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もうすぐ母になる娘へ

12月29日は娘の誕生日だった

暮れの押し迫った日に娘は生まれた

娘は、もうすぐお母さんになる

ということは、私が2人の母となった日でもある

あの日は、冬だというのに暖かい日だった
予定日ぴったりに陣痛が始まって産院についたことでホッとしたのか?陣痛が治まってしまった。
看護師さんから「旦那さんもいるんだし、銀ぶらでもしてきなさいよ。子供が生まれたらデートもできないわよ」
と言われ、産院を出て銀座に向かった
交差点のど真ん中で陣痛がきて動けなくななっても気づかず先に渡り切ってしまう夫
歩いているうちにどんどん陣痛の間隔が狭くなってヒヤヒヤしたのを覚えている

2人目が欲しいと思った時、私は天にオーダーを出した
「顔は夫似、性格は私で、私よりしっかりしている女の子をお願いします」


娘は、天にオーダーした通り女の子
お腹にいる時からその片鱗が見えていた
長男が甘えて私の膝に抱っこされた時、お腹の中から力強く蹴って長男が私の膝から滑り落ちたほど
意志が強く、どんなことがあってもやり遂げる子でだった

以前のブログにも書いた通り、英検を5回受験して合格するまで諦めない姿を何度もみてきました


幼稚園の時には、お遊戯会のリーダーになって張り切りすぎてお友達が怖がって泣いてしまったり・・・
お風呂で5歳児にリーダーについて語りすぎて娘が茹ってしまったこともありました😅

中学校の先生から「どうしたら、誰にでも分け隔てなく明るく接することができるこに育つのか?教えてほしい」と言われたことがありました
それは、教えたわけでもなく、彼女自身がそう在り続けた結果だとおもいます
本人曰く「私にだって好き嫌いはあるし全ての人に優しいわけではない」と言っていたけど、それを自己認識している時点で人に思いやりを向けるベースができているように思えて誇らしく思う母なのでした

高校は、好きな英語を生かして都立の外国語コースに入学し単位も拘らず、野球部に魅せられてマネージャーを志願
兄の心配をよそに部活に明け暮れる毎日だった。しかも学校が片道2時間弱と遠く朝6時に出て夜9時すぎに帰る日々だった

電車で寝落ちして遥か遠くの駅まで乗り過ごしたり、ハラハラすることもあったけど、マネージャーという役割を通して人として大きく成長していく娘の姿を追いながら私自身は壮絶な鬱と戦っていた

そんな私が自分自身を傷つけていることを知った娘は

私の傷だらけの腕を撫でながら
「もっと自分を大事にして、辛くても私がいるでしょ、お母さんが誰も甘えられないこと知ってるよ。だったら私に甘えたらいいじゃない」
そう言って、大粒の涙を流してくれたことを今でも鮮明に覚えている

いつの間にか、母よりも大人になっていた娘に助けられながらその当時を生き延びていたように思う

いつも私のそばから離れずピッタリとくっついていたちっちゃい娘が素敵な人と出会い結婚してもうすぐ母となる

母に少し厳しいところが時々チクンと痛むけれど、それも愛情なのだとそろそろ両手を広げて受け止めないといけないと感じている

娘が娘らしく、そのままでいてくれたら私はそれ以上の喜びはない

しっかりと自分自身の幸せと喜びを自らの力で手にしていく頼もしさを私はもう少し学んだ方が良さそうだ

私の元に生まれてきてくれたありがとう
私を支えてくれてありがとう

これからは、旦那さんと生まれてくる子供にそのエネルギーを注いでいいてほしいと願っている
このブログを書きながら涙で文字が見えない母より

ルチア

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