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書くことはほぐすこと。私の美意識。

ただただあっという間の過ぎてしまえば町を出てしまえばあの時間が本当にあったのかさえ輪郭がぼやけていくようなそれでいて強烈な濃い時間だったからこそ消化できずにいる。

嬉しいことも楽しいことも沢山あったけどそれと同時にもやもやすること悲しい気持ちになったことも沢山あった。

SNSの更新が止まり、日記を書かなくなり、返信が遅くなり

長期的なことは何も考えられず気づいたら目の前のことに無我夢中で日々に振り落とされないように
目一杯吸収できるように
最早そうやって割り切っていた。上手くやれてしまった。

ただ、その代償はでかかった。
楽しみにしていた久しぶりの人と沢山再開する場で話しながらどこか心ここにあらずのようなそれでいて常に強烈な眠気に襲われていた。(単純にスケジュール詰め込み過ぎたことによる疲れもあると思うけど)
自分の言葉が自分の言葉じゃないような
自分の心の声に蓋をし続けていたら自分の声がきこえなくなってしまった。
すごく戸惑ったし誰にどうこのことを伝えたらいいのかも分からなかった。

そしてもう一つ自分の中での混乱。
それまでの環境とその場があまりに違うように感じてその違いに混乱した。
当たり前に"共につくる"が共通言語としてあってみんなが互いの話に耳を傾ける時間。肩書きなんてなくてあなたとわたしの時間。
ユートピア論争がなんか分かった気がした。
そんな自分が少しかなしかった。

清濁併せ吞むなんてことはまだまだ私にはできなくてもしかしたらしなくてもいいのかもしれないけれど
私は
自分の仕事にその人なりの誇りを持っている人が素敵だなと思うし
仕事に美意識がある、だから泥臭くあれる人が好き。
一緒に働く人と"共につくろう"とあろうとする人が好き。
言葉に自分の経験が伴った上で話に耳を傾けられる人
上手く話そうとするんじゃなくて自分の言葉で話そうとする人が好き。
(自分の言葉で上手く話せる人は言語化の達人だと思う。)

もういっこ、ある人から言われた言葉。
「他者がどうあるかも大事かもしれないけど
まずは自分が他者にどうあるかみたいなことに意識を向けるのも大事かもね」って。ほんとにそうだ。
在りたい自分の在り方。
どーやったら私はそういう人になれるかな。なれているところもあるのかな。自分のことは自分が一番分からないや。けど多分自分が一番分かる。
人と話したり色んなものを見たり触れたりそうやって外に目を向けて向けて浮かび上がってくる自分の在り方に焦点を当ててみる。

目の前のやらねばに取り組んで向き合うことももちろん凄く大切。
だけどそれだけだとどんどん視野が狭くなっちゃう気がする。
私のペースを掴んでおくこと。軸はぶらさないこと。だいじ。

何か特定の事象でもなく誰か特定の人物でもなくただ、私はそう感じた。
そして書きたかった。だから書いた。

世界はうつくしいと 長田 弘



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