19話 紅蓮の勇者

 幼き日のことだ。私はただひたすらに剣の修行に打ち込み、教養を身につけ、礼儀作法を必死に学んだ。

 それは国への忠誠心でもなんでもない。
ただ父に、母に、褒めてほしかった。認めてほしかった。
ちゃんと愛されているのだと知りたかった。
 私は17の時に王の御前試合でもある皇族護衛役を選定する試合に出場した。
教養と家柄、礼儀作法は全て合格し、後は剣術の腕を皇族の方々にお見せする試合に優勝するだけだった。
 しかし、私は決勝で敗北した。相手は同じ軍人を輩出する子爵家の次女。
運もあったのかもしれないが私は一歩及ばず、剣術で負けた。

 当然ながら皇族護衛役に私が選ばれる事はなく、そんな私を父と母は無能と蔑んで子爵家から追放した。

 私には生きる理由が無かった。
何かをする気にもなれず、ふらふらと王都を彷徨い続けたある日のことだった。
『厄災』が国に迫っているという話が王都中に広がった。
『厄災』とはそう呼称されている、とある幻獣種のことだった。

 その『厄災』を討伐せんと立ち上がった討伐隊が志願者を集めていて、私はそれに志願した。
別に倒せるなんて思っていた訳ではない、討伐隊に参加して見事『厄災』を討伐できたなら、父と母が見直してくれるかもなんて微塵も思っていなかった。

私はただ死にたかった、死に場所を求めていたのだ。

 ふざけた話だと思う。
国のため、人々のためと立ち上がり、正義と信念を掲げる勇気ある者達の中に自殺志願者が混じっているんだ、笑えてくる。

 あぁ、もし彼らが生きているのならいくらでも罵ってくれて構わなかった、でも彼らはもう死んだ。死んでしまった。

 『厄災』はその名の通り、只人にはどうすることもできない存在だった。
千人の討伐隊がほんの10分もしないうちに私一人だけになって、そして奇跡が起きた。

「『厄災』を討ちなさい」

どこからか声が聞こえてきて、私に紅蓮が宿った。
いや、目覚めた、と言った方が正しいのかもしれない。

 声の主は私の心など知らないのだろう。
もしも知っていたのなら自殺志願者に、戦えと祝福などしなかったはずだ。
そうして、私は死に場所を失った。
その日、私は『厄災』を討伐して『紅蓮の勇者』となった。


 討伐隊の人々の信念を、正義を、受け継ぎもせずに……。
彼らの意志が、信念が、苦難と闇に立ち上がった真の勇者たちが無かったことにされて……。
『紅蓮の勇者』だけが一人歩きしていた、私にはそんな高潔な勇気などなかった。持ってなどいなかった。
ただ本当に死にたかっただけだった。

 名誉も地位も望まない、望める訳がない。
だから私は『紅蓮の勇者』である事を隠すように陛下に求めた。
 私はただのオルカ・レイディアンとして兵士になり、やがて国軍の小隊長に昇進した。
5年の時をただ兵役に従事し抜け殻のように過ごしていたが、ある日を境に私の人生は大きく変わった。

 ラム。可愛くて、愛おしくて、才能に溢れた私の弟子。
ラムと出会えた時から私の運命は決まっていたのかもしれない。

ラムのおかげで、生きる意味ができた。
人生が彩った。
だから今の私には信念がある、戦う勇気がある。

勇者は守るものがあるから、護りたい人がいるから、苦難と闇を恐れずに巨大な敵に立ち向かえるのだろう。


────────────。


 夜の戦場は、今が夜だとは思えないほど明るく照らされていた。

 それは人型の炎と形容できるだろう。
オルカは頭から爪先まで全てが紅蓮に包まれ、本当に人間であるかも分からぬほどに赤熱していた。
直視すれば瞬く間もなく眼が焼けて潰れるであろう紅蓮の光と熱波を放ちながら、紅蓮の剣を魔導老公に向けた。


「なぜ…!儂の無敵結界は主神の力も防げるのじゃぞ!?
何故こんなにも熱い?何故じゃ!?」

「さあ?まず老耄の方から灰になってもらいましょうか!」

「ひぃっ!認められん!何故じゃ!?その紅蓮は主神の力ではなかったのか!?」

 オルカが魔導老公に向かって走り出した。
紅蓮の剣は炎と熱波を撒きながら魔導老公に迫るが、それをアウリクスが遮った。
黄金の拳と紅蓮の刃がぶつかり合う。
アウリクスの拳が、その皮膚がジュウジュウと音を立てて焼けていた。

「凍てつかせ!捕らえよ!『氷結牢獄』!!」

 その隙に魔導老公が詠唱を終えた魔術を繰り出す。
氷結牢獄は指定した座標内の空間を完全に凍結させる魔術である。
 オルカとアウリクスのいる場所を指定した魔導老公は纏めて凍らせるつもりでいた。

「この魔術は発生と同時に事象が完了するのじゃ、絶対に避けられん初見殺しの魔術じゃよ。」

 アウリクスとオルカのいた場所には巨大な四角形の氷の塊ができていたが、氷は一瞬で真っ赤になって蒸発し、内側から紅蓮が吹き荒れる。

「氷?随分ぬるいですね?」

 アウリクスは勿論のこと、オルカもまた健在であり、氷が無くなってすぐに拳と剣がぶつかり合う。

「ええい、ならばこれならどうじゃ?!
青と赤!混ざり合って対と成し、覇を詠ん!
『群青緋色魔導光線』!!!!!」

青と赤、2色の魔素が混ざり合った光線が魔導老公の手から放たれる。

「まだじゃ!『身体強化』『全能力強化』!」

アウリクスに魔術の光が宿り、その拳はより加速して速く重くなった。

「大地よ、喝采せよ!怨敵に魂の叫びを与えよ!『岩魂喝采』!」

 オルカは光線を難なく紅蓮で斬り払い、続く二振りでアウリクスの拳を弾き上げ、その胴体に炎を浴びせる。
 地面が崩れ、数百の強大な岩石が形成されて空に浮き上がり、オルカは剣を納刀した。
 鞘の隙間から紅蓮の炎が、今か今かと待ち侘びて滴り落ちる。
岩石たちは一斉にオルカに向かって降り注いだ。

「真紅の正義は今ここに!抜刀!!!」

 鞘に溜め込まれた紅蓮の炎は吐き出され、降り注ぐ岩石は全て炎に溶けて消えた。
 吹き荒れる熱波が魔導老公の皮膚を焼き焦がし、魔導老公は溜まらず情けない悲鳴を上げていた。

「ぎぇぇ!なんじゃこの炎は!何故儂の『無敵結界』を貫通するんじゃあ!」

「私の紅蓮が言っていますよ、早くお前を焼き殺したい、とね。」

オルカはぎらりと眼を光らせ、魔導老公を睨みつけた。

「ひ、ひぁ、あ、あああアアウリクスゥゥゥゥゥゥッッッッッ!!」

 魔導老公は狼狽えながら悲鳴のようにアウリクスを呼び叫ぶ。
 術者の命令に忠実に、アウリクスは弾き出されたように駆けてオルカに殴りかかる。
 オルカの紅蓮の剣とアウリクスの黄金に輝く拳が激しくぶつかり合い、高速でぶつかり合う攻撃の余波で吹き荒れる紅蓮がアウリクスの肌を、大地を、天を、焼き焦がす。

 ここまでの闘いはオルカが優勢に立っていたが、変化が訪れ始めた。
 アウリクスの拳が更に加速していくのだ。
不完全な人工的な魂ではアウリクスの肉体を未だ十全には扱えていなかったが、運用されていく中で成長しているのか、又は人工魂魄が肉体に適応しているのか、アウリクスは更なる力を出し始めていた。

「おぉ!もしや、アウリクスは未だ本来の性能を、主神の加護を発揮しきれておらんかったのか!?
人工魂魄が生まれたばかりの無垢じゃったからか?それとも、儂の生成技術が未熟故か?
なんにせよ、いい傾向じゃ!やれ!アウリクス!そのまま叩きのめすのだ!!
呪を以て、その魂を縛り付けん!『怨嗟呪縛魂』!」

 激しくぶつかり合うオルカに目がけて魔導老公は魔術を唱える。
『怨嗟呪縛魂』とは指定した対象に呪いを与え、その動きを縛るものだ。
極まった魔術による呪いならば一般人であれば呼吸すら出来ずに息耐えるが、オルカは呪いを受けてもなお、その剣筋が鈍る事はない。

「効かぬのか!?ならば……雷よ!怨敵を裁け!『源聖雷砲』!」

 白色の雷が砲弾となって無数に打ち出され、オルカに向かっていく。
オルカはアウリクスと戦いながらもその場を退いて魔術を避けきってみせた。

そして……オルカの周りに迸る紅蓮がより一層燃え盛り輝きを放つ。

「やはり2対1は厳しいですね………。
では、アウリクスから仕留めるとしましょうか!」

静かに剣を納刀し、オルカ・レイディアンが神言を詠う。

「今こそ!

真紅の正義を剣に込め、火の神の祝福のもとに紅蓮を以て、ここに諸悪を断罪せん。


────────抜刀ッ!


 一度納められた紅蓮の剣は鞘から再度抜き放たれた。
刹那、真紅の光と紅蓮の炎が溢れ出し、
全て焼き尽くさんとする熱波と共に、小太陽の如き炎熱の斬撃が放たれる。

 対する魔導老公は自らの前に盾となるべく立っているアウリクスに向かって冷静に防御魔術を仕掛けた。

『炎熱耐性』『衝撃耐性』『斬撃耐性』『致命無効』『継続治癒』『瞬間硬化』『全能力強化』『無敵結界』

「なんとしても防ぐのじゃあ!アウリクスゥゥゥ!!」

 両腕を交差して防御の構えをとったアウリクスが嵐の如き紅蓮の炎に飲み込まれた。
 やがて炎が収まって姿を現したアウリクスは、全身が黒く焦げた状態で両腕を交差したまま膝を突いて沈黙していた。

「やりましたか……?」

オルカがそう呟いた。

「そ、そんな馬鹿な!無敵結界を貫通して魔術回廊が焼き切れたじゃと!?
ああぁぁア、アウリクスが負けるわけがない!主神の加護を上回る力などこの大地にありえる訳が?!?
いや、待て……違う?
まさか『紅蓮の勇者』の力は、その源流はこの世界の神の力ではないという事じゃったのか!?
主神ではない、こことは異なる世界、異なる理に則った神の力であるならば!
儂の『無敵結界』が効かぬのも、アウリクスを超える力にも説得が……」

魔導老公は目に映る光景に、言葉の途中で息を呑んだ。

 アウリクスがゆっくりと立ち上がっていた。
パラパラ、ペリペリと、音を立てながら焦げた肌が剥がれて地面に落ちていき、剥がれた先から肌が再生していく。

「まだ、立ち上がるとは……死霊魔術とはここまでできるというのですか。」

 オルカはアウリクスの強靭さと、それを操り再生させる死霊魔術に対して驚いていたが、魔導老公はもっと驚いていた。

「いいや……いいや!!!違う!そ、そんな、なんじゃこれは!
儂の魔術回廊は焼き切れておる!動力となる魔素は送られていない!何故動く!?
今の状態で再生できる訳が……」

 魔導老公は魔術回廊と呼ばれる魔素で生成された管のようなものを通して動力となる魔素を送り、人工魂魄を動かしていた。
 それによってアウリクスの死体は自力で動くことができていたが、オルカの渾身の技によってアウリクスが焼き尽くされ、魔導老公との間にあった魔術回廊は焼き切れていた。

 つまり、アウリクスは既にただの死体になっているはずであり、動ける筈が無かった。
 そのアウリクスは辺りを見渡すように顔をキョロキョロと動かして、オルカに視線を合わせた。

今まで無表情だったアウリクスがふわりと笑みを浮かべて、口を開いた。

「やあ、初めまして?
突然で申し訳ないんだが、一つ聞きたいんだ。
君は誰なんだ?それで、俺たちは戦っていたのか?」

 オルカは驚きのあまり、すぐには言葉が出てこなかった。
あのアウリクスが喋っている。

 死んだ筈の死体が、生きているかのように呼吸し、思考し、己の意志を持ってこちらに問いかけてすらいる。

少しの間を置いてからオルカは質問をした。

「貴方は……自分が誰か分かっているのですか?
今までの記憶はあるのですか?!」

対してアウリクスは、困ったような顔をして質問に応えた。

「いや、勿論分かっているさ。
自己紹介すればいいか?
俺はアウリクス!主神の加護を受けた戦士だ!
で、色々あって俺は自分から墓に入って自死した筈なんだが……。
気づけば戦場に居て、そこら中が燃え盛ってる、目の前にはきっと恐ろしく強いだろう剣士の女性が立ってるときた。
うーん、考えてもよく分からないな!
多分俺って丸焦げになってたみたいだし、貴女がやったんだろ?俺たちは戦ってたんだよな?なんでだ?」

「ええ、私たちは戦っていました。
そこの老人が死体である貴方を墓から掘り起こし、死霊魔術で操って戦わせていたのです。
帝国と公国は戦争状態で、ここはその戦場です。
あぁ、貴方は、本当にアウリクスなのですね……。
でしたら!力を貸してはくれませんか!?
この大陸に争乱を巻き起こそうと侵略行為を行う悪しき帝国を共に止めてはくれませんか!」

 アウリクスは腕を組んで考え出した。
ちらりと魔導老公の方を見るが、魔導老公は汗を滝のように流しながらブツブツと何かを必死に考えているようだった。

「なあ、ご老人?なんで俺を操って戦争してんだ?
というか魔術ってよく分からんのだが、死者蘇生なんてできるのか?」

魔導老公はバッと眼を見開き、口を開いた。

「人工魂魄に!肉体に刻まれた記憶が転写されたことで擬似的な死者蘇生のようなものができたということじゃ!!!!
アウリクスの魂は既にこの世には無い!
人工魂魄は己に転写されたアウリクスの記憶を信じ込み、己をアウリクスだと思い込んでおるだけじゃよ!!
つまり!アウリクスが蘇った訳ではなく儂が造った人工魂魄である以上、魔術回廊を復旧させれば変わらず意のままに操れる!」

「そりゃすげえなぁ、じゃあ俺はご老人の言いなりって事か?」

 アウリクスは他人事のように心底驚いたと言わんばかりにうんうんと頷きながら話を聞いていた。
魔導老公はすっかり自信と余裕を取り戻し、アウリクスに命令にした。

「結果良ければ全て良しじゃ!
ではアウリクスよ!お主の全力を以てあの女を叩き潰すのじゃ!
お主は儂に逆らえんぞ!さあ!やるのじゃ!」

「おぉ?身体が勝手に、いや、俺はアンタを倒さなきゃいけない気がしてきたぜ。」

アウリクスがオルカに向かって拳を握った。

「そんな、戦わねばならないと言うのですか?
アウリクス!貴方はそれで良いのですか!?
英雄であり続けた貴方が、帝国の悪行を許すと言うのですか!?」

全身に黄金の輝くオーラを纏う。
黄金の双眸に光が宿る。

「いや、戦争なんて良くないと思うぜ?
でも、ただの蛮族の略奪行為じゃないのは分かる。
どんな時代にも、戦争には理由があった、どちらにも正義があるんだよ……。
俺はそれを知っているから、操られている以上は仕方ないと割り切るさ。
……悪いな、戦う以上は改めて名乗らせてもらうぜ。」

アウリクスはそう言って大きく息を吸い、戦場全体に行き渡る様な大声量で名乗りを上げた。

「俺はアウリクス!!!!!!
主神より祝福を授かった神徒である!!!
さぁ名乗りを上げよ!誇り高き戦士よ!!!」

 黄金の闘気が爆ぜた。
夜空にいくつもの星が流れ出し、世界がその存在を祝福しているようだった。

オルカは意を決して佇まいを直し、深呼吸をして剣を握りしめた。
そして、息を吸って大きく叫んだ。

「私は『紅蓮の勇者』オルカ・レイディアン!!!
現代に蘇りし大英雄よ、偉大な大戦士よ!!!
いざ!お相手願いますッッ!」

紅蓮の炎が燃え盛り、大地を、天を、焼いても足りぬと、なおも激しく炎が踊り走る。

名乗りを上げて剣を構えるオルカを見て、アウリクスは快活に笑った。

「ああ!いざ勝負だッ!」



この日、公国領にて。

英雄と勇者が闘った。
黄金の闘気と紅蓮の炎がぶつかり合った。

「「うおおオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッ!!!!!!」」

どちらの戦士も一歩も譲る事なく闘った。

「この身、この命を燃やし尽くしてでも貴方を倒してみせるッッ!
紅蓮よ!今この一瞬に全てを賭けさせてくれ、今一度私に強大な敵を討つ力を!!勇気を!!!!」

「その意気や良し!!かかってこい紅蓮の勇者!!!
俺も俺の全力で応えよう!!!!!
主神よ!どうかこの闘いを御照覧あれ!!!」

双方の戦士の黄金と紅蓮の輝きは夜空を彩り、大陸の果てまで照らしたと言う。

「悔しいぜ……だが見事だった…。
俺が全力を出して敗れる日が来るとはな…。」

英雄は膝を突いた。
その身は半身が灰塵と化して消え、残った半身も黒く焦げてほとんどが炭になっていた。

「………お願いがあるのです、どうか聞いてはくれませんか。」

「もう今から死にゆく英雄にできることなら、なんでも聞くとも。」

「……私には……たった一人の弟子がいるのです……どうか…行く末を…見守ってはくださいませんか…ただ無事を祈ってくれるだけでも…構いませんから」

その手から滑り落ちた紅蓮の剣が大地に突き刺さった。

「……あぁ、お安い御用だ。」

英雄は安らかに微笑み、そして二度とその黄金の双眸に光が宿ることはなかった。

「……あぁどうか希望を持って…正道を歩んでくださいね…末永く…幸せに…無事で…」

紅蓮の剣に宿った炎と真紅の光も段々と小さくなって……消えた。

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