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ミステリアスな人と思われる時の感情

喜怒哀楽みたいなもの、このミステリアスひとつとっても、細分されて、ある。私自身はミステリアスな人に説明してよとは想わない。そこらへん我慢出来ないのは不思議には成る。簡潔にひとことにするならグリットというものと関係あると思う。
ミステリアスならやりぬかないのか、、やりぬくのか。ミステリアスな科目は諦めるのか。そういうところ。
色んな理由からミステリアスと思われて、色んなわけを、ミステリアスについて喋る。
そして最終的にミステリアスなら、やはり、相手は大分うけとめられないひとは、多いのかもしれない。わたしはそれについても、最終的にミステリアスなのもそんな反感は、持たない。
つまりミステリアスなら説明、義務ねとは、やはりなにやら、思わない。
こういうのは素朴に円滑にするくらいを目指している。
その様子に人によっては期待を捨ててる姿を見るかも知れない。
ここらへんは、投影、投射、同一視、転移、逆転移、とペルソナに関係する事は物凄い多い。から、真実を指摘されてるとは思わない単に。
数字をすてていたのをある日から数字を残すのも不思議とか神秘的には思うらしい。やはりこれも私はそんなに不可解には元よりおもわない。
毎日、日常を約束されてる人以外は、意外に、かなり多くこういう、生活はしてる。
その都度の獲得を人並外れた真剣さ、から、考えた人。
そういう人はちょくちょくいる。
もしかして会わないかもしれない。
すこしの棲み分けは生態系風にあるかもしれない。数にすると、フツウに、多い。
緑黄色社会もキングヌーというのも、タイアップの関係からか、ニーズに対して動機も追いついてるのか、真情をつきとめたい、みたいな、一面には身も蓋も無さの歌を、つくり、始めた。
結局、人は元々、不思議という事の答えは一律的にこたえられなくて当然。正直こたえのある問いに馴れてるきらいもあるし。
YOASOBIもなんかそういう曲をつくった。
これは実は、答えるコミュニケーションを最善とは言い難い。
そもそも論というより根幹には、こういうことは、有る。自分の頭をこういう事から使わなく成るのってかなり悪い。
つきとめられない事も対処は先に来ることは、ある。そういうことは私はとても、先にリアルに触れる事を重視している。これはかりに、語彙を越えて恐ろしい現実来るとしても、わたしはそういう真実をかなり重視している。自分って言うのは、表面に集中した時に、おしゃれにも、なれないし、表現をおもいつかないし、人間関係も「そういう所から」うまく行かない実感を持っている。
まあそういう事を、考えたり、他にも、色々、ある。 

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。