学校生活の幸福感を下げる「内部生」という存在

 学校に入学した時に厄介な問題となるのが「内部生」である。彼らがいるのといないのでは、学校生活のQOLが大きく変わってくる。近年、私立高校の高校募集が減少しているのは中高一貫教育のブームで内部生のいる学校が増えたことにある。有名私立大学も同様に付属校が多数作られたため、大学から入ってもアウェイという状況になりがちである。今回は内部生問題という学校生活上の関門について語りたいと思う。

 人間というのはお互いが協調して社会を作っている。円満な関係を作るには自分は相手に譲歩しなければならないし、相手も自分に譲歩する必要がある。「お前が一方的に俺に合わせろ」というジャイアン的な態度では嫌われてしまうし、協調性のある社会を作ることはできないだろう。こうした相互の歩み寄りはあらゆる人間社会で必須とされる要素である。

 ところが、この関係が非対称となるケースがある。その一つが片方がプロパー意識を持っている場合である。特に片方が先住者、もう片方がよそ者だった場合に多い。

 例えば移民政策では移民が全面的に受け入れ国の文化に合わせることが求められており、生粋の国民が移民に合わせようとすることはない。あくまで「自分たちの文化を尊重して謙虚に行動するなら、受け入れてやらなくもない」という非対称な関係である。生粋の国民は移民を嫌悪する自由があるが、移民が生粋の国民を批判したら「国に帰れ」と言われてしまうだろう。

 これは単なるマイノリティ問題とは異なる。仮に先住者と移住者の人数比が同数であっても、移住者は先住者に一方的に合わせるべきとされる。実際にアメリカやオーストラリアでは入植者が圧倒的多数派にも関わらず、先住民に対して入植者が文化を押し付ける権利はないと考えられている。プロパー意識というのはある種の正統性を持ち合わせており、数の大小とは別物である。

 内部生に関しても同様だ。内部生は基本的にプロパー意識を持っているので、外部生が一方的に自分たちに合わせるべきであり、自分たちは外部生に合わせる必要はないと思っている。外部生の側は自我を押し殺して内部生に合わせることが求められており、内部生の側は外部生を受け入れる自由も、受け入れない自由も、無視する自由もあるのである。

 中高一貫校のように内部生の数が圧倒的に多い場合、外部生はほぼサバイバルである。頑張って擦り寄って彼らに受け入れてもらうのを願うしかない。内部生の側はだいたい外部生に関心がないし、入れてもらうのは大変だ。内部生同士しか分からない話をされても、外部生はその間待っているしかない。残念ながら、外部生に気を遣って内輪ネタを止めようとはならない。
 しばしば外部生を嫌う内部生が存在するが、そういった意見は一つの意見として尊重されることになる。外部生が同じことをやったら針のむしろだろう。一方で内部生の間でうまく行かなかった生徒は外部生に近寄る事もできる。内部生は外部生と仲良くするという選択肢もある分、有利なのである。
 女子は人間関係が濃密だからか、より問題が深刻化する傾向がある。高校募集をやっている女子高の少なさはこれが原因だろう。

 私立大学のように内部生がマジョリティでない場合は感覚は異なる。この場合、内部生はインナーサークルに篭って外には出ていかない印象だ。内部生が外部生に合わせることはなく、気が向いた時だけ絡む印象である。外部生は内部生を尊重して入っていかないし、内部生は外部生をよそ者として見ている。内部と外部はなかなか混じり合わない。

 受験・就活・部活の大会などではそこまで外部生に不利にはならない。こうした物事は外部の人間の評価によって決まるからだ。外部生に対して内部生が圧倒的に有利に立つのは集団の内部で評価される項目である。学校行事の運営や生徒会選挙、内部進学の評定などである。
 内部競争がある分野の場合、外部生が参入する余地はまったくないと見てよいだろう。内部生は人間関係が濃密で豊富なコネクションがあるし、しばしばよそ者に対する団結力がある。日本企業でプロパーばかりが出世するのと同じだ。
 慶応付属校から慶応医学部に内部進学する者は大半が中学からの内部生だ。慶応に不慣れな高校からの進学者はどう考えても不利だし、戦っても勝つ可能性は少ない。内部生は大学進学後も有利だ。シケプリ等を内輪で融通し合うことができるからだ。理三本には昔から慶応医学部でアウェイ感を感じて理三を再受験した人が散見される。外部の目から見ると慶応医学部は外部生の方が優秀とされるが、内部では逆なのだ。

 内部生と外部生の雰囲気差はどうだろう。大体の学校で内部生は不真面目、外部生は真面目と言われる。外部生は立場が弱く緊張しているのでそう見えるのかもしれない。外部生はとにかく馴染むことを考えるので、尖ったキャラは抑制され、人格的にも能力的にも「普通」に寄る傾向がある。
 一方で内部生は自分の家のようなものなので、自由にくつろいでいる。不真面目に見える理由はここかもしれない。もしかしたら他に外部生に対する威圧的要素もあるのかもしれない。よそ者が大量に入ってくる不安が内部生の結束を強め、これ見よがしにワイワイするのである。

 内部生はキャラ立ちすることを重視するので、ものすごく優秀な人・ものすごく面白い人・ものすごく変わった人は内部生であることが多い。リーダー役や人気者もだいたい内部生だ。一方で、問題を引き起こすのも内部生が多い。偏差の大きい内部生と偏差の少ない外部生という構図である。

 
なお、学力に関しては一概には言えない。私立大学の内部進学生は受験勉強していないので学力が低いことが多い。外部生の中には内部生を学力面で下に見てアイデンティティを維持しているものもいる。しかし早慶に関してはむしろ付属校の方が難しいこともあり、優秀という見方もある。中高一貫校に関しては、原則として内部生の方が学力が高く、劣等感を感じやすい。

 学校生活のQOLを考えるなら、内部生はいないほうが無難だ。特に学校内でイニシアチブを取る場合、外部生はほとんど参入できない。

 比較的外部生が馴染みやすいのは人の出入りが多い学校だ。内部生の一定割合が外部受験する場合、人間関係がシャッフルされるので外部生にも入る余地が出て来る。一方でほとんど持ち上がりの場合はかなり外部生が馴染むのは難しい。JTCのプロパー至上主義も終身雇用のため退職者が少ないという事情が原因だ。人の出入りが少ない場合、どうしてもよそ者が割って入る余地は無くなってしまう。

 近年は高校入試において「内部生リスク」というのが認識されてきたらしい。中高一貫化が進んだ私立高校への入学を嫌がる生徒が増え、一斉スタートの公立高校が人気になっている。
 国立大学の良いところは付属校がなく、この手の問題とは無縁なことだ。東大は確かに開成など特定の学校の生徒が多いが、マジョリティであることとプロパーであることは全く別である。例えば地方の学生を隅に追いやって有名進学校の生徒同士が鉄緑会の先生の話で盛り上がるといったことはない。同じ高校同士でつるむわけでもない。プロパー意識のある内部生とは訳が違うのである。

 ちなみに転校生は外部生とは性質が異なる。せいぜい1人か2人程度なのでマイノリティとすら認識されない。むしろ目立つので顔を覚えてもらうことは容易だろう。一勢力と認識されるまでに至らないので、外部生が内部生に馴染むよりも容易に学校に馴染むことができそうだ。

 私は内部生・外部生・転校生・一斉スタートの全てを経験したことがあるのだが、卒業してからも付き合いのある友人は内部同士と外部同士がほとんどだ。転校生の時は最初の一年は少し大変だったが、クラス替えもあって翌年にはすぐ馴染むことができた。同級生の大半は私が転校生だったことは忘れているだろう。

  もし内部生がいる学校に入学した場合、どのように立ち回ることが大事だろうか。大事なのは外部生同士の親交をしっかり深めることである。内部生は大抵他に優先すべき繋がりがあり、人間の持つ人間関係のキャパには限界があるため、新たに外部生が入るのは困難だ。外部生同士なら立場が同じで仲良くできる確率が上がる。無理して内部生の友人を作るよりもよほど成功率が高い。

 伝統的な日本企業がまさにそうだが、同期というのは特別な関係がある。人間は同じ時期に集団に入った人間と深い関係を構築しやすいらしい。この点、内部生と外部生は同級生ではあっても同期ではない。だから過ごす期間が同じでも内部生と外部生より外部生同士の方が親密になるのは自然なことだ。内部生というのは「先輩ではないが、同期でもない」という大変扱いづらい存在なのだ。

 岸田文雄総理大臣は母校の開成愛が何よりも強い。これは一見奇妙である。というのも岸田総理は開成出身ではあるが、外部生だからだ。
 開成は高一の間に外部生だけのクラスを編成するので外部生同士の繋がりを作りやすく、比較的学校生活を送りやすい。仮に内部生との関係が悪くても、外部生同士のコミュニティに逃げ込めば良い。また、先輩後輩関係や卒業生コミュニティでは比較的内部と外部の垣根が薄い。転職者が同年代のプロパーよりも少し年の離れた社員の方が仲良くしやすいのに似ている。こういった理由により岸田総理は外部生にも関わらず学校にアイデンティティを持つことができたのかもしれない。

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