見出し画像

植民地に慣れて

コラム『あまのじゃく』1963/9/22 発行
文化新聞  No. 4574


借り物でない…身近な候補者を !

    主幹 吉 田 金 八

 国会は解散必至の情勢になってきた。
 「社会党の出方如何」という言い訳がつけてあるが、自民党が絶対多数な国会だから、社会党の出方如何より自民党のご都合次第、決意如何というのが実態である。
 ただ、総選挙を有利に戦うための旗印、大義名分の整った状況で解散をしなければならないから、そのキッカケをうまく捉えた時機ということである。すでに解散を予定しての事前運動が第2区でも盛大に行われている。
 この区は故山口六郎次代議士欠員という特別の事情にあるから、その後釜を狙う新人が集中するのも無理からぬところで、伝えられるとこでは、小宮山、長又、藤巻の新人が虎視眈々としているという。
 二区の定員三名で票の分布からして、社会党を平岡氏の地盤は確としており、自民党の議席は余の二議席で、これを現役・松山と前記新人三氏の4名で争うとなれば、2人はどうでも落ちねばならぬ。傍観者的には誠に面白い戦いということになる。
 しかも、この自民党4候補のそれぞれが党内派閥のヒモがついており、誰々は河野派だ、誰々は大野派といった派閥の争いでもあり、それぞれが自分につながる親分から資金の面、人間の面の応援を受けて派手に戦う力闘ということになる。
 代議士は名の通り、地区民に代わって国政を議す役で、元来が輸入候補は便法であるべきが、埼玉第二区は人がない為に昔から便法が板について、そんなものかなぁと言ったムードに慣らされてしまった。
 これは地区民とすれば意気地のない話で、誠に恥ずべきである。
 これでは地域の規模と人口に応じて国政参画の機会を与えられた趣旨に沿っていないことになる。
 もちろん、国会議員は細かい地方の利害代表と言ったものではないことは承知しているが、やはり結局はそれに繋がるものであって、他地方で育ったものが地盤を借りて代議士となり、なってから、その土地の状況を勉強することよりも、その地方にもともと根を張って育った人の方が親味であることは言うまでもない。
 人がなければ借り物でも輸入でも仕方がないが、出来るならば地元から身近い者が出て、地元代表としてのこの地方の進運発展に代弁することが望ましい。
 果たしてこの地方には代議士に値する人物はいないのであろうか? 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?