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死について思うこと

大切な人を亡くしてしまった。物心ついてから身近な人の死は初めてで、さらに長い付き合いの人だったためかなり動揺した。

知ってから二日ほどは泣いているかテレビを見ているかで時は過ぎていった。
学校のプールでひとりだけ泳げなかったとき、失恋や馬術競技会での失敗のときとは比べ物にならないほど泣いた。テレビの中の陽気なやり取りに集中していないときは、ぶわっと涙があふれ大きなうめき声が漏れた。泣かないためにテレビを見ていた。

そのうち友人や家族が寄り添ってくれたおかげで楽しく過ごせる時間も増えてきた。
気を抜くと泣いていた時期は過ぎ、意識して彼のことを考えると泣くようになった。あとは失恋と同じ感覚で回復してゆくだろうと自信を持てた。最後に話したとき仲良く未来の約束をしてくれたことが幸いしているかもしれない。結果的に生き延びることができなかったのだから、その約束は果たせなかったのだけれど。

ご家族のご厚意でお墓参りをさせてもらえた。彼を知る仲間とうかがい、思い出話をした。
穏やかで楽しい雰囲気の中に彼もいれば良いのにと思った。

帰り道、ひとりになって電車に乗っていると、車内の電気が消え、窓は結露して白く曇った瞬間があった。お墓の前では感じられなかった彼の存在が、そのときは隣にいるような気がした。学生時代はいつも隣にいたのだから、いてもおかしくないよね。
心の中に棲んでいてあたたかい。私なりに決着したと感じた。

落ち着いてから過去の写真を洗って現像の手配をした。
思っていたより多くの場所に行ったこと、安心して過ごせる居場所だったこと、遠距離恋愛はつらかったことを思い出した。

残された人が、逝ってしまった人のためにできることはあまりない。
過去を後悔したところで、そのときその人にとって最善を選んでいるのだから、他の選択肢は存在しない。
大切に生きることが一番の供養になると信じて生きてゆく。

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