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許すということ

許せないと思ったことは、人生でひとつだけだ。
何が許せなかったのかよく考える。

わたし以外の他者への
目線の高さ、驕り、冷酷さ。
そして圧倒的な無知。
それが許せなかったのだと思う。

今、同じような局面を迎えて
今度は許すことも出来る
ふとそんなことを思うのだ。
歳をとったのだろうか。

目線が高いのは、低い姿勢に耐えられる
精神力と体力がないからだ。
驕っているのは
愛されていないことを知っているからだ。
冷酷なのは、感情と理性のバランスが
ずっと前から崩壊しているからだ。

無知なのは
無知から抜け出そうとしなかったからだ。

許せるだろうか、わたしは。
許せると思う。
もう慣れてしまった。
そういう人間も何人か見てきた。
変えようとしても無駄なことも
どうすれば爆発しないのかも知っている。

でも。
それではあまりに、くだらない気がするのだ。
彼らを許す方が楽だ。
わたしは楽になる。
関わりを断てるからだ。

でもわたしは
楽になるために生きているのではない。

許さない、ことで
わたしは苦しいだろう。
許さない、ことで
彼らもやりづらいだろう。

でもそんなこともなければ
生命として同時代に生まれた意味がまるでない。

無駄なことを言っているのは、わかっている。
それでもわたしはやっぱり。
彼らを許さないことで
彼らと繋がったままであることを選ぶ。

同じ赤い血が流れる人間として。
さあ、やろうか。

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