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野球部退部

今考えると、このときはまだ本当に野球が好きではなかったんでしょう、いやいや間違いです。小生はそういえば、野球を好きだと思ったことは、今まで生きてて一回もないのですから。
ここで、小生の育った環境について書いておきます。
小生は八幡東区の尾倉という町で育ちました。八幡製鉄と皿倉山とに挟まれた、八幡の中心です。
繁華街からは離れていたのですが、古くからのワルの町でした。
小生が通っていたO中学校は有名なワルな学校で、学区内の子供でも、隣の中学校に通わせるような、敬遠される学校でした。
小生が、入学した当時の三年生が、特にワルく、授業中に気に入らない先生に、腐った卵を投げつけたり、上履きの代わりに白のエナメルの靴を履いていたり、とその凄さは、群を抜いていました。
また、よく授業中に、よその中学校に殴りこみに行って、新聞沙汰になっていました。
もともと、目があっただけで、「ガンをつけた」と言って喧嘩になるような土地柄ですから、喧嘩が強いということが、格好いいんです。
小生、実はそんな三年生のワルたちに、可愛がられたんです。いじめられっ子だった小生も、もともと体が大きかったし、力も強かったですから、目立ってたんでしょうね。よく連れまわされました。でも彼らは、決して弱い者いじめはしなかったです。そんなこんなで小生も度胸がついたのか、喧嘩をするようになりました。
とはいっても、いつも勝っていたわけではありません。逆にかつ上げされたり、ボコボコになったりでしたけど。
でも間違いなく自分に自信が持てるようになりましたし、負けん気が強くなりましたね。

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