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ソフトボールクラブ入部

北九州という町は、野球の盛んなこと前にも書きましたが、小学生は、ソフトボールなんです。市に50から60チームぐらいのクラブチームが存在して、野球好きのただのオッサンが教えるのではなく、社会人野球経験者や、大学野球経験者など指導者のレベルも高かったです。
野球に自信を持ち始めた小生も、ソフトボールの道に進むことになります。
クラブチームというぐらいですから、実力によってAからDまでのチームに分かれていました。5年生ということもあり、小生はBチームに配属されました。
その練習はというと、遊びでやっていた野球とは、比べられないぐらい苦しいものでした。今では膝を痛めるという理由で禁止されている『ウサギ跳び』でグランド一周や個人ノック、ベースランニングなど野球の楽しさとはかけ離れたものでした。
学校の授業が終わったら、すぐ練習が始まり、19時ぐらいまでやっていました、もちろん土日の練習か試合で、朝から晩まで、幼心にどうしてここまでやらなくてはいけないのか?と、小生は野球が楽しいからやりたかったのに。
そんなだから、2か月もした頃でしたか、無断欠席するようになり、見つからないように帰宅したものです。
そして正式に退部をコーチのところへ申し入れに行った時のこと、そのコーチは小生の両親が共稼ぎで、小生が不良の仲間入りをするのではと、そんなことを懸念して入部を許可したというんです。
話はそれますが、両親が八百屋の仕事を終えて、家に帰ってくるのは、夜の8時ぐらい、その間、弟(3つ年下)と時間を潰すのに、夜な夜なうろうろしていたことは事実ですが、サラリーマンのお宅と違うのですから八百屋の息子を馬鹿にするな、ぐらいの気持ちでした。
小生にとっては大きなお世話、それよりもそんな風に見られていて情けをかけてもらってたなんて、何かいやらしい大人の世界を垣間見た気がしました。
その後にそのコーチが、小生のこと「根性無し」と呼んでいたそうです。
引きとめもしないで、教育の一端でやっているんだ、ぐらいの指導者、こんな奴らがいるから、純粋に野球をやりたい子が潰れていくんです。とはいっても、小生の場合は、練習についていけなかっただけですがね。
何はともあれ、小生一回目の「ケツ割れ」です。

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