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学校群制度のせいで学歴ロイヤルストレートフラッシュを逃した大臣がいた

 あなたが思い浮かべる完璧な学歴といえば何だろうか。もはや趣味の世界だと思うし、普通は自分の出た学校に贔屓目になると思う。少なくとも私は何かに付けて自分の出身校は過大評価していると思う。

 さて、昔の日本には典型的なエリートコースが存在した。それは番長小⇒麹町中⇒日比谷高校⇒東大というものだ。このルートを辿らせたいがために転居するものが多数存在したらしい。1960年代から教育熱心な家庭はかなり存在したようだ。

 このルートを辿った有名人は存在しただろうか。意外に調べても出てこない。惜しい人間は出てくるのだが、全部揃った有名人となると調べた範囲だと存在しないようだ。日比谷高校までは来たが大学入試で東大に落ちたり、高校入試で私立高校に進んだり、小学校が番長小ではなく麹町小であったりという具合だ。

 そんな中、数々の高学歴者の中でもほぼロイヤルストレートフラッシュに近い人物を発見することができた。実際にロイヤルストレートフラッシュと言うことも可能だろう。ただし、一箇所だけが微妙に完璧とはズレており、古典的な理想形とはズレているのだ。

 その人物とは岸田政権下でついこの前まで厚生労働大臣などを歴任していた後藤茂之氏である。彼は番長小⇒麹町中⇒教育大駒場⇒東大法学部⇒大蔵省というルートを辿った。ここまで来ると学歴というよりマニアの世界となるが、ポーカーの役はほぼ揃っていると考えて良い。大蔵省同期の高橋洋一氏いわく「全部すごいところを出ている」とのことだ。

 ただし、唯一惜しいのが高校だ。教育大駒場とは現在の筑駒で、当時から日本最難関校だった。1970年代は生徒の8割が東大に進学していたほどだ。しかし、伝統的に言われていた「役」とはちょっとズレる。確かに完璧ではあるのだが、惜しい。

 理由はたった一つだ。1960年代の終わりに導入された学校群制度である。優秀な受験生が日比谷高校を受験できなくなったので、受験生は軒並み国立大附属に流れた。筑附・筑駒・学大附の国立御三家は東大合格者100人代を叩き出し、灘と並んで進学校の頂点に君臨し始めた。私立御三家が伸びるのはこの少し後のことだ。開成は高校募集を増やし、国立御三家落ちを軒並み吸収して頂点に上り詰めた。

 後藤茂之氏も当然勉強はものすごくできただろうから、国立附属の最難関校へと進学を決めた。教育制度改悪がなければきっと日比谷高校へと進んでいただろう。なんとも嘆かわしい話だ。後藤茂之氏はストレートフラッシュであることは間違いないが、ロイヤルであるかは断言できない。

 最もここまで来ると高学歴云々の問題ではなく。完全なマニアの世界なので、あれこれ論じても仕方がないのかもしれない。

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