強者道徳

人を守れないような弱さ。全てのことを正しく言っても、過去の期待をレールに、していて、計画は遂行出来て、有る瞬間その意味に成った時に、不思議な程、唖然としてしまう。なんのために?人に聴いたら、わかると想っていてはたとわからない。
指示を待って居た。あれとおもうまに、与えられた時間は与えられたように、あっというまに終了した。永遠の様な一瞬の様な。
大事な時間は、力には、はからないと言いつつ率先もしなかった、それは力による。
愛するちょっとの活力に毎回不足するなら。ひとを愛するほうの力は、ないのかもしれない。
ちょっと強く成っても優しい人は多いのに。
体となると、関心わかない、かもしれない。
色んな事に気をはらう中に、軽視のされそうな形や芸道の道筋や、単に立ち向かえる強さを物理的には持てたという、そこはぬけていたり、あるあるとして、現代に染まっている。
つみかさねの歴史と、いうわりには人間は破壊を繰り返している。
すこしの悪には頭準備出来てないと、良識の限界はいつも或る程度、決まって居る。

いわゆる常套のやられ方にも綺麗事を準備してた。
そうなった時に義務とは言えなくてもひとを守る事は、出来ない。

失って気付くカルマの様なかたちに結実するのか着地してゆく。

中年になって生活と葛藤したりする。
急にファイトしようかなあと、なると、加減の掴み方に難点を抱える。

すこしの喧嘩をしてきてるひとは、こう成らない。
悪の内在化に成功してるから。理想やきれいな事と乖離した現実も内面から、ちゃんと話せる。
見たくないものから全て守られてしまうとこういうちからを全部そのときから、育てるしか無い。
すこし認識の変えかた、捉えようからありのままの醜さは見ない様にしているから。
破局を男女するときに、限界のきわを見てからしようというのは無論問題を引き起こす。
ありのままの、負の面は、見ないから。
余分に強くて困るかと言うとこういう面に直面出来る。自分の発言をいつしか、自虐かセルフPRか、なけなしの諧謔か混沌として来るのは、無口な時間を充実させて、強く成らなかったから。愚痴も少しの効果はある。それに、頼ったから。相手にモラルを要求しなきゃいけない程、よわいと、ルールは言いたく成る。耐えられないから。相手の良識を増やして自分は対応するしかない。その時って、ついつい主語を失ってしまう。説得力のなおせる所は、こういう所。諦めるには早い。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。