スピッツのライブでへこんだけれど、同時に幸せを感じた話

先日スピッツのライブに夫と行ってきた。すごく楽しい時間でありながら、同時になぜかへこんでしまった。

スピッツの曲は「君と僕」の二人の世界だ。スピッツの歌詞の「僕ら」は仲間とかではなくて僕と君だけなんだ、君と僕以外は敵なんだ、と言った内容を草野さんが書いてるのを以前読んだ気がする。

ライブ会場に行ったら私はたった2人ではないという当たり前の現実に気付かされた。歌詞の中の僕=草野マサムネではない、草野さんは偶像なんだ、と自分に言い聞かせてみるけれど、スピッツを聴く時、どうしても僕を草野さんに重ねてしまう。

スピッツの歌詞は「1対多」ではなく「1対1」で成り立つ世界だ。だからライブ会場という「1対多」のものより、ラジオやイヤホンで聴くようなメディアにあっているのかもしれない。草野さんもその辺りは自覚的で「一人一人、あなたのために歌っています」と言った内容のことを言っていた気がする。

私は「君と僕」になれなかったのかな、と少しへこんでいた。けれど、ライブ前に夫と話していた二人の好きな曲のイントロが流れてきて、思わずお互い顔を見合わせた、その瞬間、なんだ、そうだったのかと気づいた。

私は「君」と出会えていたんだ。スピッツが作ってくれた君と僕の世界、君の椅子はずっと空席だった。(そこに偶像の草野さんが座ったりもしたが)

でも、その椅子に今夫がいる。私は幸福と、ほんの少しの寂しさを感じた。いずれ夫もいなくなるかもしれない、でもその空席を眺め、1人になった私はまたスピッツを聴くのだろう。

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