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些細な言葉の棘


なぜか最近懐かしい人が出てくる夢をよく見る。

昨日、突然にふと思い出したこと。
高校生のとき、私は運動部に所属してた。
部活の始まりと終わりは皆で一緒に着替えをして、その日もいつも通りに、部活終わりに着替えていたときだったと思う。

きっかけは本当に覚えてないけど、
1人の部員が「聞いて欲しいことがある。」って言ったか覚えてないけど(笑) ちょっと大事な話をしそうな空気に包まれてその子は話し始めた。

「コミュ障」って言葉あるじゃん。よく使うと思うんだけど。
あんまり口にして欲しくないんだ。その子が言った。

ほぅ。なんとなく私もその言葉があまり好きじゃないけれど、なんでだろ?

続く話を聞く。
「コミュ障」という言葉は略語であり本来は「コミュニュケーション障害」となる。
どうやら、その子の知っている人に本当にコミュニュケーションが上手くとれない人がいるらしいのだ。だから、簡単にからかいでその言葉を使って使ってほしくない、実際にそういう人がいることを知って欲しいという話だった。

私は一瞬 ぽかん としてしまった。

知らなかったとは言えど、「コミュ障」という言葉は友達との会話で使ったことは何度もあった。それがどれだけ失礼だったことか、今までもどこかで知らないうちに誰かを傷つけていたのだろうか?そんな考えが一瞬のうちに頭をよぎった。

私は、自分の無知をとても恥じた。
ごめんね。と思ったし、多分言ったと思う。
それからは、誰かがその言葉を使っても注意などしなかったが自分では発さないようにした。
「話すの得意じゃない人も居るよね。」と言い換えてみたりするようにした。

その子はきっととても勇気を出して伝えたと思う。
今でもその表情を鮮明に覚えている。


大人になるにつれ、『無知は恥』という言葉が痛い。

私はあのときに、自分の恥に気づけて本当に良かったと今でも思う。
様々な人間の趣向や生き方について、最近になってやっと世の中が知る機会が増えてきた中、私はまだまだ無知なんだと思うが、知ろうとする姿勢は持ち合わせた人間でありたいと、

そう、思った。


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