転職活動でキャリア形成の失敗を痛感

 今までも散々書いてきてはいるが、本当に私は仕事が大嫌いだ。はっきり言ってこんな仕事をするために自分の人生が合ったのかと思うと、涙がボロボロとこぼれてくる。どこで失敗したのかと考えると、理系志望の同級生に逆張りをしようと文系に進学したことだったと思う。文系学問は好きだったが、文系職業にことごとく相性が悪かったのだ。ビジネスやらサラリーマン論やらに本当に興味が持てないし、なんの意欲も競争心も湧いてこないわけである。正直、民間企業の仕事がここまでつまらないとは想定外だった。

 とはいえ、一般企業を考える限り、展望は厳しいものがある。転職で状況が好転する可能性は低そうだ。筆者の検討案は以下の通りだ。

金融機関:一番転職しやすいし、給与水準を維持できる可能性が高いが、それでも待遇は下がる可能性が高く、中途入社で居心地が悪い思いをする。なにより、もうこの仕事をするのは嫌だ。

外資系コンサル:仕事のできない人間が生き残っていける可能性は低く、人間のタイプも非常に競争的で、QOLは確実に下がる。そもそも自分のスペックでは無理だと思う。

事業会社:待遇の良い会社は大概が新卒主義で、中途入社は困難。入っても経理等の部署の専門スタッフとなる可能性が高い。

メディア系:個人的に面白そうだと思っていたが、やはり新卒主義の壁に阻まれ断念。制作会社なら入る余地がありそうだが、風評を聞く限りブラック。結局入れそうな会社は新聞社の販売子会社だけだった。

ベンチャー:興味がないし、仕事のできない人間が活躍する余地は無さそうである。40代になったらどうすんの。

IT企業:社会不適合の人間でも比較的働きやすいのがIT企業と言われるが、ここにも問題がある。私はIT関係がことごとく苦手なのだ。本当にキツい。

市役所:脱力系として生きるには適当な職種だと思っていたが、実際は結構キツいという話を聞いた。特に社会の問題を抱えた層の対応がキツいらしい。「温室育ちのお前はキツいと思う」とアドバイスされた。

塾講師:一番可能性がある職種。ただ、年収が低いので結婚に支障がありそうだし、いかにも高学歴の失敗した人という感じがして、世間体のために踏み出せず。

 総じて新卒のときよりも圧倒的に選択肢が狭まっている印象だ。新卒の時は特にスキルが無くても大手に入れるボーナスステージのような状況だったのが理解できた。正直、ビハインドを食らった状況で中小企業に入ることを余儀なくされるらしい。有能で上がっていける人間なら良いが、私の場合はどう見ても有能な人材とは思えないので、昇給は難しいだろう。完全にキャリア形成を失敗したな、と思い知らされた。

 変に名門校を出ていると、なんとなく周囲と同じようにしていれば年収1000万のエリサラにはなれるだろうと勘違いしがちだし、筆者のようなケースではそもそもエリサラ以外の人間を幼稚園でしか知らないという問題が発生するので、社会的転落への耐性が無くなってしまう。過剰教育も考えものである。

 若い頃は自分の興味と能力を活かせて、80代くらいまで働けて、かつ社会的な地位がある職業を志向していたが、そんな虫の良い話は無く、実際は年収400万くらいの中小企業が関の山であり、しかも仕事ができない可能性が高い。もう若くないし、夢を追いかけている場合でもないのだろうが、それでも偽りの希望にすがってしまうのが人間である。

 こうした事情により、私にとって一番羨ましい人間とは金のある人間でも出世している人間でもなく、若い人間となった。残念ながら日本の年功序列社会ではもう自分は年齢制限で何もできなくなっているのだ。人生100年時代なんてスローガンに踊らされた自分が馬鹿だったと思う。本来なら次世代に期待する年齢なのだろうが、仕事の問題が火を吹けば結婚も無理なので、こうなると来世に期待するのが一番順当かもしれない。来世はもっと仕事のできる人に生まれたいな〜と希望に満ちた妄想に浸るべきだろうか。

キャリア形成の失敗をまとめるとこうなる
・生来の不器用さにより、総合職的な仕事が苦手。
・恵まれた環境で育ったため、ハングリー精神が欠如。
・小学校受験で名門校に入ったため、年収1000万が世間の普通だと刷り込まれる。
・東大合格や科学五輪で表彰される等で、自分を価値のある人間だと勘違い。
・知的好奇心のせいで受験勉強を通して「つまらない勉強」の胆力がつかず。
・東大法学部の肩書を活かそうとして興味のない会社に入る。
・リスクを取ることを恐れ、第二新卒に否定的だった。
・夢ばかり追い、いま現実に自分が何をできるかを考えなかった。
・勉強が実はできなかった。
・今までの成功体験のせいで傲慢極まりない性格になった。

 この辺りだろうか。これを見ている若い人は私を反面教師にして、こういう社会人にならないでほしい。私は歳を取ってしまって、もう何もやることはできないから、若い人を励ますことしかできない。勉強よりも、家庭環境よりも、コミュ力よりも、年齢こそが実は一番大事な強さだったのである。

 私はもう来世に期待することにする。さよなら。

 


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