見出し画像

本心

わたしはいつも自分の
本心がわからない。
不思議なことに、子供の頃から
ずっとそうだった。

けらけらと笑っていたのに
突然熱を出して寝込む。
体がどうも動かないな
どうしてかなと思う時には
もう立ち上がる力も残っていない。

気付くのが遅いのは昔からだ。
人生において、わたしを好きになってくれた
貴重な愛おしい人たち
でも、その気持ちに気付くのは
自分を殴りたくなるほど後のことだ。

仕事が楽しい、やりがいがある。
そんなことを笑顔で話している時ほど
あやしいものだ。
何かを耐え、踏ん張り続けた足が
もう支えを失いつつある。
そんな時さえ、わたしは無駄に笑う。

だから、自分自身さえ
自分の本心がわからないのだ。
まだ頑張れるのか、そうではないのか。
怒っているのか、それとも傷ついているのか。
自由になりたいのか、大切なものを守りたいのか。

わからない。
わからないけど、涙は出る。
涙は理由を語らない。
わたしが知ろうとしなければ
本心はわからないままだ。

答えは何なのか。どうしたら辛くないのか。

解答はないように思うのだ。

答えなんてない。
どうしたって辛い。
ただその時、ひとりではない。
それが感じられることで
わたしはたぶん何とか生きのびてきた。

同時代。
同時代を生きる。
芝居をしていた時、大切にしていた言葉だ。

客商売なら、お客様に対しても
切ない気持ち、どうしてわかってくれないんだ
という思いも出てくる。
共に働いている人間に対しては
この仕事を愛して欲しいと願ってしまう。

例えばそれは、わがままで身勝手で
今風に言えば、ダサくて前時代的な
価値のない感情なのだと思う。

もっとクールにクレバーに。
水の上を走るように。

そんな風には、生きられない。
それがきっとわたしの本心だろう。

水を飲んであっぷあっぷ言っていても
それは本心から
選んだことなのだ。

傷つかない人生も
沈まない人生も望まない。

同時代を生きる人たちを
時に憎み、時に共鳴し、時に深く愛し
そうして七転八倒して
生きていくのだ。

大嫌いで、大好きな人たち。
嫌いも好きも、創ることに昇華させて
炎になって燃える。

一番愛した人が一番嫌いだ。
そんなあまのじゃくが
きっとわたしの本心だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?