 聖書はヘブライ語とギリシア語で書かれているのだと多くの人は理解すると思う。聖書の世界に足を踏み入れるとどうもそれだけでないことがだんだんわかってくるであろう。聖書が多数の言語で重層的に書かれており、その翻訳の歴史と相応して真正な原文を確定しつつ意味を読み取っていくという途方もない作業に取り掛からなければならないことが見えてくると思う。そこまで分かったとしても聖書を原語で読むことの意味は何だろうかと思う人がいることと思う。訓詁学的な字義の詮索に終始するのではないか、と。本書『聖書を原語で読んでみてはじめてわかること』はそのような読者のための本である。
 著者の村岡崇光氏の名前を目にする機会は一般には限られていると思う。旧約外典やタルムード入門の翻訳者として、あるいは一般書ではジェームズ・ストーカーの著書やアッペルフェルドの翻訳で見かけたことがある方もいるかもしれない。しかし著者の村岡崇光氏は聖書ヘブライ語の学習者が必ず参照する文法書の英訳改訂者としてJoüon-Muraokaの名で知られ、近年七十人訳聖書の辞書を単独で編纂された世界的な聖書学者である。日本の読者には主に翻訳でしか著者の仕事に触れられない状況だったのだが、本書は著者が自らの専門を中心に一般の人に向けて書かれた初めての著書と言える。
 本書には書名の通り聖書を原語で読むことを通して見えてくる聖書の世界の豊かさが描かれている。聖書に書かれている出来事の背景を理解する必要は常にあるものの、本書はむしろ聖書の原語のニュアンスを豊かに伝え、原文を細部にわたって読むことを通して見えてくる世界をありありと伝えてくれるのである。最初から最後まで生き生きと描かれる聖書の物語を通して読者は幾度となく、それこそ目から鱗のようなものが落ちる経験をするであろう。聖書を本格的に読もうとするときに、マソラ写本や七十人訳聖書、あるいはアラム語の原文を遡ったりと行ったり来たりしなければならないことを本書によって読者は知ることになるであろう。聖書の奥深い世界を平易な言葉で伝えてくれるのが本書の特徴なのである。
 聖書の世界を様々な角度から照射する本書の叙述を詳しく述べることはできないが、本書にはヨハネ福音書の最後の復活されたイエスが三度ペトロに愛しているかと尋ねる様子が描かれている(158頁)。一度目と二度目の愛しているかはアガペイス・メ(私を愛しているか)とイエスが尋ね、ペトロがフィロー・セ(あなたを慕っています)と答えている。三度目はイエスがフィレイス・メ(私を慕うか)と尋ねてペトロがフィロー・セ(あなたを慕っています)と答えるのである。テクストが後代の挿話だとしてもこの物語が語りかけようとしていることを一人ひとりが受け留め、考えることを促している箇所なのである。以上のような省察を通して読者は今まで親しんだ聖書の世界がより奥行きのあるものになるに違いない。そして著者とともに聖書の世界へと分け入ることを促されるであろう。


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