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The 水城


概要

 福岡県には古代の遺跡がたくさんありますが、その中でも大宰府はとても魅力的な場所です。大宰府と聞くと、太宰府天満宮を思い浮かべる方も多いと思いますが、実は「宰府」と「宰府」は全く別物なんですよ。

 みなさんご存知の「太宰府」は、901年(昌泰4年)に菅原道真が左遷された地であり、905年(延喜5年)に道真が亡くなった後に建立された神社です。道真を祀る太宰府天満宮は、学問や文芸の神様として有名で、毎年多くの参拝者や受験生が訪れます。
 
 一方「大宰府」は、律令制時代に西海道諸国に対する内政の総管の府として、また対外交渉の拠点、あるいは軍事施設として設置された古代国家の出先機関です。完成時期は明確になっていないそうですが、663年(天智2年)には筑紫大宰府が設置されていたことが確認されています。
 
 この天智2年というのは、朝鮮半島の白村江で敗戦した年で、その翌年からは、唐・新羅連合軍の来攻に備えて、水城・大野城・基肄城などの建設が開始されました。この時期に大宰府も拡張されたと考えられています。

 この中でも以前から水城について興味があって、水城について調べてみました。水城は筑紫野市にある古代山城で、白村江敗戦後に築かれたとされています。水城はその名の通り水を利用した防御施設であり、周囲に堀や水路をめぐらせて敵の侵入を防いだそうです。水城からは多くの遺物が出土しており、当時の生活や文化を知る手がかりとなっています。
 
 水城は電車の車窓から一瞬だけ見えることもありますが(高速道路からは見えなかったような・・・)、実際に行ってみるとその規模や歴史の重みに圧倒されます。

 水城の特徴や歴史について、文献で調べたり、実際に調査した学芸員の方にインタビューしたりしました。その結果を書いたので、以下、水城に興味のある方は、ぜひ読んでみてください。そして機会があれば水城を訪れてみてください。

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