腐ったみかんは伝染する

人のために動く時の想いは大きく2種類。

マイナスから0か、0からプラスかである。

問題を未然に防ぐために動くのか、人を喜ばせるために動くのかである。

私の今までの人生を振り返ると大半は前者だった。
人が集まると必ず問題が起こる。勝手に腐り始める人間が出てくるのだ。本当に不思議だ。

箱の中の1つのみかんが腐ると他のみかんも腐っていくのと同様に、1人が負のオーラを発し始めると全体的に嫌な雰囲気になってくる。

そんな人たちは、なぜ私が怒っているのか、なぜ私はもてなされていないのか、これはどうあるべきか等々、下らないそこら辺に落ちているパーツを組み合わせて掘立て小屋のような論を立てる。

自分が立っている土台を必死に用意した人の存在を知らずに、土台に置かれたささやかな気持ちにケチを付ける。

いったい何様なんだろうか。
いや、何様であっても許し難い。

お金を払われても辛いことを、お金も払わず詭弁を垂れる輩がいる。

こんな人たちと関わると本当に心が削られる。
やり切ってもやるせ無い気持ちになる。


一方で、0からプラスの方向の人のために行動はとても清々しい。

彼らは自立している。
誰かのサポートなしでもやっていけるし、楽しむ能力を持っている。何より、勝手に腐っていかないのだ。

何をしても充実しており、この人をもっと喜ばせたいという気持ちにさせてくれる。

世の中みんな自分の機嫌は自分で取れるようになってくれれば良いのだけれど。

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ここで書いたあらゆる人間像は全て経験したものである。

腐った人/自立した人をもてなす側と、その逆も経験済みである。

全て経験して思うのは、自分も周りも自立している時が一番幸福度が高いということ。

自身が腐っていても、腐っている人と関わっていても不毛なのである。誰にとっても得でないのだから、できれば脱却してほしい。

自分自身の問題と、環境の問題2つあり後者は自分ではどうしようもなく私には計り知れない。
ただ多くの人は、前者の問題がネックになっているのではないだろうか。

わからないけれど、どうか腐らずに済む生活を送ってほしいものだ

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