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貧富の格差が拡大する理由は実は単純である

 古今東西、貧富の格差というものは問題になってきた。多くの人間が嫌悪しながらも貧富の格差はひとりでに拡大していく。貧富の格差が是正されるようになったのは近代になって中央政府が政治的に経済を統制するようになってからだ。

 それにしてもなぜ貧富の格差は拡大するのだろうか。枝葉を省略するとその理由は実に単純だ。貧富の格差は資本主義の本質に不可分に組み込まれている。そして、それを修正することは極めて困難なのだ。

 貧富の格差が拡大するのは「足し算」で収入を得る人と「掛け算」で収入を得る人がいるからである。労働所得は基本的に「足し算」で増えていく。時給1000円のバイトを1時間やれば1000円、2時間やれば2000円である。残業代だって同じだ。高度な職種であっても一般人の5倍の価値を生み出せる人は5倍の給料が支払われる。被用者である限り、所得は足し算で増えていくのだ。

 しかし、こうした足し算の原理は資本主義では普通とは言えない。資本というのは掛け算で増えていくからだ。例えば金利は複利で増えていく。金利が年間10%であれば、1000円は一年後に1100円になり、その次の年には1210円になる。債権は複利によって指数関数的に増えていくのである。

 こうした複利の性質はカネの貸し借りのみならず、ありとあらゆる商取引に通底している。例えば不動産や企業だって同様だ。投資家は1億円の資金で国債を買うか、不動産を買うかで頭を悩ませることになる。前者は年利2%で利子が取れるが、後者は年間300万の賃料が取れるかもしれない。ただし、後者は様々なリスクが発生するため、考え方によって前者を取るか後者を取るかは異なるが、大事なのは両者が同じ土俵の話ということだ。

 企業価値に関しても似たような状況が存在する。企業価値で重要なのはPERだ。要するに時価総額に関して年間どれくらいの利益を産んでいるかという数値である。投資家は株式を売って国債に変えることもできるので、株式会社というのは存在するだけで投資家のお金を預かっていると言える。投資家を満足させるために企業は国債を上回る利潤を出さなければならない。時価総額1兆円の企業であれば、年間500億の純利益を出せば年利5%の債権と同じ性質になるだろう。

 国債・土地・企業の本質はどれも同じ債権であり、複利によって増えていく。市場経済の本質は「掛け算」なのだ。こうなると、足し算でお金を稼いでいる人間と掛け算でお金を稼いでいる人間で雲泥の差が付くことになる。所得の平均値が一般庶民の感覚とかけ離れていることは有名だが、これも掛け算で所得を増やしている一部の富裕層が平均を引き上げているからだ。所得の分布を対数で考えると普通の正規分布に近くなるらしい。

 サラリーマンでは考えられない額を稼いでいる人間は全て個人稼業だ。会社経営者・スポーツ選手・開業医などだ。これに地主や投資家を入れてもよいだろう。彼らは性質上、掛け算で所得が増える世界で生きている。したがってプレイするゲームが違うのだ。これは権力者の陰謀でも金持ちの悪意でもなく、資本主義経済の根幹を支える債権から必然的に導かれる性質だ。マタイの福音書に「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」と書かれているように、近代以前から変わらぬ法則だろう。

 もっとも、こうした性質は度々批判の対象になっていた。圧倒的多数を占める庶民は労働所得で生活しており、資本主義とは無縁の人生を送っている。人間の本能的な感覚から言っても「足し算」の世界の方が自然だ。人間は直感的に指数関数を理解できないと言われており、理解したとしても効用には反映されない。資産が10倍100倍になっても効用が10倍100倍になるわけではない。むしろ効用は頭打ちになる。金持ちが富を独り占めしている様は不公平どころか無駄に思えてくる。金持ちは一生使わない資産を死蔵しているくらいなら庶民に配れという話だ。

 人間が持っている自然な感性と資本主義経済は異なっているのではないか、という事実を指摘したのはマルクスだ。彼は資本主義の世界が本来人間の持っている自然な姿と異質なモノであると看破した。市場経済はもはや人間の手を離れて独り歩きしたモンスターのようなものなのだ。マルクスは何も全員に同じ給料を配れと言っているわけではない。足し算の世界で生きてる人間が掛け算の世界という非人間的な市場に押しつぶされている光景を疑問視したのだ。

 マルクス主義の是非はともかく、20世紀になって資本主義の行き過ぎを是正する動きが強まったのは事実である。地主制は解体され、金持ちには重税が課され、労働者は法規制で保護されるようになった。これは掛け算の世界の資本主義を少しでも足し算の世界の価値観に戻そうとする試みだ。「人間の顔をした資本主義」とでも言おうか。

 市場は無数の個人の意思決定の積み重ねであり、非民主的と言われる筋合いはない。ただし、非民主的であることと非人間的であることは別だ。善人の集まりが集団になると恐ろしいことを行うケースはたくさんある。市場も同じだ。大勢の個人と市場は違う振る舞いをするのだ。

 伝統的な日本企業は横並び賃金であり、資本主義の原理とは真逆を行く。これは会社組織の力学が市場の力学と全く違うことを示している。サラリーマンの賃金は指数関数どころか一次関数でらなく、対数関数のように伸びる。市場・会社組織・個人は同じメンツによって構成されても異なる性質を持つのである。

 なお、資本主義がダメなら共産主義にすればよいではないかという意見もあるが、こちらも問題を孕むだろう。共産主義というのは経済活動を全て組織化する試みであり、社会全体が1つの会社組織になる。人間は真社会性昆虫ではないので、そういう社会はかなりキツいだろう。多くの人間はストレスを溜めながら意欲を無くしていき、経済は破綻する。これは実際に起こったことである。


 

 

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