2章10話 考古学者ウィリス

眩しい光に包まれていたのを今でも覚えている。
父のように力強く、母のように優しげな声を覚えている。
帝国魔術師の魔導老公と死霊魔術によって操られたアウリクスに殺されたのを覚えている。

肉の一片も残らず消し飛んだはずの俺は森を彷徨っていた。
この森はアウリクスと戦った森じゃない、ラムと一緒に過ごした山の麓だった。
自分が何故この山にいるのか分からないが俺は秘密基地に行かなくちゃ行けないと感じていた、それは使命感のようでもあった。

酷く懐かしく感じる秘密基地を前にして俺は敬虔な信者のように傅いた。

そこには一本の槍が地面に突き刺さっていたからだ。
宝石のような黄金の大槍は、ただそこにあるだけで厳かな覇気を放っていた。

誰かの声が聞こえた訳じゃない、啓示を受けたわけでもない。
ただ、何か直感的なものに突き動かされて俺はその槍を握った。

「俺は……」

"汝、力を求めるか"

「これは二度目の誓いだ。もう誰にも奪わせない……!英雄になるって誓いは絶対に違えたりしない、俺は……」

「主よ、貴方に信仰と魂を捧げる!主神の徒になるとここに誓う!」

地面から抜いた黄金の大槍は白く眩い光を解き放った。
光は俺を、秘密基地を、山の周囲一帯を白く染め上げていた。


 俺はベッドから身を起こした。
頭の中が少しだけボヤけたまま冷えた水で顔を洗って、もうすっかり着慣れた絹の刺繍の入ったローブを着た。

「夢か……」

宿の主人に礼を言って街に出た。
近場の喫茶店に入ってパンとホットミルクを頼み、届くまでの間、目を瞑って周囲の人々の会話に耳を傾けた。

「騎士が殺されたらしいぞ」

「知ってる!試練の塔の前の広場で首を斬られた死体が放置されてたって聞いたぜ?」

「最近は本当に穏やかじゃないよな〜」

元から五感は優れていたけれど、この身体に蘇ってからはより一層と自分の肉体が常人離れしているのを実感する。
雑音の中から聞きたい会話を聞き取って俺はホットミルクを口にした。

「店員の方、少し聞きたいことがあるんだが良いか?」

俺が声をかけると、ホットミルクとパンを届けてくれた若い店員が元気よく答えてくれた。

"君は魔女を見たことがあるか?"

少し驚いたような顔をした店員が口を開き、何事かと話そうとした時だった、その舌が鋭利な刃物に変わって俺の喉に向かって飛び出した。
俺はその舌を切り落とし、無くなった舌のかわりに猛毒の呪詛が染み付いたパンを口に捩じ込んだ。
周囲の客に気づかれないように先ほどまで俺が座っていた椅子に店員を腰掛けさせたのは、ほんの数秒の出来事だった。

「具合が悪いのか?少し腰掛けていると良い」

俺は代金を払って店を出て、街道をしばらく歩いてから冒険者ギルドに入った。

「おはようございますウィリスさん、依頼でしょうか?」

受付をしている女性が軽やかに話しかけてくれた。

「ああ、エスペンサ共和国近郊で見つかったと噂されてる古代遺跡に調査しに行きたいんだが、ここリーメルから少し遠いからね、旅に慣れた腕利きの護衛を探しにきたんだ」

俺はギルドに考古学者として登録していた。
主神の歴史を編纂するために各地を旅していると以前から話していたので女性にはすんなりと受け入れられた。

「かしこまりました、旅に慣れていて、かつ護衛のできる冒険者となるとそれなりにベテランの者になりますので……今すぐ依頼を受諾できるとは限りません。
これから連絡を行いますので、少しばかり向こうの席に座ってお待ちいただけますか?」

「長くなるだろうと思って本を持ってきたんだ、ゆっくり待たせてもらうよ、ついでにパンとコーヒーを頼めるかな?実は朝から何も口にしてないんだ」

「はい、すぐにご用意致しますね」

俺が歴史の資料書を片手に見せて微笑むと受付の女性が少し頬を赤らめてお辞儀をした。

受付から少し離れた席に座ってギルドの室内を見渡すと、少なくない人数の冒険者たちが今後受ける依頼を吟味しているようだった。
少し口論になっている複数人の冒険者達もいれば、一人で依頼書を黙々と読み込んでいる者もいる。

コーヒーとパンが席に運ばれてきたので、感謝を伝えてからコーヒーを口にした。
今回のパンは安全なパンだった、俺個人に呪いが掛けられていて、俺が食べようとするパンが自動で呪詛が練り込まれたパンに変身する可能性も疑ってはいたが、どうやらそんな事はなかったらしい。

主神の加護を受けている俺に対して呪いを掛けることに成功する確率は無いに等しいが絶対ではない、用心するに越したことはないだろう。

資料書を読み進めて半刻も経たないうちにギルドの扉が荒々しく開けられて、怒鳴り声が飛び交うようになりギルド内が騒がしくなった。

複数人の冒険者達が急いで外に出ていく様子を覗いてから、徐ろに受付の女性の方に歩み寄り話しかけた。

できる限り自然体で、だ。

「朝から随分と騒がしいね、何があったのかな?」

「それが……ここからすぐ近くの喫茶店の店員が呪詛を受けて死んでいたようで……原因解明の為に呪詛に詳しい冒険者や呪詛士が緊急で対応を行っているんです、ウィリスさんも気をつけてくださいね、呪詛の中には周囲に伝播するモノもありますから」

「それは、なんとも恐ろしい話だね……そういえば最近では騎士が殺害されていた、なんて話も聞いたことがあるけれど本当なのかい?」

受付の女性は困ったように頷いた。

「はい、本当です、近頃は原因の分かっていない不審死が多いので、リーメルから離れるのは良いタイミングかもしれませんね」

「そうだね、もう少しリーメルに居るつもりだったけれど早めにエスペンサに向かおうかな」

俺は席に座ってもう一度資料書を開き直した。

どうにもリーメル国内の情勢はかなり不穏な空気が漂っている。
帝国と戦争をしている連合国軍に支援すべきだという好戦的な騎士の声が大きくなっていて、中立国としての立場を貫くべきという騎士派閥が弱まってきている。
中には不審死として片付けられているが、中立派の騎士やその親族の暗殺も目立ち始めた。

今までとはやり方が違うようだが騎士の斬首死体が広場に放置されていたなど、歯止めが効かなくなってきているようだし、リーメルから少し離れた方が良いのは間違いない。
リーメル騎士国家を帝国との戦争に巻き込みたくて仕方ない者が暗躍していそうだ。

「………ん、そうか、魔女か」

俺がそう小さく口にしてからコーヒーを手に取れば、コーヒーカップの中身は酷く濁った呪詛入りの泥水に変わっていた。
こんなにも分かりやすいクイズもないだろう、大正解、と邪悪が大笑いしている。

しまった、後悔しても仕方ないが先ほどの喫茶店の店員は魔女の刺客などではなかった。
市井に無差別にばら撒かれているのか?魔女に対しての知識や発言に呼応して発現する呪詛とは……悪辣にも程がある。

これはもうダメだ、リーメルはほぼ魔女の手に堕ちかけている。
コーヒーカップの中身を黄金の力で消滅させて、大人しく資料書を読むことにした。

昼を跨いだ辺りで一人の冒険者がこちらに向かってきた。

「あんたが……エスペンサに行きたがってる考古学者か?」

声をかけてきた冒険者は大槌を背負った壮年の冒険者だ。
落ち着いた雰囲気をしていて、身に纏う装備は軽装に大槌が一つだけ。
それなりにベテランの冒険者であるというのは間違いないようだった。

「はい、依頼を見てくれたんでしょうか」

「あぁ見たぜ、俺もちょいとエスペンサに用があってな、依頼を受けたい」

「明日の早朝から馬車で向かうのですが、構いませんか?」

「問題ない、俺の名前はバルドだ、よろしくな学者さん」

「ウィリスです、よろしくお願いしますねバルドさん」

俺はバルドと握手を交わしてから宿に戻った。

早朝、俺とバルドは馬車を走らせていた、馬が一頭に小さな馬車が一つ。

俺は御者をしながらバルドに話しかけた。

「問題なければお聞きしたいのですが、エスペンサにはどういった用で?」

「まあ……リーメルからはちょいと距離を置こうと思ってなあ」

バルドは苦虫を潰したような顔をしていた。

「ははは、なるほど、ここ最近は不穏な話が多かったからですかね?」

「そうだぜ、俺はそれなりに長い間リーメルを拠点として活動してたんだが、知り合いの騎士が最近殺されてな」

「誰に……と聞くのは野暮な質問でしたね」

「ああ、派閥争いに巻き込まれちまったんだろうよ、騎士道なんて立派なもんは薄れつつあるのかもしれんがな、騎士が暗殺なんて始めたら終わりだろうよ」

「なるほど……今リーメルを離れようとしている冒険者は多いのでしょうか?」

「いいや?若いやつらは、今のリーメルの空気感ってやつをよく分かってねえだろうな……。
良くねえ風を感じたらとっとバックれるのが冒険者なんていう根無し野郎でいるコツだ」

バルドは自虐めいた風に笑っていた。

なるほど、彼は優秀な冒険者なようだ、少なくともベテランであることは間違いない。

「あー、学者さんは遺跡を調査しに行くんだったか?遺跡なんてどこにでもあるだろうに、なんでわざわざエスペンサなんだ?」

「はるか昔、まだ英雄アウリクスが存命だった頃にエスペンサの地域で猛威を奮った怪物をご存じですか?」

「学がないもんで、よく知らねえなあ」

「【魔樹フェルメール】という幻獣種が居たんですよ、それはもう恐ろしい怪物です」

「へえ、どう恐ろしいってんだ?どうせ最後はアウリクスにぶちのめされたんだろ?」

「はい、最後はアウリクスにぶちのめされましたよ、ただそれまでに最も多くの被害を出した幻獣種だと言われています」

魔樹フェルメール。

その正体は森の中に生えた小さな小枝の様な木だった。
木に咲いた花は大量の花粉を風に乗せて飛ばし、その花粉を吸ったありとあらゆる動物と人間は魂に根付いた魔樹に身も心も支配されたと言われている。

魔樹自体は森の奥深い場所に隠れていたこと
支配されている動物や人間は自分が支配されていると自覚できず、見た目や普段の言動からでは支配されているかどうかを判別できない

「ある日突然暴動が起きて一つの国が滅びました、その国に住んでいた全ての国民は森の中に入っていって誰も帰ってこなかったのです」

「うへえ、恐ろしいぜ、結局全員その魔樹に食われたのか?」

「はい、数多くの文献には数万人の人間が捕食されたと書かれています」

「それで?遺跡にはそのフェルメールの事を調べに行くのか」

「そうですね」

アウリクスの英雄譚にはフェルメールに支配された友を助けた話がある。
だが、そこにはどうやって助けたかは書かれていなかったのだ、どの文献にも支配を解く術は書かれていない。
遺跡になら魂にまで影響を及ぼす支配を解くヒントが記されているかもしれない。

ラムは魔女の支配を受けている。
一月ほど前、俺はリーメルの港町を歩くラムの姿を見た。
驚いて声をかけようとした時だった、主神の啓示が頭の中で響き、俺は結局その場でラムと関わる事はなかった。

ラムが生きていた事は嬉しい、大きく成長した姿を見て涙が出そうにもなった。
だが、同時に絶望もした、主神の啓示を受けてから注意深く眼を凝らせば、身体の隅々にまで魔女の支配が浸透しているのが分かったからだ。

ラムは己が洗脳や支配を受けているとは考えていないのだろう。
俺が助けてやらなくちゃいけない、暗躍する魔女から、魔女の支配から解放するために、その術を探す必要があった。

魔女の支配は強力だが、魔樹フェルメールの支配の方がより強力だ。
だから魔樹フェルメールの支配を解いた方法であれば確実に魔女の支配も打ち破れるはずだと考えついた。
ちょうどエスペンサにて新しい遺跡が見つかったという話が流れてきた、それもフェルメールが猛威を奮っていた地域で。
主神に導かれているように感じるのはきっと気のせいではないのだろう。

「エスペンサではもう既に遺跡の調査が他の学者によって行われているかもしれません、少し急ぎで向かいますからね!」

「おいおい、手柄を取られたくない気持ちは分かるが馬車をひっくり返すのだけは勘弁してくれよ?護衛どころじゃなくなっちまうからな」

もう少し待っていてくれラム、俺が必ず助けてやるからな。

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