意見は意見、私は私

自分が幸せだと人を不幸にする

 私は子どもの頃から心配性でした。小学生のとき従姉妹の家に一人で泊まることになり、自宅に帰る両親を機嫌良く見送ったのですが、夜になって急に寂しくなり(正確に言うと心配になり)、大泣きして叔父に自宅まで送り届けてもらいました。何とも恥ずかしい思い出です。その後しばらくは親戚の笑いネタにされました。でも、私に言わせると(決して誰にも言いませんでしたが)、実は両親に会えなくて寂しかったから大泣きしたのではなく、自宅が火事になって両親や兄弟が死んでしまったらどうしようとパニックに陥ったのです。
 このときのことは、四十年以上経った今でも鮮明に覚えています。この他にも、勝手な思い込みから自分を苦しめてきたことがいくつかあります。例えば、ラッキー!と思える嬉しいことがあると、喜ぶのも束の間、「(この後に)不幸なことが起こるかもしれない。」と考えてしまうのです。また、「自分が幸せになると、人が不幸になるかもしれない。」という思い込みから、そうならないため、自分にわざと苦労をさせて自分をついていない人間に仕立てるということもしてきました。そこには、「自分が苦労した分だけ、周りの人は幸せになれる。」というセオリーが、いつの間にか私の中にできあがっていたからです。
 どうして私がこのような思いを抱くようになったのか、理由はわかりません。何か特別な出来事があったわけでもありません。でも時々、そんな生き方をしている自分に疲れてしまうことが多々ありました。

心配な気持ちは内面の反応

 どうしてこのような思いを抱くようになったのか、自分でもよくわかりません。また今でも、このセオリーに従って(縛られて)生きている部分もあります。ただ最近では、「そんなに頑張らなくても、自分が不幸にならなくても、周りの人は幸せに暮らしていけるよ。」と自分に言って聞かせることができるようになってきました。
 心配していることの90%は実際には起こらないと言われていますし、心配な気持ちは、外の世界に対する人間の「内面の反応」に過ぎないということも、冷静に考えれば理解できます。これまで様々な本を読んだり、経験を重ねてきたせいでしょうか、以前よりも肩の荷がおりたように思います。
 また、自分に対して寛容になれると、人に対しても優しく接することができ、人の幸せを心から喜べるようになってきました。一緒に切磋琢磨してきた友人が素晴らしい賞を受賞したときに、心から「良かったね」と祝福することができました。仕事が順調で確実に業績を伸ばしている元同僚に対しても、いかに彼女がいい仕事をして信頼を得ているのか具体的ノウハウを知りたいと本心から思いましたし、尊敬できる存在になりました。また彼女たちから話を聞くことで、私自身ももっと頑張ってみたいという気持ちになり、とてもいい刺激になっています。以前は「嫉妬」にも似た感情を抱いていた私が、こんなにもポジティブに受け入れられるようになるとは、正直とても嬉しい驚きです。すべては「内面の反応」なのでしょう。

意見を言うと嫌われる

 人との関係でもう一つ、自分が変わってきたなと思えることがあります。それは、自分が周りからどう思われるか、あまり気にしないようになってきたことです。もともと議論好きで評論やエッセイを好んで読み、小論文等で自分の意見を書くことも苦にならなかった私は、社会人になってからもミーティング等の席で「周りの雰囲気に合わせて忖度する」というのが苦手でした。このため何度か失敗してしまい、周りの人から「生意気だ」「キャリアを鼻にかけている」などと言われてとても落ち込んだことがありました。
 これらの経験から徐々に、人前で自分の意見を言わなくなりました。つい口走ってしまったときには、後でひどく後悔しました。いつしか人の集まりも避けるようになりました。

意見は意見、私は私

 ところが、J.と出会ってから、自分がどう思われるか気にならなくなってきました。そしてまた自由に自分の意見を言えるようになりました。彼は何かにつけて、What do you think? Why? と私の意見を聞いてきます。そのたびに私は未熟な英語で懸命に答えるのですが、彼もちゃんと自分の意見を言ってくれます。私に気を遣って自分の意見を変えるということはありません。正直、え⁈と思う瞬間もありますが、それは文化の違い、環境の違い、個人の違いとして当然だと思います。
 さらにまた、その話題が終わると、そこで述べ合った内容はその場限り、次の話題に移れば、またゼロから会話が弾みます。「あの時あの人はこう言ったから、あの日はきっとこういうタイプの人なんだ」というような要らぬ憶測は入りません。意見は意見、J.はJ.、私は私です。
 素直に自分の意見を言うことができるというのは本当に気持ちのいいものですし、相手にも本心で語ってもらえるというのは、お互いの信頼関係を築く上で必要不可欠なことだと思います。お互いが素の自分をさらけ出して、嫌だなと思う部分が見つかるのは当然ですし、そのことによって二人の距離がそれ以上縮まらないとしたら、それはその距離が二人にとってのベストの距離なんだろうと思います。嫌な面を見ないようにするというのはナンセンスだと思いますし、嫌だなと思う部分もいつしか「まあこんなものか」と思えるようになったとしたら、二人の関係は互いを高め合える素敵な関係なのだろうと思います。

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