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野営葬之地―静浦口野逍遥

 十字路には去年の夏に行ったが、そこを過ぎるとネコに会った。付近に人家はいないので、捨てられたネコだろうと思った。
 その後今昔マップで口野界わいを見ると、不思議な記号があった。
 墓地である。
 ちなみに参照出来る地形図は明治28年、昭和7年、昭和51年、平成8年、平成27年のもので、なぜか昭和7年と51年の地図にだけ記されていて最新の地形図にはない。明治28年に記載されていない理由はおそらく墓地がなかったためだろう。最新の地形図に記載されていないのは航空写真を基本に編集されているためで、写真に写らなかったものは無視されている。
 そうかと思えば写真に写っていても実際に存在しない小道が掲載されているというのが最新の地形図の困った所である。
 不審に思ったのは、この墓地が人里からかなり離れた所にあることだった。そういえばネコに会った時その近くの小高い所に墓石が並んでいたことに気付いたが、その時は確認せずに通り過ぎた。そして今年の春先にそこを再び訪れることになった。するとやはり墓地があって、その近くには半年前に会ったネコがいた。周囲に人がいなかったので墓地の方を行くと墓地の傍らに「野営葬之地」という碑があった。最近建てられたものらしい。由来が知りたいがこの時裏面を見なかったのは失敗であった。墓地にはさらに兵士の墓があって、それが奇妙に細長い。見ると明治30年1月とあるから、この墓がその起源なのかもしれない。
 後で市史を参照したが、この由来は記載されてないようである。
 さてネコに会った場所より先へ進むと臨済宗宝泉寺に出る。そこにはこの辺ではあちらこちらにあるあの有名な碑があるが、この由来についてもよく判らない。なぜ日蓮宗の僧侶の碑が臨済宗の寺の門前にあるのか。
 ただ電柱の位置が少々残念な。

猫有。
墓地有。
はじめ鳥葬の里かと思った
鄙美有。
件の碑、有。
海有。


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