思い出を細分化して見つけた好きなこと

最近新たな好きなことを自覚した。
仮説検証である。

仮説検証という言葉はビジネスライクで気が引けるのだけど、こうしたらもっと良くなるかも?やってみよう!あ、だめだったわ!なら次はこうだ!みたいなトライアンドエラーの繰り返しが好きなのだ。

好奇心と似ているが、失敗ありきで連続的に試すことが好きなので好奇心という言葉では意味が広すぎるためしっくりこなかった。

私が仮説検証が好きだなと感じたのは以下など。

・スポーツ(バドミントン)でフォームの角度を少しずつ変えてみたらどうなるのか?こうなるかな?というサイクルをとめどなく回す瞬間が楽しい
・泥団子をピカピカにまん丸に微調整する作業は何時間でもできる
・今のシステムエンジニアの仕事でも、新しい機能や課題調査で細かい因子を組み合わせて吸収するのが好きだ

純粋に楽しい瞬間はなんだったかしらと考えて真っ先に思いついたのは1つ目と2つ目で、そういえば今の仕事でも楽しいなと気づいたのが3つ目だった。

まさか泥団子をもくもくと作っていた幼い頃の経験がシステムエンジニアとしての仕事に通ずるものがあるとは、面白いなと思った。

1つの事象を分解することが真の好きなことを見つけるヒントになるよ、と八木仁平さんの本に書いてあったが、まさに実感する。

泥団子とスポーツとシステムエンジニアというキーワードでは結びつかないが、その中でこの瞬間が楽しかったなと分解すると共通点が見えてきたのである。

これに気づいたあと、細かく砕けば自分にも純粋に楽しいという気持ちはあったんだなと思い、安心した。

私には好きがなくて得意と価値観しかないんじゃないかしらとすら思っていた。

今回見つけた好きなことが得意なことではないと思えたのは、意思があったからだ。

私は人の気持ちを考えることが得意なのだが、人の気持ちを考えたいと思っているのではなく見たくなくても見えてしまうという感覚なのだ。意思は関係なく情報が入ってくる、無意識のレベルなのだ。

八木さんの本にもある通り、無意識の力が才能だと考えると今回見つけた好きなこと: 仮説検証は無意識というより意識の集まり(=興味)だった。

頭の中での自分が一生喋っている感じなのだ。こうしてみたらいいんじゃない?いやいやこうよ!あれれ?みたいな、やかましい興味津々な自分がいる。

これは紛れもなく好きなことなんだろうと思う。

好きなことを自覚できてハッピーだ。
・・・歯切れの悪い締めだこと

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