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就活は人生の探究だと気付いた大3の梅雨明け。

最近はずっっと就活、もっといえば働くことについて考えている。
大学卒業が遠くの方から顔を覗かせたり、いろんな生き方をしている人を見てきたからこそ選択肢の多さに戸惑いじゃあ自分はどうする?ともんもんとしてきたり。そんなこんなで最近は自分の中で働くことに対する軸を探していた時期のように感じる。そして、ふと思った。
"就活ってただの仕事探しじゃなくて、自分の人生の探究"だなと。
どんなふうに働きたいか、どんな会社で働きたいか、どんな人と働きたいか、どんなことを社会で挑戦してみたいのかetc
これってつまりどんなふうに"生きたいか"なのかなって。

だから、自分の中でゆる就活と名付けて働くことの軸探し(人生の探究)をしてみた。
本を読んだり、マイナビの就活準準準備というイベントに参加してみたり(現在進行形)、働くことってなんですかって会う人に聞いてみたり、バイトからの気付きがあったり。

そして、なんとなーくぼんやり軸を見つけ初めている今の感覚を忘れないようにnoteに記録しておきます。

追記 あまりに長くなりそうなので3つの記事に分けることにしました笑

本からの気付き編
働くことの歴史からの気付き編
アルバイトからの気付き編

まずは本編。
図書館でふと目に入り手にとってみたこの本。
普段はめったに本に付箋を付けない私がいろいろ刺さりすぎてペタペタ付けまくった。

表紙がゆるくて可愛いけど内容は全然ゆるくない、

この本は「ほぼ日」の連載「おとなの小論文教室。」で、読者とともに山田ズーニーさんがいろいろな議論を交わした仕事論をまとめたコラム集です。

1つ補足を付けておくとこの本Amazonのレビューめっち悪かった笑
いい評価と悪い評価がはっきり分かれていることが特徴的だなと…。
思うに、根本で働くことが好きな人とかまだ働いたことがない学生には刺さる内容なのかな。(主観ですが)
もし気になった方はぜひ実際に手にとってみて自分はどちら側か考えてみて下さい:)

私は刺さった側なので引き続きまとめを。
例えばよくある好きなことを仕事にするべきか・得意なことを仕事にするべきかという選択。


「予想できる範囲の中でしか生きられない」ことの不自由。
「楽しく」といった段階で、「自分の思った『楽しい』という範囲に制限されてしまう。自分が目を背けたくなるところにこそ、自分自身を広げる何かがある。

好きなことをしていた頃は楽しかったですが、そこでは自分に都合のよい人にしか出会えていませんでした。仕事だからこそ、自分の都合を超えた出会いを与えてくれるし、枠を広げてくれているように感じます。

自分の思い通りにならない現実を丸ごと引き受けても、私はこのために自分の能力と時間をささげたいと思うこと、その先に自己実現ってあるのではないかなって思うんです。

「働きたくない」というあなたへより抜粋

文中で印象に残ったこれらの言葉から今の私は自分が得意なことなのかもなと答えが出た。
もし、好きなことが嫌いになるかもしれない可能性や好きなことの大変な面もまるっと引き受けられる覚悟があれば好きなことを仕事にするっていうのもありなのかもしれない。(今はまだない)
もう1つ、枠という単語が印象的で確かに人は自分が見たいもの・聞きたいことの枠の中でしか考えられない気がする。もしかしたら仕事って枠を広げてくれる・枠の外に連れていってくれるものなのかなと。
あと、以前「働くこと」と「稼ぐこと」は分けて考えてもいいのかもねといったような話を友人から聞いたことをふと思い出した。ふむふむ。

また、文中では"楽しく生きたい"という言葉に違和感を覚えるという話題が上がり議論が交わされています。

自分勝手と自由の意味を履き違えているのではと感じることがあるんです。
自由は本来責任とセットで得られるものです。

自分のことで考えると、31年間生きていた中で一番辛くて、楽じゃなかったときの出来事が、現在の「自分自身」の骨子のかたちを作っています。当時はもちろんもの凄く辛くて、今でもその影響で生き辛い性格になったと思っていますが、それでも「現在の自分」であって良かったと思っています。

少なくとも、社会から承認され、自分で自分を承認できることが「自由」の前提にあるような気がします。今でも私は「自己実現」も「夢」も「やりたいこと」も「好きなこと」も、よくわかりません。けれど、自分が「出来ること」にも「出来そうにないこと」にも、挑戦させてくれる今の職場は、辛くても刺激的で総合的には面白いです。私は、どんなにつらくても体力と精神力が続く限り、「働くこと」をやめるつもりはありません。「働きたくない」と言う、少し年下のひとたちに私が言えるのは「でも働かないのって、そんなに楽しいことじゃなかったよ?」ということです。

「働きたくない」というあなたへより抜粋

私自身なるべく楽しく生きたいという思いがあるからこの話題にはハッとさせられました。共感する部分もあったし、なるほどなと感じる部分もあった。
楽しく生きることは楽に生きることではないこの感覚は大切だなと。

最後に特定の話題ではないけど、印象に残った読者からのお便りのフレーズをまとめておきます。

決めたら、言葉にして、行動として、「出す」。周囲とぶつかってみる。失敗を引き受ける。

自律とは、周囲から求められている自分の役割を認識し、それと調整を図りながら、自分の新たな可能性や価値観を開発していくプロセス。
自分の価値の絶対化ではなく、自分の役割の開発と発揮(自分の立場を理解した上での主張)

自分の中にある自分がかわいい思い、自分が満たされたい、自分が必要とされたい、自分が愛されたい、自分に関心を持ってほしい、そういう思いを分かった上で、自分が人のためにできることは何かを考えていけたらいいなと思います。

「働きたくない」というあなたへより抜粋

1つめが、失敗を引き受けるという一文が印象的で、決めたのが自分ならいいところもだし悪いところ(失敗)も引き受けることは大事だなと感じました。あと、何を失敗と捉えるかという観点もあるように感じる。当時は失敗だと思ってもそれが糧になることもあるしあの時があったから今の自分があるみたいな。若い時の苦労は買ってもせよなんていうことわざもあるくらいだし、個人的には積極的な失敗(を重ねたであろう)大人はかっこいいなと思います。
ただ、自分のこころの健康を守ることも大事。
無理はぜずに最善を。(たまにはポテチコーラNetflixを)

2つめのは自立と自律の違いについての話題でほほ~うとなった。
変わらないものを抱きしめて変わることを恐れずにいきたいなあという最近私が感じていた考えと近しいものを感じた。

最後のは私がとってもとっても大事だと思うことだし、やっぱりそうだよねーと思った文章。
人は本来自己中心的考え方を持っている気がする。
例えばアルバイトをしていてありがとうと言われたことは忘れちゃうけどクレームはずっと覚えてたりするみたいな。
あとは、自分はいいけど、他の人がやっていたらイヤだと感じたり。
例えば急いでいるときに列に割り込んだりして、急いでるからしょうがないみたいな言い訳を自分の中でして、けど他のに人にされたらムッとするみたいな。

こういう時に自分にもそんなときあるからお互いさまだよねと思えたらきっと誰にとっても居心地が良くなるのだろうな。
よく聞く話で飲食店で働いたことがある人は気持ちが分かるからご飯を食べに行ったときに定員さんに丁寧に接するみたいな。
あと、実際に働いた経験がなかったとしても相手に対しての想像力があれば丁寧に接することができる気もする。

まあ、自分の中にある自己中心的な自分をまずは認めること。
誰かのためにとか自分はいいことをやっているんだという意識が強すぎるとともすれば押しつけになってたり、視野が狭くなったりする危険があると感じる。
そして、いいことをしてるんだ!と思うときはちょっと立ち止まってみて本当にそうなのかなと振り返ってみることがポイントなのかも。

なんだか取り留めもなくつらつら書きましたが気付けば3200字。わーお。

次の2部は働くの歴史からの気付き編を書くつもりです。なるはやで笑

ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
また、お会いしましょう:)



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