長年の疑問、なぜ運動エネルギーは速度の2乗なの?

 筆者が長年不思議でたまらなかったことがある。「どうして運動エネルギーは速度の2乗に比例するのだろう」というものだ。時速60キロの車は時速30キロの車の4倍のエネルギーを持つ。2倍ではなく4倍である。目的地まで2倍早く着けるのだから、2倍じゃないの?という素朴な疑問が浮かんだ。きっと小学生の時に教わる、速さの平均がそのまま計算できない話と同じくらい不思議だった。

 さて、この疑問にもっともらしい説明はできるだろうか。理由を言えと言われたら、F=maだからというニュートンの基本公式を出されて終わってしまう。この公式が経験則として100%当てはまっているから、運動エネルギーは速度の2乗なんだ、ということである。なんかモヤモヤするが、そういうことらしい。

 時速30キロの車が時速31キロになる方が時速60キロの車が時速61キロになるよりも約2倍簡単ということになる。速度が上がるほど、加速するのは難しくなる。本当にそうなのか?実際の大気中では空気抵抗が速度の2乗に比例して大きくなるので速度が上がるほど加速は難しくなるが、真空だったら問題ないはずだ。抵抗がない状態で一定のペースで力を掛け続けると速度はどんどん大きくなっていくが、別に速度が上がったところで力は一定のはずだ。速度が大きくなったところで物体が重く感じるわけではない。それでは高速で運動する物体の「加速しにくさ」はどこから来るのだろうか?

 これはエネルギーという概念の定義に遡る必要がある。エネルギーは人間が優れた頭脳で考えだした人工的な概念であり、ありのままの姿で存在するわけではない。単にエネルギーという概念を持ち出せば自然現象の解釈と予測が万事うまく行くというだけである。この点はエントロピー等と同じだ。

 エネルギーの定義は力✕距離であった。ザラザラした面の上の物体を1Nの力で1メートル押せば1ジュールである。これが全ての基本にある。

 それならツルツルして全く抵抗の無い氷上で物体を押せばどうなるだろう。力は不要だろうか?いや、違う。物体には慣性があるので、物体を押すと押し返されてしまう。宇宙空間で物体を加速しようとしても重く感じるのと同じだ。

 ここで重要なのは慣性で「押し返される」状態になるのが物体が「加速する時」であるということである。同じ速さで滑っていれば、力をいれる必要がない。これがザラザラした面との違いだ。これは先程のF=Maが示すところでもある。質量という概念は「加速しにくさ」と同義なのである。「重さ」とは別概念だ。重さは重力の強さによって変わる。宇宙空間に行けば冷蔵庫の重さはゼロになるが、質量は変わらないので、止まっている冷蔵庫を押そうとすればかなりの力が必要だ。確かに物体にかかる重力は質量に比例するが、なぜ両者が比例するのかは完全には分かっていない。

 力・重さ・質量は比例関係にあるため、この3つは常に混同される。ただ、この3つが密接に関係があるのは偶然と言えば偶然だ。経験則によってこの3つが比例関係にあることを論じたのがニュートン力学の一丁目一番地ということになる。

 最初に定義されるのは質量だ。フランスにあるキログラム原器の質量をkgと定めた。この1kgの物体を一秒間に秒速1メートルずつ加速する力が1Nである。F=maの式通りだ。重さはなぜかはわからないが質量に比例する。地球上では9.8✕(質量)Nの力が物体にかかる重力となる。したがって地球上では物体は一秒間に9.8m毎秒ずつ加速されていく。物体の質量を図る時は体重計などを使うわけだが、これは重さが質量に比例することを利用して質量を計測しているわけである。体重計が9.8Nの力を受け取った時、地球の重量乗ではこれは1kgだと判断される。

 重さは天体によって変わるが、なぜか質量に比例する点だけは徹底している。質量が2倍3倍になれば地球に引かれる力も2倍3倍である。したがって、F=maの式を適用すればaの値は変わらないことになる。だからガリレオの実験で重さによって落下速度は変わらないという結果が出たのである。なぜ物体が引き合う力と物体を加速する時の「大変さ」が比例するのかは分からないが、そういうのが近代物理学の取り組む問題である。

 脱線してしまった。エネルギーの話に戻そう。抵抗がない状態であっても質量のある物体を動かすのには力が必要だ。表面がツルツルしている場合は減速するものがないので、物体はどんどん加速していく。

 ところである速さまで加速するのにどれくらいの行程が必要になるだろうか。物体の質量を1kg、掛ける力を1Nとした時、この物体を秒速1mにまで加速する時間は1秒だ。この期間に進む距離は0.5mである。

 今度は物体を秒速2mまで加速してみよう。この期間に進む距離は2mとなる。速度が2倍になるまで加速を受けた距離は4倍になってしまった。先程のエネルギーの定義によればエネルギーは力✕距離なので、運動エネルギーは4倍となる。やっぱり2乗に比例している。

 でもやはり腑に落ちない。エネルギーが速度の2乗に比例するのなら、速度が上がるほどに「加速しにくさ」は上がるはずだ。しかし、物体に掛ける力は一定のままで変わっていない。なぜなのだろうか。

 色々考えてみたが、台車を押すというシミュレーションを考えてみればわかりやすいかもしれない。先程の設定を流用すると、台車を秒速1mまで加速させるために足をバタバタさせる距離は0.5mだ。秒速2mまで加速させるためには2mの間、足をバタバタさせなければならない。台車が加速すればするほど台車を1Nの力で押すのは大変になる。なぜなら台車に追いつくために凄まじい勢いで走らなければならないからだ。

 加速の例えがわかりにくいのは日常生活で一定のペースで加速するというシチュエーションが少ないからかもしれない。減速で例えた方が遥かにわかりやすいことに気がついた。

 三段跳びにせよ、飛行機の不時着にせよ、高速で運動する物体がザラザラした地面に着地する例を考えてみよう。この場合、一番強い衝撃を受けるのは着地直後である。一秒間に通過する「ザラザラ」の量が多いため、火花が出たりする。減速するにつれて次第に衝撃は少なくなってくる。減速で考えるとやはり速度が上がるにつれて減速の際に受ける衝撃は大きくなってくるのだ。こうなると、エネルギーが速度の2乗に比例するという結果が理解しやすくなる。速度が2倍になると衝撃を受け続ける時間は2倍になるし1秒当たりの衝撃も2倍になるから4倍というわけである。

 しかし、である。ここにも引っかかる点がある。最初の時は明らかに火花がでていて、最後の方は地上でレッカーで動いているのと同じ程度の衝撃となるなら、かかる力は本当に一定なのか?という疑問である。明らかに火花が出ている時の方が激しい力がかかっているように見えるのだが、そうではないらしい。激しい衝撃に対抗するだけの運動エネルギーによって打ち消されているという考察もできるが、これは循環論法だ。やはりどこか釈然としないのである。

 筆者はこの素朴な疑問を長年抱き続けているのだが、ついに感覚的な理解はできないままだ。スカイダイビングは一秒ごとに増えていく運動エネルギーがどんどん増えていくことになるが、それに応じて体験者の負担が増えているようには見えない。運動とはなんなのか。加速とはなんなのか。エネルギーとはなんなのか。結局、どこかモヤモヤとした気持ち悪さが残ってしまうのである。

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