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ラーメン2杯、文化財3件~2020.11.3三岸アトリエ・哲学堂公園散歩

令和2年11月3日

文化の日前後に毎年行われている「東京文化財ウィーク」というイベントの中で、哲学堂公園の建物が内部公開されていることを知った。
小さいころから何度も訪れたことはあるが、建物内部に入った記憶はない。
調べてみると、他にも中野区内で特別公開されている建物がありそうなので、巡ってみることにした。

池袋・新宿・渋谷から西方面に鉄道は伸びるが、東京の西側は縦移動に弱い。なので、地図上では南北の位置関係であっても、一度東側に迂回する形でターミナル駅に出る必要がある(一応、南北はバス交通でつながってます)。
和光市から中野方面に行くにも、副都心線で新宿三丁目に出て、そこから西武新宿駅まで歩いて西武新宿線に乗り継ぐ。まあ実際は山手線で高田馬場乗り換えも出来るのだが、定期券の都合でさらに面倒になった。

西武新宿駅から準急で2駅、鷺ノ宮駅で降りる。線路と直行するバス通り沿いに商店が立ち並ぶ中野や杉並に多いローカル感ある町だ。
バス通りを北に進み、新青梅街道を西に進んだ住宅街の一画に目的地の一つ、三岸アトリエはある。
三岸アトリエは、画家の三岸好太郎・節子夫妻のアトリエとして昭和9年(1934年)に建てられた。ドイツのモダニズム建築に重要な影響を及ぼした建築学校バウハウスへの留学経験がある山脇巌が設計した建物で、都内でも希少な戦前の木造モダニズム建築として国の登録有形文化財になっている。

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出来た当初の写真を見ると白い正方形の建物だったようだが、増改築を経て、外観は少なからず変化しているようだ。

玄関を入って最初にある増築された部屋と奥にある中庭は、中世ヨーロッパを思わせる雰囲気で、モダニズム建築とのギャップが面白い。
建物に踏み入れると、いきなり床がきしみ、保存状態があまり良くないことが伺える。

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アトリエスペースは2階まで吹き抜けており、南面は全体がガラス窓になっているので開放感がある。この部屋は撮影スタジオとしても活用されているようで、さすがに床は貼りなおされていた。ただ、ボランティアスタッフの話では安い床材で補修したとの話だった。

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特徴的な鉄製螺旋階段はスタイリッシュでアトリエ空間にアクセントとなっている。また、北側の壁の2階部分にはトマソンのごとく明け放されたドアがあったが、完成当初の写真を見るとドアに繋がる梯子が、壁に取り付けられていたようだ。

螺旋階段を上がると、畳敷きになっている。ただ壁や天井の仕上げも相まって、和室と洋室の中間といった空間だ。
ただ、この部屋も損傷が激しく、天井の板も落ちてしまっている箇所も見受けられた。

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空き家だった期間も長かったようで、むしろ現在まで残っているのが奇跡のような建物である。元々周辺は田園が広がっていたようだが、戦後の乱開発により、目の前は狭隘道路となり接道条件が悪い。そのため、不動産屋に買い叩かれることもなく残ったのだろうか。
モダニズム建築は、近代建築や古民家と違って外観のインパクトが弱いため、なかなか保存の機運が起こりにくいかもしれないが、ぜひ残って欲しい建物である。

続いての目的地である哲学堂公園に向けて、新青梅街道を東に進む。
なんでもない街道であるが、西武新宿線と直交する商店街との交差点付近に差し掛かると商店が立ち並び、駅が近いことを感じさせる。
野方駅まで続く商店街に入り、ラーメン屋に立ち寄る。ミシュランガイドでビブグルマンを獲得したこともある「味噌麺処花道」。お店の前には2,3組並んでいた。
下調べ不足であったが、火曜日は「味噌麺処楓」という別ブランドで営業しているようだ。その差は、楓は札幌ラーメンということで、札幌の西山製麺の麺を使っているようだ。他のお客様も知らずに来ている人が多いようで、戸惑いの声が聞こえた。あまり浸透していないのだろうか?
濃厚スープの味噌スープが上に載せられたシャキシャキ野菜炒めとマッチして美味しかった。ただ、三河屋製麺の極太麺気分で来てしまったので、どうしてもそこだけが心残りだった(個人的な問題で、最初から札幌ラーメン気分で来ていたら、心から楽しめたと思う)。

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食後、再び新青梅街道に戻り、足を進める。
このあたりに来たら寄りたいラーメン屋がもう1軒ある。京都に本店を構える濃厚豚骨ラーメンの無鉄砲だ。
先ほどの店から思ったより近く、また列がなかったので、さすがにこのまま食べたら、胃袋相談しながらになり楽しめないと思った。なので、少し通り過ぎた先にある中野区立歴史民俗資料館に立ち寄る。
茅葺農家風な建物で、今年の4月にリニューアルオープンしたそうだ。とはいえ、コロナの影響ですぐ臨時休館になり、6月に再オープンしたようだ。
資料館の裏手には山﨑家庭園と茶室がある。残念ながら限定公開されている場所なので、今回は入れなかったが、立派な日本家屋が建っていた。
中に入り2階の常設展示を見学する。あまり広くないし、これといった展示も無い。唯一良かったのは野方配水塔の模型だろうか。
1階ロビースペースは、庭園を眺めることができる大きな窓に面して椅子が配置されており、これがなかなか良い。

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しばしロビースペースで休憩してから、無鉄砲に戻る。
ちょうど、二人ほど食券機前に人がいたが、店内は空席があったので、すぐに通される。
豚骨と水だけで作る濃厚スープは、博多の豚骨ラーメンとは違う独特な味だ。麺は中太麺だが、替え玉で細麺も選べるが、そうすることで、より博多との違いが味わえる。豚骨ラーメンと括るのではなく、無鉄砲という食べ物である。

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ついつい替え玉をしてしまって、苦しいお腹をさすりながら散歩を再開する。
新青梅街道沿いに建ち並ぶいくつかの渋いビルやマンションでテンションを保つ。
都会の川はコンクリートに固められたドブ川だ。なんて言われそうなオレンジ色の川を過ぎると哲学堂公園が見えてくる。

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その前に、2箇所ほど寄り道。
まずは哲学堂公園を整備した人であり、東洋大学創設者の井上円了先生のお墓参り。
不思議な形をした墓石は、井と円を模しているらしい。

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近くにそびえるのは、野方配水塔。
1929年に造られ、1966年に使用停止された配水塔である。役目を終えてから半世紀も経過するのに残されるとは、よっぽど地域のシンボルになってるのだろう。2010年には国の登録有形文化財に指定されている。
隣の公園から全景を見ることはできるが、近すぎる。また、デザイン性のある側面部は反対側なので、残念な公園である。
洒落たドームと窓が見える側は幼稚園があるため、全景を見ることはできないが、こちら側からの方がオススメだ。
ただ、全景を眺めるということでは、中野区立歴史民俗資料館で見るのが良いだろう。

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哲学堂公園は、現在では野球場なども整備された区立公園だが、元々は哲学者で東洋大学創設者井上円了先生が、1904年にソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った「四聖堂」を建設したことに始まる。
その後明治末ころに複数の建物を整備した。
井上円了没後、東京都に寄贈され、その後中野区の管理となった。2020年には、国の名勝に指定されている。残念ながら、建物自体は中野区の有形文化財に留まっているが、国の登録有形文化財に指定されてもおかしくない歴史と特異性がある。

普段は非公開の建物だが、年に2回特別公開されている。小さい頃から何度も訪れているが、中に入るのは初めてのことである。

仁王ではなく、幽霊と天狗がいる哲理門をくぐると、広場の周りに様々な建物が並ぶ。

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無尽蔵は、井上円了先生が世界中から集めたものが展示されていた建物とのこと。2階から広場が見ることができ朱色のな塔、六賢台を高いところから見れるのは特別公開ならではだ。

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六賢台は、コロナの影響で今回は公開されていなかった。
四聖堂は、縁側をぐるりと廻ることができたり、宇宙館では、中で哲学堂を紹介するビデオが流されていた。
図書館として利用されていた絶対城は、空の本棚並べられていて、そこから電灯の光が漏れ出していて、印象的だった。書庫スペースのような場所に本が置いてあったが、今でも近隣児童向けに本の貸し出しがされているのだろうか。

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建物以外にも、橋や池一つ一つが哲学的思想に基づいて命名されていて、すべてを巡るとなかなか時間がかかる。また、2009年には、様々な哲学者の彫像が並べられた哲学の庭も整備された。こちらは、なかなかシュールな光景である。

哲学堂公園を後にして新井薬師前駅から電車に乗り込み帰路についた。

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