「茶房桜坂の人々」

ここは坂の途中にあり、店の隣りには桜の木が植えられている。
店の名前は坂と桜から取って、茶房桜坂という。

主人公 なおさん(元ナレーター)
    なおさんのご主人 想一郎さん(元声優)

お店に来るお客さん

1 自閉症を子にもつお母さん
2    息子さんを癌で亡くしたカンナさん
3    ダンサーを夢見る青年ユウ君
4    奥さんが鬱病のユウスケさん
5    高齢の母を自宅で介護するシンジさん
6    見慣れないお嬢さん
7 クラウンをしているカンタさん

毎月一度、男女の朗読劇を想一郎さんとなおさんとで開催。
ここは、話すことを通して、大切なものを感じ取れる空間である。
人のぬくもりが、止まってしまった、動き出せない心を少しずつほぐしていく。

ここには、アイちゃんという15歳のメスの看板猫がいる。いつも座布団に座って寝ているが、名前を呼ぶと、お客さんの膝の上に乗ってきたり、人懐こい猫である。
茶房の店内の窓はとても大きい。
それは、外の景色が良く見渡せるように作られている。
お茶を入れる器も店主二人のこだわりで、陶器の様々な器を用意している。
温かみのある陶器の器は入れるものの味をより一層引き立ててくれる。
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今日は友達に誘われ、茶房桜坂という店にお茶を飲みに来た。
何でも今日はこちらで、店主御夫婦による朗読劇が行われるようだ。
今日の朗読劇はラヴ・レターズ。
あっ、これ私、昔、聞きに行った事がある。
たしか、主人公のアンディーとメリッサの手紙のやり取りの朗読劇だ。
店主のご主人は元声優、奥様は元ナレーターという、いわば元声のプロ同士。
どんな朗読が聞けるのか楽しみだ。
13時から始まるとのこと。
あと、10分少々で始まりだ。
その間、私は注文したお抹茶と季節の和菓子をいただく。
あっ、もうすぐはじまりそうだ。
ご主人と奥さまが椅子に腰掛けた。
お二人共、もうすっかり主人公のアンディーとメリッサになりきっておられるようだ。
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1. 先日、悲しげな表情の女性が店に来た。
初めて来る方だろうか?
見かけない顔だ。
想一郎さんが、お客さんにお茶を出してくれている間に、私は、少し心配だったその女性に、話しかけてみた。
「大丈夫ですか?」
すると、女性は、ハッと我に返ったように、
「あっ、大丈夫です」と答えた。
「よかったら、少しお話ししませんか?」
と話しかけてみた。
すると、女性は
「ありがとうございます」と言って、話し始めた。
その口から、私は衝撃的な一言を聞いた。
私、この前、子供を道づれに心中しようとしたんです。
この人の話しを聞いてみたいと思った。
すると、女性は静かに話し始めた。
前の夫とは、子供が生まれて間もなくして、別れました。それからは私が一人で子供を育てて来ました。今、子供は11歳になりました。
生まれつき、重度の自閉症があり、目を離すとどこかへ行ってしまうので、目が離せない。
大きな声での独り言も多く、外に連れ出す時にも周りに気を使って来たとのこと。
今は特別支援学級に通っているとのこと。
このお子さんが支援学級に行っている間だけが、つかの間の時間のようだ。
この前、心中をしようとしたのは、私がもし先に死んでしまったらと将来を悲観してしまったのと、外出した際、子供が急に大きな声を出した時、一人の男性から「うるせえな!黙らせろ!!」と言われた事があり、色々、悩み考えてしまったそうだ。 
その結果、二人で心中をしようと決め、海へ出掛けたとのこと。海に来て、二人で手を繋いで海の中へ入っていこうとした時、子供が楽しそうに笑ったんです。ここに遊びに来たと思ったんだと思います。その笑った顔を見て、ハッと我に返りました。
私は何て事をしようとしたのだろうかと。
私はその話しを聞きながら、泣いていた。

「一人で良く頑張ってこられましたね。」
と声を掛けた。
女性は「ありがとうございます」と言いながら、泣いていた。
「あの、こんなこと言うのもあれなんですが、
あなたも息子さんも生きてらして本当に良かった。
今まで一生懸命に生きてきたのに、もったいないです。色んな辛いことがあると思います。
けれど、負けないでください。
ここは、こうやって、お話しをしたり、ゆっくりお茶を飲んでいただく茶房です。いつでもいらしてください。」
女性は笑顔で頷いてくださった。

2. うちには半年前から来てくれている人がいる。
カンナさんという女性だ。
半年前に14歳だった息子さんを癌で亡くされた。カンナさんはうちに来たばかりの頃、憔悴しきっていた。息子さんの死から半年経っても、ずっと悲しみを引きずっていた。
そんなカンナさんに私達夫婦は、温かいお茶をお出しした。
そうしたら、「お茶を飲むと和みますね」と言ってくれた。それから、想一郎さんと私は息子さんのお話しをうかがった。
ある時、夜中にお腹が痛いと息子さんが訴えた。
その痛がり方が尋常ではなかったので、病院へ連れていった所、神経芽腫という癌が見つかった。
見つかったとき、すでに骨に転移していたそうだ。そこから、一年間、つらい治療が始まった。
息子さんは、弱音は吐かなかったそうだ。
だからこそ、親として見ていて余計に辛かったと。代わってやれるものなら代わってやりたかったとおっしゃった。
息子さんはずっと治ることを信じて頑張った。
けれど、半年前、一年間の闘病の末に亡くなったとのこと。
カンナさんは息子さんが亡くなるまで、ずっと言い続けた言葉があったそうだ。
それは、「愛してる。」ずっとずっと最期まで言い続けたそうだ。
思春期の息子さんはその言葉にずっと反応してくれなかったけれど、死の間際、遠のく意識の中で、カンナさんへ愛してると伝えたそうだ。
そのあと、意識がなくなって、亡くなったとのこと。
カンナさんは言う。
「病気から救ってやることは出来ませんでしたが、ただ一つ、あの子にずっと最期まで、愛してるよって言い続けられたことは良かったと思っています。伝え続けられたから。
だから、あの子にも最後にそれが伝わって、愛してるって返してくれたと思うんです」と話してくれた。
想一郎さんが、
「息子さんは頑張り屋さんでお母さん思いの息子さんだったんですね。」
と、声を掛けた。
私は、「悲しみはすぐには癒えないかもしれません。でも、良かったら、またうちに温かいお茶を飲みにいらしてください。」とお伝えをした。

3. その青年はいつも窓際の席でヘッドホンをしながら、お茶を飲んでいた。
人懐っこいその青年はユウ君という。 
大学を卒業してから、一度は企業へ就職をした。
けれど、心のどこかで何かが違うといつも感じていた。ある時、ストリートダンスをしている若者たちを見て、自分はやっぱりダンスがやりたいんだと気付いたそうだ。それから、彼は企業を辞め、ダンサーになる為にダンスのレッスンに明け暮れた。
オーディションには何度も応募した。
けれど、受かることはなかった。
両親からはそんなのやめなさいと言われ続けている。けれど、彼にはただ一人応援してくれる人がいた。それは学生時代から付き合っている彼女の存在。オーディションに落ちる度に、塞ぎ込み、もう駄目だと思ってしまう。
その気持ちを彼女がいつもすくい上げてくれた。
「大丈夫、ユウのダンスは素敵だよ、頑張ってたら、いつかは受かるよ」と気持ちを前に向かせてくれてきた。
今度は1ヶ月後、オーディションを控えているとのこと。今、25歳。実は彼は決めていた。1ヶ月後のオーディションに受からなかったら、もうダンスの道は諦めようと。それは、自分自身へのけじめでもあった。始めた頃から決めていたそうだ。25歳になって、オーディションに受からなかったら、もうダンスはやめようと。 
あれから、3ヶ月が経った。ユウ君はしばらく、来ていない。私達はずっと心配していた。
その2日後だった。ユウ君が久しぶりに店に来てくれた。なんと、最後と決めていたオーディションに受かったとのこと。
「おめでとう!」私達夫婦は満面の笑みで、ユウ君とハイタッチをした。ついに、やったんだね。本当におめでとう。
ユウ君は言っていました。彼女が最後まで諦めないでと言い続けてくれたから、頑張れたと。オーディション合格と、もう一つ、おめでたいことがあった。それは、ユウ君が彼女にプロポーズしたそうだ。素敵な出来事が2つも。本当に良かったね、ユウ君。 
「彼女のこと幸せにしてあげてね」と伝えた。
ユウ君は照れていたけれど、今までで、一番いい笑顔をしていた。

4.  日本茶が大好きで、
「ここで、お茶を飲むと何だか自分をリセット出来て、また頑張ろうっていう気になります。」
ユウスケさんは笑顔で言います。
ユウスケさんは奥さんが鬱病だ。
彼は本当に優しい。
どんな時でも大丈夫だよと言って彼女を安心させる。
病院で出される薬なんかより、よっぽど彼の方が良薬だ。
付き合っている時から、今の今まで、ずっと彼女を支えてきた。
最近、入籍したと報告をしてくれた。
彼女の病状には、日々、波がある。
普通に暮らせる日もあれば、もう消えてしまいたいと塞ぎ込む日もある。
ユウスケさんはそんな彼女に、いつも一番近くで寄り添ってきた人だった。
けれど、彼にも疲れはやってくる。
誰にも相談できない。
いつも、彼女の気持ちを汲み取って寄り添って分かち合う。けれど、そのあとは沼の底にいるみたいに疲れてしまうのだと言う。
ユウスケさんに私は一言だけお伝えした。
「疲れてしまったら、温かいお茶を飲みに来てください」
疲れた心を一杯のお茶で癒やしきる事は出来ないだろう。けれど、少しだけ、ホッと出来る空間と温かいお茶なら、私達にも提供することが出来る。
少しでもいいから、心の休まる時間を作って欲しいと願った。

5.  数ヶ月前から、70代であろうか、白髪のご老人が一人でお茶を飲みに来るようになった。
いつもホッとしたようなお顔で美味しそうにお茶を飲んで帰られる。
先日、テーブルへお茶をお持ちした際に少し、お話しをした。
すると、品の良いそのご老人はご自分から話してくださった。
「こちらのお茶が大好きなんです。
私は90代の母と二人暮らしで、母を自宅でみています。ボケてはいないんですが、口が達者な人なので、親子と言えどもカチンと来ることも多くありましてね。」とてもにこやかなお顔で話される。
お話しを聞いていくと、お父様の事も聞く事が出来た。小学校へ上がる前にご病気で他界されたとの事。それから、お母様は再婚もせず、仕事仕事で、息子さんを立派に育て上げられた。
だからこそ、施設などではなく、どんな事があっても、ご自分でご自宅でお母様を介護されたいのかもしれない。
お話しを聞いて、親子の愛情が垣間見れた。
一緒に話しを聞いていた、想一郎さんが、
「お母様のこと、とても大切に考えていらっしゃるんですね。」と言った。
「けれど、無理はなさらないでください。
時に、人にお手伝いをお願いする事もお母様を看ていく間には必要になってくるかもしれません。
介護は、看ている方が疲れ過ぎてしまったら、元も子もないからです。
どうか無理をなさらずにお体を大切になさってください」と、私はその白髪のご老人にお伝えをした。
そして、「また温かいお茶を飲みにいらしてください」ともお伝えをした。

6.  今日、見慣れないお嬢さんが一人でお茶を飲みに来た。
とても静かな雰囲気の彼女の印象は、とても寂しそうにみえた。
何だかその寂しさがとても気になった。
数日後、また彼女はお茶を飲みに来てくれた。
少しずつ会話をするようになった時、彼女から衝撃的な言葉を聞いた。
「私、親から愛されたことも抱きしめられたこともないんです。」
何ということだろうか。
彼女の体から出されている寂しさの正体は親からの愛情不足だったのだ。
聞けば彼女には、お父さんもお母さんもいるという。
けれど、一度も抱きしめられたことも、大切にされたこともないと言う。
彼女は言う。
「両親は子供が出来たから、産んだ。それだけなんだと思います。」
私を愛さないくせに、自分達の都合の良い時だけ、私を使う。
買い物に行かせたり、食事を作らせたり、掃除をさせたり。
私は小さい頃から、いつも、寂しかった。
親から愛情をもらえてないこともわかっていました。あるのは、この二人が私の親なのかという絶望感だけでした。
私達は一つ聞いてみた。
「そんな環境の中でもやってこられたのはどうして?」
よく話しを聞いてみると、ご近所にお子さんの出来ないご家庭があり、そこのおじさんとおばさんが小さい頃から、可愛がってくれたと答えてくれた。
「私、本当の親に抱きしめてもらったことは一度もないんですけど、おじさんとおばさんは私と手を繋いでくれたり、ギュっと抱きしめてくれたりしたんです。
私はその時、生まれて初めて人の温もりを知りました。とてもあたたかかった。
その時、生きていようって思ったんです。」
私達は思いました。
この娘さんに、心を救ってくれる人達がいて良かった。愛してくれる人がいてよかったと。
「うちのお店はこうやって、お話しをしたり、ゆっくりお茶を飲んでもらう場所です。
よかったらこれからも来てくださいね」とお伝えをした。
お嬢さんは、元気よく「はい。」と笑顔で返してくれた。私も想一郎さんも、このお嬢さんとお話しが出来てよかったと思った。

7.  その人はいつも毎週やってくる。
クラウンをやっていて、病院をボランティアで訪問しているカンタさんだ。
カンタさんには3つ違いのお兄さんがいた。
けれど、今はもういない。
7ヶ月前、癌のため、旅立った。
カンタさんはお兄さんの意志を継いで、クラウンになった。
生前、お兄さんは病院をまわり、クラウンのボランティアをやっていた。
お兄さんは小さい頃に小児がんを患っていた。
けれど、何とか寛解をした。
だけど、一年前、癌が再発した。
ずっと、何もなくきたのに。
このまま生きていけると思ったのに。
神様は酷だと思う。
何で頑張っている人を、
何でいい人を連れていってしまうのだろう。

お兄さんがクラウンになろうと思ったのには理由があった。
小さいとき、辛い治療をしていた病院内に
ある時、クラウンがやってきた。
パントマイムをやったり、マジックを披露してくれたり、楽器を演奏しながら、歌を歌ってくれたりした。
クラウンがやって来ると、入院をしている子たち誰もがみんな笑顔になった。
その時だけ、痛みを忘れることが出来たからだ。 
お兄さんは思ったそうだ。
自分がもし、死なずに大きくなれたとしたら、子供たちの為に、クラウンになって病院をまわりたい。
まわりの友達が亡くなっていく中で、お兄さんは生き延びた。生きて20代も迎えることができた。
そして、クラウンになったのだ。
お兄さんはクラウンになる時に、先輩のクラウンからこんな言葉を掛けられた。
「僕らがクラウンとして病棟に入ることはできる。だけど小児がんの経験がない僕らには、子どもたちの気持ちを理解しきれないところがある。
もちろん精いっぱい頑張るけど、越えられない高い垣根がある。でも君だったら病気の子どもたちの気持ちがわかるよね?
その君がクラウンになれば、小児がんの経験がこれ以上ない最高の武器になるんだよ。
どのクラウンだって太刀打ちできない武器になる」
この言葉をきっかけに、お兄さんはクラウンになることを決意されたそうです。
医療現場でのクラウンは患者たちに笑顔を届けるボランティアだ。
小児がんと闘う子たちとそれを支える家族の日々は想像を絶するものだ。
そんな厳しい医療の現場で、クラウンたちは小児がんと闘う子どもたちとその家族を励まし続けている。
とても素晴らしい活動だと思う。
小児病棟内では子どもたちは常に、痛がっていたり、辛がっていたりと、常に泣き声が響き渡る。
でもクラウンたちが入っていくと、そんな病棟の中で、あちこちから、笑い声が聞こえてくる。
それは、灰色の世界が、パッと明るくなって、
楽しい空間に変わっていくような感じだ。
とても素敵な世界だ。
小児病棟では、病と闘う子どもたちが一番辛いが、それを支える家族も辛い。
とても深刻な病状のお子さんの寝かされているお部屋に入った時、お母さんは表情もなくただ、呆然と座られていた。
そんな中で、クラウン達が優しい曲と共に優しく歌を歌いました。歌い終わって退室しようとした時、病室で座られていたお母さんは
「来てくれてありがとうございます」と涙を流されたそう。
目の前にあるのは、たしかに悲しい現実だ。
けれど、クラウンたちは、そんな方たちを励ますことが出来る。 
子どもたちだけではなく、その家族も励ますことが出来る。
クラウンの存在の大きさ、偉大さを感じる。
実際にお兄さんも小さな頃に小児がんにかかったからこそ、経験があったから、病と闘う子たちの気持ちが人一倍分かっていた。
そのことは、クラウンを続けていく上での強みだった。

そんな素晴らしい活動をしていたお兄さんだったが、病は待ってはくれなかった。
ずっと何もなく過ごせていたのに、一年前に再発をしてしまった。
できる限りの治療をした。
けれど、骨にまで転移してしまっていて、治療の甲斐無く、亡くなってしまったそうだ。
そんなカンタさんは、お兄さんの意志を継いで、クラウンになった。
いくら月日が流れても、お兄さんの事を考えると辛くなってしまう。
けれど、お兄さんがやりたかったこと、やれなかったことを自分はお兄さんの分までやり続けたいと今は思っているそうだ。
素晴らしいことだと思う。

私達は病と闘う子どもたちに笑顔を届けてくれる
クラウンという素敵な人たちのことをずっと覚えていたいと思う。
カンタさんが来てくれた時には、私達は心からの美味しいお茶をお出ししたいと思っている。
そして、また、子供たちやご家族の為に、頑張ってほしいと思っている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜茶房はただのお茶を飲む空間かもしれない。
けれど、ここには人それぞれの人生がある。
喜びも悲しみもある。
この空間は来てくれる人たちを優しく包み込む。
何よりここにはあたたかさがある。

みんな人それぞれに色んな人生があって、
色んなものを抱えて生きている。
話すことで、軽くなって、前を向いていけるのだとしたら、素敵なことだと思う。
私達はこれからも、たくさんの人の人生を聞いてみたい。
どの方も一生懸命に生きていて、どの人生も尊い。

これからも、温かいお茶と共に
沢山の人との出逢いを経験していきたいと思う。完




 

 


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