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マイルドヤンキーの人生の幸福感が最強である理由

 人生に幸福感を感じるのは難しい。どうしようもない閉塞感に苦しんでいる人も多いだろう。金や肩書があれば幸福感が増すとも限らないのが悩ましい。そんな中でしばしば言われるのが「マイルドヤンキーの人生が最も幸福」というものだ。今回はそうした言説の理由について考えてみたいと思う。

マイルドヤンキーの特徴

 マイルドヤンキーの幸福度の高さにはいくつかの明確な根拠がある。それは①社会適応能力の高さ、②上昇志向の低さ、③現実的な人生観、である。

 ①については見かけで判断しやすい。マイルドヤンキーは必ずと言っていいほど小中学校ではカースト上位にいるし、常に友達に囲まれて楽しかったはずだ。人生の幸福度に最も決定的な影響を与える「孤独の回避」が自然となされているのだ。マイルドヤンキーは地元志向が強く、成人してからも地域コミュニティで繋がりを保てるので、中々孤独化しにくい。

 ②についても指摘されることが多い。上昇志向が強いとその分挫折を生みやすい。成功に至るまでの努力量も膨大だ。しかし、それ以上に重要なのは競争は人を孤独にするという点だ。買った負けたで毎回ギスギスするし、同種のライバルは少ない方がいい。こうして争い続ける内に人は孤独になっていく。しかしマイルドヤンキーは競争に無縁なため、周囲の人の幸せを心から祝えるようになるのである。

 ③の重要度も高い。マイルドヤンキーは極めて現実的な価値観を持っており、地元によく見かける職業に就くことが多い。一度就職すると熱心に働き、家族が生きがいとなる。弁護士になりたいとか、作家として成功したいという余計な夢を持たないので、挫折して廃人になるリスクは低い。理想と現実のギャップに悩むことも少ないだろう。

 他のカテゴリの人間もそれなりに幸福度は感じているだろうが、マイルドヤンキーに3つのいずれかの点で負けている。具体的に他の人々の様子を見てみよう。

有名人

 成功者の例として必ず上がるのが有名人だ。岸田文雄とか大谷翔平といった人々である。政治家・実業家・タレント・スポーツ選手などが多い。こうした人物は誰もが羨む人生と考えられる事が多い。

 しかし、社会的成功と幸福度は別だ。有名人は何百万といるライバルの中から勝ち残った一握りの成功者であり、常に不安定な立場にさらされている。有名人になるまでに至る努力とリスクの総量は尋常ならざるレベルであり、かなりの負担があることは間違いない。現代のSNS時代では有名人が肩身の狭い思いをすることもある。何より有名人はその特殊な立場が原因で常に孤独である。

 有名人は極めて稀な存在であり、そこに至るのは異常な水準の苦労や執念が必要だ。自己肯定感の低さが原動力というケースも多い。少なくとも有名人の幸福度の水準がそこまで高くないことは確かである。

エリート

 有名人とは別に、誰もが羨む存在として挙げられるのがエリートである。官僚とか、外銀とか、大学病院の医師などがエリートの典型例として挙げられる。彼らは常に世間の尊敬の対象であり、自分の子供をエリートにするために受験戦争に参戦する家庭は多い。

 ただし、エリートの幸福感はそこまで高くはないだろう。彼らは中学受験に始まり、競争に次ぐ競争を経てきた。高学歴エリートの中には社会適応能力が低いものもおり、彼らは能力が発揮できるかが生命線になっている。何れにせよエリートは多大な努力を経て競争をさせられるので、落ち着く暇がないし、真の仲間もできないだろう。常に見栄の張り合いやマウントが横行している過酷な世界だ。高い理想を抱く人も多いので、挫折感と劣等感がエリートの間では蔓延している。

普通のサラリーマン

 普通のサラリーマンは上記の人々に比べれば穏当だ。別に東大に入ったり、司法試験に合格したりする必要はない。借金を背負って起業したり、SNSで叩かれるリスクもないだろう。普通のサラリーマンはしばしばファミリーアニメにも登場するお父さんキャラであり、月並みだが幸福な人生を象徴しているだろう。

 ただ、普通のサラリーマンもマイルドヤンキーには勝てないかもしれない。マイルドヤンキーは必ずカースト上位だが、普通のサラリーマンは必ずしも交友関係に恵まれた人ばかりではない。それにサラリーマンは組織活性化のために社員を競争させる仕組みができているので、サラリーマンは競争と無縁ではいられない。マイルドヤンキーの仕事は気楽か自由であることが多いが、サラリーマンはどちらもない。

 しかし、サラリーマンが一番マイルドヤンキーに劣っている点は「孤独」かもしれない。サラリーマンが所属している会社コミュニティはあくまで擬似的なものであり、退職と共に崩れ去ってしまうからだ。地元の友達のような腹の底から笑い会える友情は生まれにくいだろう。

夢追い人

 中には凡庸な人生には満足できないが、エリートやサラリーマンにも魅力を感じないという夢追い人が存在する。ミュージシャンを目指したり、ベストセラー作家になったりという人種だ。彼らは非常に魅力的に見えることもあるが、幸福感の期待値は高くないだろう。

 夢追い人の幸福感が下がる要因はおもに2つだ。1つ目は夢で生計を立てるのは難しく、失敗のリスクが非常に高いということだ。こうなると底辺に下がってしまうので、孤独に陥る可能性が高い。もう1つの理由として、理想と現実のギャップに苦しむ可能性が高い。これはどんなに成功しても陥る現象だ。マイルドヤンキーの堅実な生き方と比べると、人生がかなり難しくなってしまうだろう。

フリーターや派遣社員など

 幸福度に社会的な肩書や年収はあまり関係ないと言われる。マイルドヤンキー幸福論の背景にあるのはこの理論だ。それならフリーターや派遣社員といった人々はどうなのかという疑問が湧いてくる。

 結論から言うと彼らの幸福度は高くないだろう。マイルドヤンキーと違って彼らは孤独に陥る危険性が高いからだ。まず結婚が難しい。子供を持つことは夢のまた夢だ。交友関係も正直あまり恵まれているとは言えないようだ。上昇志向は弱いかもしれないが、その代わり社会適応能力の低さで相殺されてしまうだろう。エリートは過酷な環境でも家族がいることが多いので、この点で大きな差が付く。

チンピラ・ヤクザなど

 マイルドヤンキーという概念が存在するということは、マイルドでないヤンキーが存在するということである。チンピラやヤクザといった治安の悪そうな人々はマイルドヤンキーと比べて幸福なのだろうか。

 こうした悪漢の幸福度は低いだろう。社会的にそもそも好かれないし、立場が非常に不安定だからだ。彼らはマイルドヤンキーと違って金や女といった欲望への志向が強く、殺伐とした業界になりがちだ。弱肉強食の裏社会で平穏で幸福な暮らしを目指すのは無理があるだろう。最近は暴力団関係者が高齢になって生活保護を受けていることが話題になっている。今更他人と仲良くすることなどできなそうだ。

結論:マイルドヤンキーは強い

 こうして見てみると、マイルドヤンキーは確かに最強の人種に思える。小さい頃から地元の友達と遊び回り、就職すると慎ましくも堅実な仕事に就き、結婚して子供に恵まれる。自分の親も友達もそうしてきたし、他の人生は思いもよらないだろう。中学受験も出世競争もないので、のんびりとして日常を楽しむ事ができる。子供の教育費と家のローンのために過酷な仕事を強いられるサラリーマンに対しては哀れみの目で見ているかもしれない。

 マイルドヤンキーの難点としては地元の人間関係への依存度が高いことだが、人間関係に気を遣う点ではサラリーマンだってそんなに変わらないだろう。マイルドヤンキーは社会適応能力が高いので、高学歴陰キャよりも遥かにうまくやっていくはずだ。それに、同じくらい人間関係にエネルギーを使うとしても、地元の友達と海に遊びに行くのと、上司のグラスにお酌をするのでは前者の方が明らかに幸福度は上がるだろう。

 小熊英二の「日本社会の仕組み」によれば、この国で勝ち組と言えるのは大企業の正社員と地元コミュニティの構成員だ。マイルドヤンキーは地元型の成功例であり、高学歴エリートと遜色のない存在とも言える。競争の緩さという点ではマイルドヤンキーに軍配が上がるだろう。フリーター等はどちらにも所属できなかった残余の存在であり、孤立の危険性が非常に高い。人生の幸福度で一番大切なのが「孤立の回避」であることを考えると、いつまでも地元の友達と楽しい友好関係を続けられる田舎のマイルドヤンキーは最強だったのだ。

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