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淋しい子供達


<暗い場所>というものがある。どんなに煌々と明かりを灯しても、暗い場所。何となく澱んでいて、空気が悪い場所。
ここにもそんな場所があった。

石原はため息をついた。
―流石に連勤は疲れる。歳だな。
三交代勤務の、山科がインフルエンザで倒れた。昨今世間を賑わしている新型ウイルスで無くて良かったが、折しも年末、みな、家族と過ごしたい、とシフト休を出している為、空いているのが石原だった。
深夜の配送センターは、機械の稼働も少なく、ところどころに夜勤のスタッフの気配があるのみ。―仮眠に入るか。同僚に声をかけよう、と、そちらに足を向けた時だった。
―<…だして…>
幼い子供の声のように聞こえた。ばっと背後を振り返る。―空耳か?
特に異常は感じられない。
念の為、と通路を確認する。
人工的な明かりに満たされた空間に、うっすら埃の被ったダンボールが目に入った。あれは、と、苦笑したくなる。某企業とコラボレーションして、三年前の年末に発売した巨大ぬいぐるみの在庫である。身も蓋もない言い方をすれば持て余された『厄介物』だ。
石原は何気なく、そちらに歩を進めた。店舗からの返却時に使われたティッシュの空き箱に詰められたぬいぐるみ達。何となく、気の毒な連中だ、と思った。―早く日の目を見れるといいな。
軽い気持ちでダンボールをポンポン叩いた。と。
―<…だして、ここからだしてよぅ…>
耳で聞く、というより、脳に直接響くような、悲しげな声音だった。瞬間、ぞわりと全身に鳥肌が立ち、石原は「うわぁぁぁ」と叫びながら、深夜の配送センター内を走った。まだ動いている機械もあった為、少ない深夜勤の人間がざわつく。「石原さん?」「何事だ?」そうこうしている間に石原は足をもつれさせ、もんどりうって転んだ。尻もちをついた状態で「来ないでくれ!」と叫んでいる瞳には恐怖が浮かんでいるが、その視線の先には何も無い。

「というような事があったのが、去年の暮れでしてね」…センター長の佐原が汗を拭いながら、話している。「石原はいまも入院しております。うわ言のように『こっちに来ないでくれ』と言い続けているそうです。色々検査したそうなんですが、原因が特定出来ず…」
ここは某コンビニエンスストアの専用配送センター。陽の差し込む一角に、この場に不釣り合いな二人の女性の姿があった。
一人は肩までの黒髪ストレート。切りそろえられた前髪に、閉じた瞳。その手には白杖が握られている。なかなかと愛らしい顔立ちをしている。白のブルゾンにブルージーンズ、斜めがけのポシェット、茶色のショートブーツ。
もう一人は背中の真ん中位までの長さの茶色の髪を二本のおさげにしている。前髪はカチューシャであげられ、綺麗な額を出している。ややもすると幼くなりそうなものだが、紫縁の眼鏡の奥の眼光は鋭い。こちらは愛らしい、というよりも整った顔立ちをしている。黒のブルゾンに、黒のジーンズ、ショートブーツも黒で、きりりとした印象がある。

紫縁の眼鏡―渡来美和(わたらい みわ)が口を開いた。
「瞳子、何かある?」
愛らしく小首を傾げ、瞳子―晴来瞳子(せら とうこ)が問いに答える「感じるわ…深い悲しみを…それと…」左手を額に当てる。「何か…なんだろ、『いる』感じがする」
その言葉を聞いた佐原がサッと顔色をなくす。「や、やはり、そのぅ…いわゆる『霊的な』何か、という意味で…?」いい歳をした男がどもり気味に言うのは少々滑稽だったが、無理もない。
去年の暮れ、深夜勤の石原岳大が突如おかしくなった。人の口に戸は立てられない。噂は尾ひれをまとい、あっという間に広がり、退職者も出た。募集をかけても、人が来ない。
いまは本社からの人間で現場をどうにか回している状態。それを打開すべく、呼ばれたのが、この二人のうら若き女性だった。センター長の佐原も、その実、どういう人物達なのか、はっきりとは知らない。ただ『その』方面に詳しい知人から、「もしかしたら…彼女なら…」と紹介され、藁にもすがる思いで連絡したのだ。

瞳子はふわりとした笑みを浮かべた。「霊的な、と言われたら、そうかも知れません。でも『悪さ』をする子達じゃありません。ただ…『いる』感じがする方はここからでは、はっきり視えません。そのぬいぐるみ達のダンボールまで、ご案内して下さいますか?」
佐原の案内のもと、入り組んだ配送センター内を器用に歩く瞳子。美和は付かず離れずの距離を保ちつつ、周囲を抜かりなく観察している。ざわつく作業員達。無理もない、年末の事件、奇妙な噂、やってきたのは若い女の子…。

「ここです」
佐原は汗を拭いながら、言った。ハンカチが大分濡れている。無理もない。実は彼―佐原誠也は大のホラー嫌いなのだ。お化けの類など、信じる信じない以前に近付きたくない。が、目の前には元凶がある…そうして頼りにすべきは目の視えない女の子…差別するつもりは無いが不安である。それを見抜いたかのように瞳子が涼やかな声で言った。
「まぁ…、可愛い子達。くまに鳥に…うさぎですね」にこっと笑う。佐原はこの発言に度肝を抜かれた。「えぇ…確かにその通りですが…」積まれているダンボール。中身は当然、見えるはずがない。美和が瞳子をつついた。「すみません、佐原さん、この子、目が視えないでしょ? なんかね、『もの』の気配で当てちゃうんですよ、悪気はないんで許して下さいね」と、美和は佐原に小さく拝む仕草。まさか、こんな事があろうとは…佐原は気圧されていた。
瞳子は「あぁ、すみません」とぺこり。「つい言っちゃうんです、ごめんなさい」
いえいえ、と言いつつ、佐原は『本物』かも知れない…と思っていた。

改めてダンボールに向き合う瞳子。「佐原さん、この子達って、どうなるんですか?」誤魔化しても仕方ないので、ありのままを話した。美和がボソリと「コケたか…」と呟いた。「微妙だもんな」佐原は思わずうなづいた。「その通りです」
企業とコラボレーションした、このぬいぐるみ達、実はストレートに可愛い、というより、キモカワイイ、という路線なのだ。顔が怖い、と子供が泣いた、と店舗からクレームが入ったりもした、という。
「じゃあ、この子達、行き場がないんですね」瞳子はうーん、といった感じで言葉を紡ぐ「別にこの子達が『悪さ』をしてる訳じゃないんです。ただ、この子達を媒介にして寂しい子供の霊が寄ってきてるんですよ…それも相当な数…ひとりひとりは大した事ないんですが、数が多すぎるな…準備に少々時間を頂けますか?」
その言葉に佐原は目が回りそうだったが、耐えた。「それは…後日という事で?」
いえ、と、瞳子。「準備するものはごく簡単ですから…あとはぬいぐるみ達の行き場…残念ですけど、置いておいたら、またすぐ元の黙阿弥に戻ってしまいますから」と言って、隣の市にある、全国的にも有名な寺の名を言った。「あそこなら安全に保管してくれます。連絡はこちらからしますが、問題はこちらです。ぬいぐるみ達、お寺に渡しても大丈夫ですか?」

上層部に問い合せたところ、自由にして構わない、との事だったので(!)、その旨を佐原が伝えると、美和が「じゃあ、連絡してきます」とスマホ片手に外に行った。
瞳子は白杖を左手に持ち替え、右手をダンボールに当てていた。口元が何やら動いている。「…大丈夫、大丈夫だからね、お姉ちゃんがついてるからね」
傍から見ると異様にもみえる光景に、けれど、佐原は不思議と安堵を感じた。

1時間もしないうちに、準備は整った。榊に塩、日本酒の三点である。どれも配送センター内にあったのでラク(?)だった。
ポシェットを美和に預けた瞳子は、まず、日本酒を惜しげも無くドバドバとダンボールの周囲に撒いた。ムッとアルコール特有の匂いが広がる。その次に塩を、まるで土俵入りのように景気よく撒いた。そうして榊を持ち…佐原にはよくわからない、言葉を唱えだした(美和の耳打ちによると、祝詞の一種だそうだ)。普段着姿の可愛らしい女の子が唱える祝詞…だが、不思議と気分が晴れやかになるような気がした。
30分もしただろうか。
「これで大丈夫です。あとはぬいぐるみ達のお引越しです」と、瞳子が言った。ぬいぐるみ入りのダンボールを配送用トラックに積み、隣の市の寺まで運ぶ。美和の連絡により、住職が待機してくれている、との事。
瞳子の説明によると、子供達の霊は、とりあえず散らばった状態なので、またこの場所に戻ってきてしまわぬよう、間違っても人型やぬいぐるみをおかず、向こう三年間は小さな祭壇でいいので毎日朝と夜、水を供え、榊を供えてあげて下さいね、との事だった。寺へのトラックに同乗していく瞳子と美和に、深々と佐原は頭を下げた。
瞳子は子供のようにぶんぶんと大きく手を振っていた。

石原がうわ言を言わなくなった、と連絡が来たのは二日後の事だった。
突然の回復に医師は首を傾げているという。
何故、石原に子供達の霊が集まってしまったか…実は彼は幼い頃に弟を病で亡くしていた。その子が守護霊としてついていたのだが…何せ遊びたい盛り。同世代に興味津々で招いてしまったのだという。それを見た別の守護霊が、危ない!と判断した結果、不運にも石原はあの状態になってしまったそうだ。

ぬいぐるみ達は寺で供養されたと聞いた。

不思議な子達だった…。佐原は時折、瞳子の澄んだ声の祝詞とそれを見守る真剣な美和の眼差しを思い出した。

#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門

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