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労働者天国

コラム『あまのじゃく』1963/10/22 発行
文化新聞 No. 4598
 


自民党の出鱈目、社会党の屁理屈 

    主幹 吉 田 金 八 

 今度の総選挙の与野党の対決の題目は『自民党政策によってもたらされた現在の日本産業界の前古未曾有の繁栄が好ましいか、好ましくないか』というにあると思う。
 池田自民党は『この景気はもっと良くなり、所得倍増は予定の10年より1、2年早く達成出来、物価値上がりはあと1、2年で解決される』と、この繁栄はまだ序幕であり、まだもっと所得も増え安定すると自信のある態度を持している。
 これに対する野党社会党の難癖は『所得倍増は物価値上がり、国民所得の格差の拡大、犯罪の増大による不安等の三悪倍増に終わった』というのが、攻撃の主たる骨を成していると思う。 
 アクセサリー的には憲法問題とか、安保条約、核武装ポラリス潜水艦寄港問題等が応酬されるであろうが、これはあくまでも議論の華だと思って、国民大衆は身近には考えていない。
 戦後20年、アメリカへの追従外交だとか、オメカケ主義だとか悪口言われながらも、日本が今日の繁栄を築いたのは、向米一辺倒の民主主義陣営にくっついて来たお陰である。
 社会党、共産党の言うようにアメリカに毒づいて、偏屈を通して来たならば、成るほど失業者は無かったとしても強制労働の苦力同様のものであったり、今の 日本のように労働者が奉られている様な労働者天国は来なかったものと思う。
 今、日本の物価値上がりの要素は人件費の値上がりであって、値上がりの最大受益者は労働者である。
 これが以前のように人が余って仕事が奪い合いのような状況ならば、食堂でも安くドンブリが出来、家作も坪5万円も8万円もかけず出来るから二千円の家賃の家も建つ訳である。 
 ところが食堂では出前持ちも皿洗いも人がいない。 大工、左官は千五百円でも頼み出しが利かぬとあれば、中華そばは40円では合わない、家賃も5千円以上取らねばならぬと言う事になる。
 現在の高物価の原因はすでに労働者が足らぬ、人件費が高いということから出発しているのである。
 社会党は「所得の格差が増大した」と言うが、私が機屋を始めた大正11年頃は機屋の一人前の女工さんが年収百円何がし、大工、土方の日給は80銭、1円が最高だったが、東京市長、総理大臣の年俸は4万何千円とか聞いた。
 この式で行けば中学の初任給が一万二、三千円もする現在、総理大臣は年に5千万円、月四百万円に取っても率からすれば同じである。その総理大臣が二十五円の月給が四十万になるとかで話題になっている。
 市役所の課長の平均給が四万円何がし、市長はその約倍で八万5千円、下に厚く上に薄い、人間一匹の生活費はそんなに変わらない。職の高下でそんなに差異をつける必要はない、というのが社会主義、民主主義の理論であって正しいと思うが、現にそうした方向に社会は向いている。
 それも理論、理想に忠実なためでなく、要は人が足りないからの仕方なしである。
 マルクスは失業者を産業予備軍と呼び、資本主義は作為的に失業者を作って儲けるのだと言ったが、今の失業者は職安に行ってみれば判る通り、嫁に行くために家庭の都合で自ら失業した人が大部分である。
 資本主義の繁栄のために失業者が亡くなって、資本主義の方が儲かる、これからおたれを蒙ろうと思っている中小企業者が反対に苦しんでいるのは現状ではあるまいか。
 所得格差は社会党の言うように増大したどころか、飛んでもない反対に縮まって来たと言うべきである。
 私は自民党のデタラメには何度もヘドが出ることが多いが、国民大衆の関知しないことに屁理屈をこねまわし、愚にもつかぬことを言っている社会党にも子供のポンチ絵を見る思いがする。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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