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子育てをしていると過去の自分と比べて、苦しくなってしまう症状に名前はあるのでしょうか。


私の母はほぼワンオペ育児だった。
浮気に明け暮れて家に寄り付かなかった父に頼れず、大変だったと思う。

それを生んだんだから当たり前だとは思わないし、
若かったのに、放棄せず育ててくれて感謝してる。
してる。してる。
けど、
放棄しない、捨てない。
そういう次元であることが悲しい。

今、普通に子育て出来ている状態で思うのは、
あれは『異常』だったということ。

私自身が親になり、
子供が小さかった頃にはそこまで感じなかったが、
子供が大きくなり、高校受験が近づいてきた。
私が『公立一本』と言われ続けていた為に、
なんとなく私立を勧めてあげられなかった。
息子も行きたい高校が公立だったので公立志望と
していた。

息子は勉強が嫌いだった。
どんなに言ってもやらなかった。
でも性格は反抗期はしっかりあったけど、
基本はおとなしく穏やかな性格だった。
ただ手強い『勉強嫌い』なだけだった。

勉強を全くやらない息子の偏差値で行ける公立となると、学校選びを間違えてはいけない。
いわゆる『素行の良くない子』も集まってくる
学校になりかねなかった。
性格には絶対合わない。断言できる。
生き抜ける強さもないし、
辞めてしまう危険性もあるし、
馴染める順応性も期待できない。

でも私はどんなに勉強を頑張っても
成績を伸ばしたって、絶対私立には入れて
もらえなかったのに、勉強を全くやらない
息子のために『お勉強がそこそこの平和を
愛する子達』が集まってくる私立を
探して入れてあげるべきなのか。
そんな甘い話がこの世にあるのだろうか?
どうしても全然甘くなかった自分の子供時代と
比べてしまって、苦しい。
苦しいのだ。

私の思春期時代が酷過ぎたことに、何十年も経って再び思い知ることになって、
私の頭は混乱した。高校選びをしていた時期は
間違いなく『病んでいた』
1人目の受験で、何もかも初めてだったのもある。
システムもわからなかったし、
息子の入れそうな、楽しく通えそうな高校を探してあちこち行った高校見学にもぐったりした。
息子は無気力なタイプで、何かをやりたい!とか
成し遂げたいみたいなことはほとんどなかった。

私は親と高校見学なんて行かなかった。
私立なんて見学さえさせてもらえなかった。
自転車通学出来る高校以外はありえなかった。
それに、
高校出たら、働く『確定』だった。

なんで?なんで?なんで?なんで?
って15歳だった頃の自分の置かれてた状況の、
選択肢のなさに腹が立って、
ムカついて、悲しくなって
病んでいた。

息子の受験が大変なんだと思っていたけど、
息子の受験で自分の過去を思い出して
あの頃がただ辛かったんだ。と、
全て落ち着いた頃に
気付いた。

夫に、どうしたらいい?と聞いたら
「自分も私立だったから、ダメとは言えない。
いいと思った高校が私立なら仕方ないんじゃないかな」と言われて、きっと普通の意見だなと
思った。
息子に合った学校を選んであげる。
ただそれだけなんだ。
難しいことじゃないんだ。

毒親は自分がいかに大変で、いかに可哀想なのかを子供に言い聞かせると読んだ本に書いてあった。
私は自分の子供の時の話はあまりしないように
している。
でもたまに、
「私が中学生の頃は、公立一本だった」
「お前は生ぬるい、考えが浅すぎる。
勉強しないでやり過ごそうして人生なめてる」と
責め立てて、壁に押し付けてダメ出ししたい時が
ある。

能力があっても発揮できる機会も与えられない人もいる。なのになぜやらない?
恵まれていることに気づいて、本気を出すべきだ。
気持ちが溢れてどうしようもない時がある。
抑えるのに必死だった。
こういう気持ちをなんと呼ぶのだろうか。
とにかく苦しいのだ。



でも、きっとそれは息子のためではなく、
中学生の頃の私の叫びであって、
八つ当たり以外の何物でもない。
わかってる。
お気楽な息子を案じているのも事実だけど、
自分の中の負の感情と闘っている。

でも私は負の連鎖を自分で終わりにしたい。
だから、感情的になって泣き喚いたりしない。
心に決めたのだ。

あの頃の私に会えたら、
『よく頑張ったね、やりたいことたくさん
我慢したね。でも、あなたは幸せになれるよ』と
抱き締めてあげたい。

結局、平和を愛する息子は家族会議で
私立を選んだ。
私もその方がいいと思った。
性格にぴったりの高校だったようで、
入学してから勉強も頑張った。
自らテスト勉強をしている姿を初めて見た。
友達も出来た。
あんなに何も考えてなかったように見えていたのに、高校生活最後のお弁当の日に
「3年間お弁当ありがとうございました」と言って、
私好みのハンカチをプレゼントしてくれた。
悩んだ分、ちゃんと育ってくれたんだなと
報われた気がして、嬉しかった。
自分の子供時代と対峙して苦しかったけど、
自分の子育てで少し救われたのかもしれない。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

















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