ゆるふわなINTJ女子?人といる時より一人の方が私は私としていられる

よくINTJは「殺意の目」「友達いない」とか言われている。でも私はそんな感じじゃないよな、なんでだろう?と振り返ってみている。

中学2年生くらいの時に、部活の友達に「いつも真顔だよね」と言われてから、意識してふわっと顔の力を抜くようにした。口角も少し上げるようにした。眠そうな害のない表情になる。これは擬態なのかもしれない。


高校生くらいの頃から、私は自分の中の「大切なこと」と「どうでもいいこと」をちゃんとわけるようになった。
それまでは完璧主義的傾向が強かったので自分のやることは全てコントロールしたいという思いが強かった。

でも大事なこと以外は、最低限の軌道に乗せておけば大丈夫、ということした。
たとえば、「文学」は大事なことだった。

学校の勉強は及第点を取れれば良い、ということにした。他人と接する時は「及第点を取れればいい自分」なので、意思がなく、周りについていくような自分になる。(周りがしている勉強をすれば試験には受かる)だから、ゆるふわに見えるのかもしれない。

こうやって考えてみると、自分の大事なことが一人での作業(本を読む、文章を書く)だから、他人といる時の自分とのギャップになるのかもしれない。

他人といる時より、一人でいる時の方が私は私としていられる。
でも他人といるのも嫌いではない。見学者のようにふわふわとそこにいる。無理して擬態しているわけではない。省エネモードなのかもしれない。

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