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残されるもの・カタチを変えて残るもの~2021.2.11赤羽~駒込日光御成道散歩

昨年、三田線沿線を歩いたときに訪れた志村一里塚きっかけで、23区内にもう1か所当時の姿をそのまま残す西ヶ原一里塚を訪れたくなった。

ただ、そのためだけに行くにしては、自宅からのアクセスが微妙な位置だった。それならついでにあそこも行くかと目的地を追加していたら、赤羽駅から散歩をスタートすることになった。

随分と久しぶりに赤羽駅に降り立った気がする。まずは駅の北側にある漫画家清野とおるさんのマンホールを見に行く。設置されている位置のせいか、みんなどんどん踏んで歩いている。
マンホールには、「踏むと幸運になるかも」と書いてあったので、控えめに踏んでおいた。本人が推奨しているとは言え、好きな漫画家を踏みつけるのは気が引けた。ある種の踏み絵だ。



駅から赤羽台団地方面へと進む。赤羽台というだけあって団地へと続く階段が現れる。どうやら道路の反対側にはエレベーターも設置されてそうだ。階段を上がりきると建て替えられてスタイリッシュになったマンション群が建ち並んでいる。

もともとこの地は、陸軍被服本廠という陸軍の施設があり、戦後、1962年に約3400戸の赤羽台団地が建てられた。2000年代に入ってから順次建て替えが進められてきたので、もうほとんど昔ながらの団地は残されていない。

そんなマンション群を少し進むと古い団地が現れる。2019年に国の登録有形文化財に指定された4棟の住棟だ。そのうち1棟は、一般的にイメージされる四角い5階建ての団地。それ以外の3棟は、3方向に広がるように居室が配置されているスターハウスと呼ばれる建物だ。上から見るとY字型で、それが星のように見えるということだろう。
昭和30年代に多く作られたが、老朽化により多くが取り壊されてしまった。
そんな中、赤羽台団地のスターハウスは保存が決定されたようだ。建物は既に住民が退去したようで、階段室の入り口は封鎖されていた。


三角形の階段室が特徴的らしいが、残念ながら見ることはできなかった。
団地は、人が暮らす場所なので、古くなって住みにくくなったら建て替えられてしまう運命にある。戦後の建物は、有名な人の邸宅などを除けば、保存しようという機運が醸成されておれず、取り壊されることが多い中、後世に残す決定がされたことは、時代のターニングポイントに思えた。


団地を後にして急な坂を下ると、マンションの一画に、小さな神社があった。亀ヶ池弁天だ。ここは清野とおるさんの作品にも出てくる神社なので、聖地巡礼気分になる。神社の名前のとおり、小さな池には亀が甲羅干しをしていた。

駅方面に向かって歩ていると古本屋を見つけた。道路に向かってびっしりと文庫本が並んだ棚や雑誌が置かれたワゴンなどなんか面白い本に出会えないかと入店。そしたらビックリ、店内の大半はエロ本、DVD、官能小説でした。私の後に、老夫婦が入ってきましたが、無言のまますぐに出ていきました。よくよく外に置いてある雑誌を見てみたら、エロ漫画雑誌などが紛れ込んでました。

気を取り直して昼食にすることに。東京では珍しい豚骨スープを前面に押し出したチャンポン屋「じげもんちゃんぽん」に入店。白チャンポンと半チャーハンのセットを注文する。
以前住んでいた福岡では、濃厚豚骨スープに野菜の味が染み出したチャンポンが多く。よく食べていたが、東京だと中々出会えないので期待値が上がる。
ちなみに、福岡市内で食べる豚骨スープの濃さは、
「泡系と呼ばれる店>>チャンポン屋>>>>>>昔ながらのラーメン屋」
という感じだ。東京の人がガイドブックに載っている老舗に行くと、「あれそこまで濃くないな…」と思ってしまう可能性大。二郎系や家系、つけ麵を食べなれている人は特に要注意が必要だ。


さて、提供された白チャンポンのスープをすする。福岡のチャンポンほどの濃さはないが、美味しい。さらに、麺がモッチリ太麺で個人的にはかなり好みだった。この店は「じげもんとん」って店のフランチャイズ(ライセンス)店らしいので、機会があれば本店にも行ってみたいと思った。

ここからは、日光御成道(岩槻街道)を南下していく。道路の拡幅工事を行っているようで、セットバックされ空き地が目立つ。途中までは、荒川低地を進むことになる。そうすると常に右側に武蔵野台地に繋がる気になる坂や階段が現れる。ひとつひとつ寄り道したいが、全体行程を考えて今回は断念。それでも、気になってしまったのは普門院の山門。
それともう一つは、真正寺坂にあった道路にはみ出した石仏(庚申塔?)。もちろん成り立ちとしては、道路が拡幅されて、現在のような立地になったのだろう。


埼京線の高架をくぐったあたりから、少しずつ坂道になっており、清水坂で一気に武蔵野台地へと上がる。ひたすら時が止まったような古い建物とセットバックされた新しい建物を眺めながら進んでいく。東十条駅付近はホントにタイムスリップしたような街並みだ。


道路拡幅工事の影響を大きく受けたのが、十条冨士神社だ。
江戸時代に古墳を整備して作られた高さ約5.8メートルほどの十条冨士塚で、毎年7月には例大祭が開催され露店が出るなど賑わうようだ。
しかし、道路の拡幅により、2020年から解体工事が実施された。相当立派な木があったんだろうなと思わされる巨大な切り株など木々は伐採され無残な姿である。ただ、完全に姿を消すのではなく、富士塚は再整備される予定である。



歴史あるものを残すにあたって、どのように残すべきかは一つの課題だ。そもそも、古墳を作った人からしてみれば、江戸時代に富士塚へと改築されたこと自体、何してくれてんだ!という思いがあるかもしれない。そのような中で、再整備によって地域の憩いの場としての機能が持続されるのであれば、それは1つの正解なのだろう。
ちなみに現在、十条冨士神社の祠は、脇の空き地に移されていて、厳重なフェンスで囲まれていた。

王子駅方面へひたすら歩く。途中、ここ曲がったら戦前の赤レンガ倉庫を使った北区立中央図書館あるのにとか、名主の滝公園もあったなぁと思いながらも、まだ行くべきスポットがあると思いなおして、ひたすら進む。
王子神社に参拝して、音無親水公園へと崖を下る。
ここは石神井川の旧流路に整備された公園で、石畳と石垣に囲まれた小さな流路は、多くの人で賑わっていた。復元された木造橋と昭和初期にかけられたコンクリートアーチ橋の音無橋も見ておきたい風景だ。


王子駅といえば、都内で唯一路面電車と自動車が一緒に走行する併用軌道が残る場所だ。自動車を運転していると併用軌道は走りにくくて嫌だが、景色としてみる分には最高だ。



飛鳥山公園は、江戸時代に花見ができる場所として整備された公園である。園内には、かつて渋沢栄一の邸宅があった。そのため、2021年の大河と相まって、渋沢栄一推しがすごかった。2月下旬には大河ドラマ館ができるらしく、近代建築風な設えをしたプレハブのチケット売り場が設置されていた。


また、飛鳥山公園内には古墳があるということで見に行ってみた。円墳らしいが、園内には似たようなちょっとした丘がたくさんあるので、その1つという感じだった。

飛鳥山公園を後にして、再び日光御成道に戻る。今回の目的地である西ヶ原一里塚が姿を現す。江戸時代道の両側に整備された一里塚であるが、現在は道路拡張工事により、片方は道路の真ん中に取り残されたようになっている。大正時代に、拡幅工事により撤去されるという話もあったそうだが、保存活動が展開され、現在のような形で残されたようだ。この保存活動にも渋沢栄一が関わっていたようで、ホントこの時代のことに幅広く関わってくるなと思った。道路の真ん中にある方には、保存が決まった時に建立された記念碑があるが、横断できないので見ることは叶わず。そうなることを予見して、もう一方側に設置してほしかったな、渋沢さん。



一里塚の横にある大きな鳥居をくぐって進むと、七社神社がある。渋沢栄一が飛鳥山に越してきてからは、こちらの神社の氏子だったこともあり、拝殿には渋沢栄一揮毫の社額が掲げられている。今年の2月から御朱印に渋沢栄一のイラストを捺印するようになるなど、こちらも渋沢栄一推しが強かった。


その後は、日光御成道に沿って駒込駅まで歩き帰路についた。


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