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『ラッコ/過去編』ちいかわ考察

 本稿では漫画『ちいかわ』における変異の謎を紐解くべく、『きねんこうえんくん』を中心に考察・妄察する。

きねんこうえんくん

 ラッコが事ある毎に行く場所には『きねんこうえんくん』という名の、頭部に王冠のような装飾の施された像が建っている。ラッコは像に向かって「ある日…この像に誓ったんだ…"強くなる"と」と言っている。
 『きねんこうえんくん』は、普段ちいかわたちが生活している場所から離れたところにある。ラッコがちいかわたちを連れて行った際は、車に乗り、大きめのサービスエリアを経由して向かったことから、少なくとも高速道路を利用するほどの距離があることがわかる。像は高台のような場所にあり、柵の向こうは木々が生い茂る森である。

何の記念公園なのか

 この件についての描写は極端に少ないため、可能性を提示することしかできないが、『きねんこうえんくん』と銘打ってあるからには、その場所が何かの"記念公園"であることはほぼ間違いないだろう。ラッコが"強くなる"と誓ったこの場所で、かつて何が起こったのか。
 まずラッコが"強さ"を求めたきっかけこそが、『きねんこうえんくん』建立の理由と重なる可能性は高い。現に強くなり、『最高ランカー』となったラッコにとって『きねんこうえんくん』とは"強さの象徴"であろうことが窺える。"強さ"というものに焦点を当てるほど、ラッコの傷の意味合いは増し、なにより『きねんこうえんくん』のモデルが、かつてのラッコと深い関係性があり、現在のラッコと同等あるいはそれ以上に"強い"存在だったのではないかと思えてくる。
 現実世界における『記念公園』は"平和の象徴"としてつくられることが多い。それはつまり、その場所はかつて"平和ではなかった"、そして何らかの要因により"平和になった"ということである。これを『ちいかわ』の世界に当てはめると、『きねんこうえんくん(=記念公園)』建立以前、その場所では何らかの紛争が起きており、それを何者かが何らかの方法で終わらせた、ということになる。現在の『ちいかわ』の世界でも、"でかつよ"や"擬態型"との争い(討伐)は絶えず起こる点から見ても、後に記念公園が建立されるほどの争いというものは、かなり大規模なものであったことが窺える。


『きねんこうえんくん』の正体


 紛争を終わらせた"何者か"とは、『きねんこうえんくん』のモデルになった存在であると考えるのが自然だろう。加えて、紛争というものが上に述べたように大規模なものであった以上は、複数人からなる集団が終戦に尽力した可能性が高く、そのチームのリーダー、つまり『最高ランカー』こそが、『きねんこうえんくん』のモデルだったのではないだろうか。そしてラッコは、「なつかしいな」と発言していたことから見て、おそらくこの紛争を経験しており、当時はまだ幼く弱かったために傷を負ってしまったのではないだろうか。

紛争はなぜ起きたのか

 ではなぜ争いが起きたのか、どの勢力と勢力が衝突したのか。ここで真っ先に思い浮かぶのは、『ちいかわ族vs人間』の構図だろう。平穏に暮らしたい者たちにとって、"でかつよ"化のリスクを持つ"ちいかわ族"の存在は危険である。人間は"ちいかわ族"の殲滅を試みたであろう。当然"ちいかわ族"はそれに反発し、ストレスを感じて"でかつよ"化して戦う者も多くいたであろう。しかし現在、少なからず"ちいかわ族"は生きており、鎧を装着した人間たちと共存している。両者にとっての"平和"がある程度は叶えられているように見える。これはつまり、『ちいかわ族vs人間』の他に『"ちいかわ族"擁護派』がいたということであり、その派閥は人間と"ちいかわ族"で構成されていたということではないだろうか。擁護派のリーダーこそが『きねんこうえんくん』のモデルであり、彼の功績により現在の人間と"ちいかわ族"の共存が成立しているのだとすれば、ここを掘り下げていくことで『ちいかわ』の世界の仕組みや、ラッコの追い求める"強さ"の本質が見えてくるはずである。


『きねんこうえんくん』の力


キノコ
 "ちいかわ族"の生態のひとつに、「キノコに寄生される」というものがある。
 ある日、突如としてちいかわの頭部にキノコが"寄生"したことがあった。現段階で"寄生"された個体はちいかわのみであるが、ハチワレの処理の手際の良さから見て、"寄生"というものがさほど珍しい事象ではないことが窺える。
 ちいかわが寄生された際には、頭部に自身の身体と同じ色のキノコが生えた。現実世界にも存在するキノコの性質や、ハチワレとの会話から察するに、このキノコは"寄生"した生物から栄養分を摂取している。また、ちいかわの発言(ハチワレ翻訳)によれば、"どっちが命かわかんなくなっちゃった"らしい。この発言は単にちいかわの自己肯定感の低さからくるものである可能性も否めない。しかしこの言葉を真に受けるならば、キノコは寄生された側の栄養分だけでなく"命"をも奪ってしまうということになる。仮にこれが事実であるとすれば、かつてキノコに命を奪われた生物が存在した可能性もある。
 『ちいかわ』の世界では様々な食べ物が登場するが、なかでもキノコは特殊な描かれ方をしている。上に述べた"寄生"に加え、夜勤で胞子が"採取"されていたり、ゴブリンたちがキノコを大切にしているという描写があったりする。

 ここで『きねんこうえんくん』の話に戻る。この像の頭部にあるもの、一見王冠のようにも見えるが、"被っている"というよりは"生えている"ように見えないだろうか。

仮説①『きねんこうえんくんはキノコに寄生された』

 『きねんこうえんくん』のモデル(以後"リーダー"と呼ぶ)の頭部にあるものがキノコであると仮定した場合、当然何らかの理由により胞子が付着してしまった、ということになる。ちいかわと違って三本も寄生している(自我の強さからか、巨大化はしていない)ことから、かつての紛争は胞子が多く飛んでいる場所で起きたことになる。そして『きねんこうえんくん』の周囲は森である。

 ちいかわの発言「どっちが命かわかんなくなる」を真に受けた場合、キノコに命を奪われた生物が存在した可能性もあると上に述べたが、その成れの果ての姿こそ"キノコ"なのではないだろうか。寄生したキノコを処理しないまま時間が過ぎると、やがてキノコに全てを吸い付くされてしまう。仮にそうであるとすれば、その効果は"ちいかわ族"だったはずの"でかつよ"にも有効なはずである。つまり大量にキノコが生えている(=大量の胞子が飛んでいる)場所とは、大量の"ちいかわ族"あるいは"でかつよ"が息絶えた場所、ということになる。リーダーは紛争を止めるべく、やむなく"キノコ"の特性を利用したのではないだろうか。リーダー自身も頭部に三本も寄生されている以上、劣悪な環境下で長時間戦ったことが窺える。

仮説②『むちゃおっきい討伐』

 だがここでひとつ残る疑問は、「そもそもなぜ人間側にも"ちいかわ族"を擁護する者たちがいたのか」である。これを解決するには、"でかつよ"化について考えていく必要がある。
 "でかつよ"化の要因については前回出した記事に考察を述べたが、ここではそれをさらに掘り下げて、『"ちいかわ族"は人間と関わるようになってから"でかつよ"化するようになった』という説を提唱したい。

仮説③『ちいかわ族の過去』

※ここに書く内容は全て筆者の妄察である。

 前回の記事で、現在の『ちいかわ』の世界は安全な人間の居住区域と危険なちいかわ族の居住区域とに分けられていると述べた。これも紛争の後に成された政策の一環であり、元来"ちいかわ族"は地球上の至る所に生息しており、後に現れた人間とも最初は友好的な関係を築けていた(人間社会の生活にも溶け込んでいた)が、人間社会の発展とともに、次第に労働にストレスを感じ始めたちいかわ族の一部が"でかつよ"化し始め、人間は"ちいかわ族"と共に"討伐隊"を結成、危険と隣り合わせの日々が始まると、悪意はなくとも変異のリスクを持つ"ちいかわ族"と距離をおくようになっていった。
 次第に人間は"ちいかわ族"を人里離れた場所に追いやるようになり、人間と"ちいかわ族"との軋轢は徐々に深まり、やがて一部のちいかわ族と人間との間で抗争が起こり始め、最終的には"ちいかわ族"の不満が爆発、人間に対して暴動を起こすべく、世界中から大勢の"ちいかわ族"がひとつの場所に集結、その多くが"でかつよ"化してしまう。
 そこに共存を望む人間とちいかわ族のチームが割って入り、リーダーの働きかけにより、多くの犠牲を伴いながらも紛争は収まった。
 リーダーの功績を称え、二度と過ちが繰り返されぬよう、戦地跡に『きねんこうえんくん』が建てられた。

"ちいかわ族"の現在

 これを機に人間は、変異のリスクが消えたわけではないにせよ再び"ちいかわ族"との共存を目指す。
・ちいかわ族はひとつの地域に集められ、そこが彼らの"居住区"となる。
・"居住区"の各地には人間が創った『湧きドコロ』を設置し、"ちいかわ族"の食を確保する。→個体数を調整する。
・"居住区"において人間はを着用することで安全を確保する。
・ちいかわ族の雇用政策が進められ、安全性が認められた者には『スーパーアルバイター』の資格を、"でかつよ"に対抗できる力を持つ者には『ランカー』の称号が与えられる。
・人間の法の穴をくぐり抜け、"でかつよ"化を危惧する"ちいかわ族"のために"身体"を入れ替えたり奪ったりする技術が生まれる。


ラッコの"強さ"

 "ちいかわ族"が"でかつよ"化してしまうこと自体が、そもそも彼らにとって良いことか悪いことかは未だ定かではないが、あの世界の社会における"でかつよ"とは非常に生き辛い存在である。少なくともラッコの言う"強さ"とは「でかつよになる」ことではなく、かつてリーダーが自分を救ってくれた"強さ"である。ラッコを「お師匠」と呼び慕うハチワレが追い求める「強さ」が、ラッコのそれとイコールになるとは限らないという点が、読者にしてみれば極めて大きな不安要素である。
 "強さ"を追い求めるラッコとハチワレ、キノコに寄生されたリーダーとちいかわ……ラッコがちいかわ達に「見せたいものがある」と言って『きねんこうえんくん』に連れて行ったこと、ちいかわに「自信をもて」と言ったことの意味合いは大きいのではないだろうか。
 ハチワレの求める"強さ"が何であれ、ちいかわは"ちいさくてかわいいやつでいたい"という明確な"願い"を持っている。この"願い"が、『きねんこうえんくん』つまりリーダーがラッコに約束させた"強さ"と直接結び付くとすれば、ハチワレに本当の"強さ"を示すことができるのは、友であるちいかわだけということになる。平和を望む読者達は、誰よりもちいかわの成長を見届ける必要があるだろう。


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