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雪景色がお似合いの徳寿宮

 年末年始は仕事に追われていましたが、ようやく落ち着きました。昨日は15時間以上も寝たので「気分すっきり!」と言いたいところですが、眠気というのは寝れば寝るほど襲って来るようです。まだ眠い。まさに、睡魔ですね。

 さて、「ゆっくりしながら色々楽しむぞ~!」の意気込みでやって来たのは、徳寿宮(덕수궁)です。 

 朝鮮王朝の王宮であり、大韓帝国の皇居でもあった徳寿宮は、地下鉄市庁駅の2番出口(1号線)・12番出口(2号線)から出てすぐの場所にあります。

 景福宮や昌徳宮ほど広大で壮麗な宮殿ではありませんが、近代韓国の重要な歴史の舞台になったり大火災に見舞われたりと、数々の受難を乗り越えてきた史跡です。

 また、建築物としても、韓国の伝統的な建物と西洋建築が組み合わさった美しい王宮です。周りを高層ビルに囲まれているものの静寂に包まれたその空間は、ゆったりとした時間が流れる憩いの場となっています。


徳寿宮(덕수궁)

 徳寿宮は本来王宮ではなく、朝鮮王朝第9代国王・成宗(성종)の実兄の月山大君(월산대군)の邸宅でした。

 1592年、文禄の役(韓国では「壬辰倭乱」と呼ぶ)が勃発。王宮の景福宮が全焼します。翌1593年に、それまで義州に避難していた第14代国王・宣祖(선조)が漢陽(한양、現ソウル)に戻って来た後、この邸宅を臨時王宮に定めます。この際、王宮は「貞陵洞行宮」と名付けられました。

 1615年になると第15代国王・光海君(광해군)は昌徳宮(창덕궁)に移住します。そして、「貞陵洞行宮」の名称を「慶運宮」と改称し、それ以降は250年以上もの間、離宮として使用されます。

 その後、再び王宮として使用されたのは、第26代国王であり大韓帝国初代皇帝だった高宗(고종)の時代です。高宗は1896年2月から約1年間ロシア公館に身を寄せた後に慶運宮に移住し、ここは第二次日韓協約の締結(※)など、重要な歴史の舞台となりました。

※「重明殿(중명전)」と呼ばれる西洋風の2階建ての建物で締結されました。残念ながら、今回写真はありません。くぅ~。

 1904年には、大火災により中和殿や昔見殿などの建物が消失します。

 1907年に、高宗は強制的に退位させられ、長男の純宗(순종)に譲位することになります。王宮の機能は昌徳宮へ移されますが、高宗は引き続き慶運宮に住み続けます。そして、純宗により、高宗の長寿を祈願して「徳寿宮」と改称されました。

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◆大漢門(대한문)

◆風景

◆光明門(광명문)

◆中和門(중화문)

◆中和殿(중화전)

◆昔御堂(석어당)

◆即阼殿(즉조당)

◆浚明堂(준명당)

◆惟賢門(유현문)

◆静観軒(정관헌)

◆石造殿

◆国立現代美術館(徳寿宮)

◆美術館から見た風景

◆池越しの売店&カフェ

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 徳寿宮はゆっくりと散歩するのに最適な観光地です。

 また、正門の大漢門では、王宮守門将交代儀式が無料で見学できるため、訪れる際には時間を確認して行かれることをおすすめします。

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