ひよっこ

好きなもの:スピッツ MBTI マンガ MBTIのネット診断ではINTJでした(?)…

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好きなもの:スピッツ MBTI マンガ MBTIのネット診断ではINTJでした(?) ライフハックとかも好きです。

最近の記事

INTJ女とINTP男が付き合うと その2 結婚後

このNOTEで一番閲覧数が多い記事が 「INTJ女とINTP男が付き合うと」なのだが、その続きを。 現在は結婚し同居をしている。NT同士の夫婦だなと感じる点など書いていきたい。 1.できるだけ家事は家電に  T 効率化重視 現在使ってる便利家電として ・食洗機(私が一人暮らしの時から所持 タンク式で取り付け工事不要) ・乾燥機付きドラム洗濯機(2人暮らし開始後購入) ・ホットクック(2人暮らし開始後購入) ・電子鍋(偶然人にもらって活用中 食卓で鍋など) ・ルンバ(夫が以

    • ワールドトリガーの三雲修はISFJ的に振る舞うINTJなのか?INFJ?能力のない段階でINTJはどう振る舞うか

      ワールドトリガーにはまっている。読み終わるのが惜しいのでゆっくり読んでいてまだ15巻の途中だ。 三雲修のMBTIをネットで見るとINTJ説が出てきた。ただネットでも議論は割れているよう。 まだ15巻なので最新まで読めばまた変わるのかもしれないが途中の今の感想をあえて書いてみたい。 遊真には「面倒見の鬼だな」みたいによく言われていたのでISFJはぱっと浮かぶ。 マンガなどの創作物の中のINTJはたいてい悪役のトップなどにいることが多い。ワートリでは城戸正宗がそうらしい。あと

      • スパイファミリーのロイドは本当にINTJか?ISTJでは?

        SPY×FAMILYのロイドフォージャーのMBTIは、ネットで見るとINTJと出てくることが多い。だが実際そうだろうか?スパイファミリー自体がギャグコメディ的な、家族のドタバタエピソードのようになっているので、そこはしょうがないのかもしれないが。 ロイドのこんな点がINTJらしくない、という点を考えてみる。 まず、組織に属し、上の人間の指示のもと行動する点だ。NよりSらしさを感じる。また組織の指示で結婚したり子どもを持とうとするところに、Niが感じられずその場しのぎな印象が

        • 現実世界はF的に振る舞った方がT的に望む結果に繋がる 

            生きるか死ぬかの世界観の方がMBTIは如実に出て面白い。進撃の巨人とか、切羽詰まった時の方が人間性がでて読んでいて面白い。 現実世界でのMBTIは、カモフラージュがあって判別しにくい。共感的に振る舞った方が相手の意見を変えやすい。どれだけ理屈責めしても、共感を踏んでからでないと、説得できないなと思う人に一定数出会う。共感されると嬉しいという気持ちはF的なんだろうと思う。テレビやネットの人も自分の信者を増やすには、耳障りの良いF的な発言をした方が良い。 発言よりも行動を

        INTJ女とINTP男が付き合うと その2 結婚後

          スピッツのライブでへこんだけれど、同時に幸せを感じた話

          先日スピッツのライブに夫と行ってきた。すごく楽しい時間でありながら、同時になぜかへこんでしまった。 スピッツの曲は「君と僕」の二人の世界だ。スピッツの歌詞の「僕ら」は仲間とかではなくて僕と君だけなんだ、君と僕以外は敵なんだ、と言った内容を草野さんが書いてるのを以前読んだ気がする。 ライブ会場に行ったら私はたった2人ではないという当たり前の現実に気付かされた。歌詞の中の僕=草野マサムネではない、草野さんは偶像なんだ、と自分に言い聞かせてみるけれど、スピッツを聴く時、どうして

          スピッツのライブでへこんだけれど、同時に幸せを感じた話

          人生にアガリはない。「早く大人になりたい」が口癖の私に

          もうアラサーで年齢的には大人なのに、未だに「大人になりたい」と思ってしまう。 私のイメージする「大人」とは、人生アガリ、みたいな人なのだと思う。結婚して子供もいて、仕事ももう困ることなくなんでもこなせる。感情的に大きく揺れることなく、揺れてもすぐに戻せる人。あとは緩やかに定年を待つだけ、のような人。 いったん100%になればそのあともずっと100%が続くような気がしている。昔は大学受験に受かればもうアガリだと思ってたし、そういう傾向は今もある。恋人ができれば、結婚すれば、

          人生にアガリはない。「早く大人になりたい」が口癖の私に

          楓 「これから傷ついたり誰か傷つけても」 自分の加害性に気付かされる

          silentというドラマを見始めたら、スピッツの楓が作中に出てきた。 楓の歌詞について書きたい。 確か高校一年生の頃、スピッツの楓のMVを観ながら聴いて衝撃を受けた。 「これから傷ついたり誰か傷つけても」 以前、私は生きていくことは傷つけられる事ばかりだと思っていた。被害者のように世界を見ていた。 私は私の加害性から目を逸らしていたんだと気付かされた。 自分が自分のままで生きていくには時に人を傷つけてしまう。楓のMVで伏し目がちに歌い上げる草野さんを見て、この人は自分

          楓 「これから傷ついたり誰か傷つけても」 自分の加害性に気付かされる

          抑うつに飲み込まれそうになっても。好きな人との未来へいきたい INTJ×INTP

          気分が落ち込むとご飯も作れないし、お菓子でも食べて夕飯にしてしまう。部屋は汚くて余計自己肯定感が下がる。上手く眠れなくて、もうそれならいいやと暗闇の中スマホをいじる。 落ちていると自分を大切にすることが出来なくなって転がり落ちるようにさらに体調が悪化してしまう。 でもふと考えると、私は好きな人と一緒に生きていきたい。できるだけ健康的な未来へいきたい。それが最近の夢かもしれない。 健康的に生きることは根気と手間がいると思う。食材を買って料理して、後片付けもある。部屋の掃除も

          抑うつに飲み込まれそうになっても。好きな人との未来へいきたい INTJ×INTP

          頭の中の1人反省会 自分の、そして近しい人の不調のサインを知ろう

          ここ最近上手く眠れない。夜中目が覚めて1時間ぐらいあれこれ考えて寝付けない。(いわゆる中途覚醒。それから早朝覚醒も出てきた。)ああ言えばよかったとか、この質問すればよかったとか1人反省会を頭の中でやっている。 私だけかもしれないけれど、頭の中で相手との会話をどんどん進めてしまい、あとから振り返って、その言葉は本当にその相手が言った言葉なのか、私の頭の中の相手が言った言葉なのか混乱してしまうことがある。よくよく思い出してみると、私はこの言葉は実際は言ってないから、ここから先は

          頭の中の1人反省会 自分の、そして近しい人の不調のサインを知ろう

          ゆるふわなINTJ女子?人といる時より一人の方が私は私としていられる

          よくINTJは「殺意の目」「友達いない」とか言われている。でも私はそんな感じじゃないよな、なんでだろう?と振り返ってみている。 中学2年生くらいの時に、部活の友達に「いつも真顔だよね」と言われてから、意識してふわっと顔の力を抜くようにした。口角も少し上げるようにした。眠そうな害のない表情になる。これは擬態なのかもしれない。 高校生くらいの頃から、私は自分の中の「大切なこと」と「どうでもいいこと」をちゃんとわけるようになった。 それまでは完璧主義的傾向が強かったので自分のや

          ゆるふわなINTJ女子?人といる時より一人の方が私は私としていられる

          少し調子が悪い日の過ごし方 低空飛行でも飛んでいる

          世の中的には「調子が悪い日は無理せず休んだ方が良い」というアドバイスはよく言われる。 ただ、私自身は高校生頃に精神的な調子を崩してから、「今日は絶好調だ」という日が月に数えるほどしかない。 なので調子が良い日を待って、何もせずに休んでいると、「自分は何も出来ない」という自己効力感が下がったままの状態が続いてしまう。 少し調子が悪くてもノロノロと動き出してみると、意外と車輪が回り出して、そのうち小さな力で回し続けられるようになるかもしれない。(慣性の法則のように) また、や

          少し調子が悪い日の過ごし方 低空飛行でも飛んでいる

          症状の「外在化」をしてみる 例「生理ちゃん」「抑うつちゃん」

          「外在化」という考え方がある。症状を自分の外側のこととしてみる、のようなことだけど、なんだか説明が難しい。例を挙げれば「生理ちゃん」というマンガ、映画化もしたものがわかりやすい。 病気は本人や他の人から見ると、その人自身と一体化している、ことが多い。例えば神経性やせ症(拒食症)の人が食べ吐きしていたら、その人自身の失敗のように見えてしまう。でも外在化することで病気の症状でその人が食べ吐きしていると捉えられる。 病気の症状をその人から引き離して、客観的に見ることができる。 症

          症状の「外在化」をしてみる 例「生理ちゃん」「抑うつちゃん」

          昔好きだった本が読めない  現実を生きるための鎧を身につけたら鎧の脱ぎ方がわからなくなった

          古井由吉の「杳子」が好きだったので、最近寝る前にペラペラ読み返している。 好きだった、と過去形なのはその繊細さに今は胃もたれしそうになっているからかもしれない。 古井由吉は「内向の世代」の1人らしい。 杳子のような解像度で世界を見ていたら、きっと私は働けなくなってしまうんじゃないかなと思った。 鈍感力、みたいなものが必要になるので、意図的なのか自然になのか、心が麻痺するようになった。 「心、だなんて文学的な表現だな」と、少し医学をかじった私が茶々を入れる。 心の病気は結

          昔好きだった本が読めない  現実を生きるための鎧を身につけたら鎧の脱ぎ方がわからなくなった

          社会人になってから小説が読めないことを悩んでいたら、お仕事ドラマを見ることに思い至った

          学生の頃までは小説を読むのが好きだった。 思えばそれは現実とは別の世界に入り込めたからかもしれない。現実の大学生の自分の日常と、外国の修道院で生活する人の人生を並行して生きる(追体験する)ことができた。パラレルワールドのようなものだったのかもしれない。 社会人になり読めないのはなぜか? ・仕事で使うための実践的な知識が必要だから (精神科の本→そのまま職場で) ・具体的な話(小説)を抽象化して、それを仕事で役立たせるための具体化 の三段階が面倒臭い ただ、仕事の本を読

          社会人になってから小説が読めないことを悩んでいたら、お仕事ドラマを見ることに思い至った

          本を読むことは孤独ではない 他人に対して言えないことや言いたくないことも本には言えるかな

          「本を読まないということは、その人が孤独でないという証拠である」これは太宰治の言葉らしい。 でも、本を読むことは孤独なのだろうか?あるいは孤独だから本を読むのだろうか? 大学生の頃、放課後自室で本を読みながら、「私って寂しい奴なのかな」と思った。同級生は今頃部活やサークル、バイトなんかをしてるのかもしれない。あるいは友達や恋人と仲良く話をしているのかもしれない。 対して私は、もう100年以上前に亡くなった、行ったこともない国の人の小説を読んでいる。 いや、孤独ではない

          本を読むことは孤独ではない 他人に対して言えないことや言いたくないことも本には言えるかな

          思ってもいないことを大真面目な顔で言えるようになる練習 大人になること

          昔から思ってもないこと(お世辞や慰めの言葉)を言うのが苦手だった。苦手というか苦痛に近い。自分の中の考えや感情と口にする言葉は一致させたかった。 それはわたしにとって嘘をつくようなことで、むしろ相手に不誠実だと思っていた。お世辞を言うくらいなら無言でにこにこしてようと思った。 だからか、他人に対しても思ってることと言ってることが同じであることを求めていた。そもそも子どもの頃は、みんな一致していると思って接していたが、高校くらいになってようやく、本音と建前みたいなことを知っ

          思ってもいないことを大真面目な顔で言えるようになる練習 大人になること