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収集癖との共存?!

私は苦手なものが多いが、そのうちの一つに「片付け」がある。

詳しいことは、専門家のサイトをご覧いただくとして、

・モノを増やさない。

・買う時に本当に必要なのか、使うのか、よく考える。

・一つ買ったら、一つ捨てる。

等、様々なセオリーがあるのだが、これができていないので、恥ずかしながら家がとんでもないことになっている。

あまりモノがなくても生きていけるというミニマリストの方などは、まさにそのセオリーの体現であろう。

では私はミニマリストのようになれば、もしくはモデルルームのような部屋に住めば、満足するのだろうか?

長年悩んできたが、答えはNOだ。

確かにミニマリストの部屋やモデルルームはスッキリしていて、大変憧れる。ちょっとだけ住んでみたい気もする。

だが昔、本で読んだことがあるのだが、

「私はちょっと散らかっているくらいが落ち着く。」と確か書いていた人がいた。(うろ覚えで申し訳ない。)

クリス松村さんに至っては、

「CDは本当に気に入ったものなら、やっぱりCDで持っておかないと、次々機器が変わって、お気に入りの古い曲が聞けないから、私は持っています。」と仰っていた。

その時、「そう、それそれ!!」と思った記憶がある。

したがって、そういうスッキリした部屋はキライではないが、私にとって

「落ち着く部屋か、否か。」でいうと、

「ちょっと違うな」

とその時はおぼろげに思っていた。

何なら、“痛くない、怖くない”を前提とするなら、本とCDに囲まれて死ねるなら本望だと思っている。(それ以外に集めているものもあるが)

_____

その頃、仕事が大変私にとっては忙しく、帰ってバタンキューの状態にも関わらず、当時好きなファッション雑誌を前号もロクに読めていないのに、発売日だけはしっかり覚えていて、買って溜め込んでいた。

体もモノも溜め込むタイプ、そのものである。

「買っているだけで満足」

そんな日がずっと続いており、種類を変えて現在も続いている。

収集癖と一言にいっても、ネットで調べてみたら、色々なパターンがあるらしい。

その中にドンピシャに当てはまるものと、当てはまらないもの等、色々あったが、少なくとも、“その傾向”があるのは間違いない。

自分で働いてお金を稼ぐようになってから、子供の時に買えなかったものや、「こういうものに囲まれて暮らしたい!図書館みたいな家に住みたい!!」というものを集めていたら、いつしか部屋がいっぱいになってきた。

うすうす、「集めるの、好きかも?」とは思っていたが、私の人生にも色々あり、そこへ私なりのこだわりが加わり、加速して現在に至る。

自分に向き合うことを避けていたが、いい加減向き合わないといけないなと、ここ最近目の病が少しずつ良くなった頃から、片付けの手は動いていないが(←最もアカンやつ)考えるようになった。

現在、健康面で運動しないといけないのだが、なかなか進んでおらず(運動は大の苦手)、収集癖対策にも有効と書かれていたので、

「やっぱりそこか。」と長年の十字架を改めて重く感じた。

▽長年の十字架の内容はこちら

しかし、待てよ…私の性格からいうと、例え運動するようにしても、

「“形から入る”という性格が災いし、服のサイズアップも伴い、運動着、靴など揃えて買い出すのじゃないか?」

と思うと、長年付き合ってきた、“もう一人の自分”が

「確実にアンタ、別のものを買いだして、同じことを繰り返すよ。」

と囁いてきた。

「あー、自分のこの性格が面倒くさすぎる!!」

と我ながら思うが、自分のことなので、自分で何とかしなくてはいけない。

_____

似たような趣味の友人達(独身、親を介護中/夫婦のみ)それぞれと話すと、

「そうなんよ~。」

とため息混じりに話している。

彼女達もあるキャラクターが好きで、つい買い集めてしまう。

「やめなアカンなぁ~。」と言いながら、新しいグッズが出た話をしたり、うち一人は最近ご執心のロックバンドのグッズ等を買って、本人曰く、色んな意味でとんでもないことになってるらしいが、その話をしだすと、互いにキャッキャ言って楽しい時間があっという間に過ぎてしまう。

この友人と私に共通なのは、

“持っているだけで、見ているだけで、癒やされる”

のである。勿論しっかり実用品として使用しているものもあるが。

彼女達の良いところは、欲しいが買うことに対して抑制が効いたり、不要と思ったらあっさり手放すことができるから、なんだかんだ言って、私よりマシなのでは?と私は思っている。

_____

この2人と別の友人(高校生と中学生の子供あり)と、かな~りお久しぶりに電話で話した。色々積もる話もしながら、片付けの話もした。

その友人曰く、

「私、昔宝塚(歌劇)好きやったやんか。自分でも独身時代こんなに集めてたんかって驚いてさ。先日実家帰ったとき全部捨てたった!」

「え?あんなに好きやった宝塚やのに?もうええの?」

「うん、今はもういいと思って。ぬいぐるみも全部ごみ袋に入れて、翌日がゴミ収集じゃないから、お母さんに次の時にお願いしたいと頼んでてんけどさぁ。次実家行ったら、お母さんがさびしく思ったらしく、またきれいに部屋に並び直されててさ。」

「………。でも私、おばちゃん(彼女のお母さん)の気持ち分かるし、多分同じことやるわ。」

「そうかもしれへんな。私はらびっとのおばちゃん(私の母)に近くなったかも?」

ちなみにうちの母は、激しく、潔く捨てる事ができる。だんだん友人はうちの母寄りになってきたようだ。(友人はそこまで激しくないかもしれないが。)

そこで聞いたみたのだが、

「それって、やっぱり子供たちを育ててると、そっち中心になるから、興味が薄れたり、自分のモノも例えば普段のカバンも3つ位あったらいいって感じになった部分ってあるの?」

「そうやなぁ、それもあるなぁ。どうしても子供中心になっちゃうからね。」

前から子供“あり”と“なし”の壁は色んな意味で厚く感じていたが、そこにもそれを感じた。

ここで誤解のないように申し上げるが、子供の有無で人生の“幸せ、不幸せ”を言うつもりは毛頭ないし、私もそれは全く関係ないと思っている。

ただ、子育てを経験している人とそうでない人とで、興味の対象が変わってくることが、この問題に関係がある、もしくは影響があるのかどうかが、私は知りたかったのだ。

個人差はもちろんあるし、あくまでも“らびっとの周り”の話になるのだが、仕事や子育てに忙しいと、そんなことを考える暇や気持ちの余裕がないのかもしれないと、彼女の話を聞いて私は思った。

彼女はしばらく病で働かず、ずっと家にいたそうだが、最近だいぶん調子が良くなってきて、外に出たくてたまらないらしく、お試しで働きにいくことが決まったらしい。

そんな彼女が純粋にうらやましくて、

「ええなぁ。私も◯◯みたいに元気になって、外に出られたらええのになぁ。私は今、病気のデパート状態やし、目の調子のことがあるから、運転はともかく、歩いたりましてや働ける状態ではないから、そういう意味でうらやましいなぁ。」

と言ったら、

「私はらびっとがうらやましいけどなぁ。私は外に出たいタイプやから、そういう風にしてるけど、らびっとは家におるの好きでさ、家で好きなことしてるのが楽しいと思えるような趣味とか色々あるの、うらやましい。」

私は彼女がそんな風に思ってると思わなかったので、驚いた。

誰でも「隣の芝生は青い」とか「ないものねだり」をしてしまうものだが、インドアで楽しむことができる私をうらやましいと思っている友人がいることに、

「そのままの自分でいいんだよ。」

と言われた気がして、何故かとても嬉しかった。

_____

…だからといって、住む場所を圧迫するほどモノが増えているのはいただけないし、私だけ勝手に埋もれて死ぬならまだしも、夫の家でもあるので、彼を巻き込んではいけない。

どんなに私が大金持ちで、超豪邸、島一つ、地球自体買ったとしても、減らさない限り、永遠に増殖し、あっという間に家、土地等が飲み込まれるように増え続ける。

今の自分でいいけど、何を捨てて何を残すのか、まだまだ答えを出すのには時間を要しそうだ。

とりあえず(←これが良くない)、そのことを念頭に考えながら、明らかに不用品から手をつけるしかない。

少しずつ“何ヶ年計画”で進めていくしかないと思いながら、片付けを“のらりくらりとマイペース”に続けていくことにしており、現在進行中なのである。

いつ、片付くかどうかは、“私次第”なのかもしれない。

そして自分でさえも目標レベルに到達できるのかどうかは、“未知数”なのである。

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