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いつ世界が終わっても 羽生結弦×糸井重里対談の妙 

(はじめに)
1回が2時間ではないかと感じるほど思いを巡らすことが多く端折ってしまったところはいずれ書き足したい。一緒にお二人の対談を辿っていただけたら幸です。



羽生×糸井対談スタート

 お気楽な対談のはずだった。いやお気軽だからこそなのか、羽生さんは緊張するとは言いながらその優しさに甘えるスイッチが入ったかのように、何やら凡人には考え及ばない言葉を連ね始めた。知性と知性、たまにダジャレをぶち込む知る人ぞ知る羽生さんと、くだらないクイズをMOTHER2にしれっと潜ませる糸井さん、きっと理解をしてくれそうな相手、噛み砕いたり、新たな意識を与えてくれる旧知のようなインタビュアーとの出会いがどんどん言葉を引き出していく。羽生結弦の哲学的な言葉がそこにあった。

 この対談に至るまでの経緯の一つが、星野源さんのNHKの番組だ。「重里さん」呼びする羽生さんがいて、旧知かと思った人もいたはずくらいの人懐っこさで話されたら、糸井さんだってキュンキュンしちゃうかもだ。(実際にはスタッフさんがワーワーなったらしい)


 糸井さんは既に星野源さんと対談していて、ジョニー・ウィアーさんとも対談していて、15歳の羽生さんを身近で見ていたこともあったのに、なぜ今までお近づきに至らなかったのか不思議なくらいだ。羽生さんが望めば、糸井さんが望めば、何時だってお二人が出会えただろうに。でもお互いの立場を尊重しあったからこその今なのかもしれない。羽生さんが自由を手にした今だからこその今なのかもしれない。

 折しも並行してnottestellata2024が開催された。ほぼ日以上に毎日過ぎて、ファンにとってはとっても忙しい日々となった。Xではもう混ぜクチャで賑わっていた。

第一回 憧れに近づいていく作業
第二回 たどり着く前に考えてしまう
第三回 被災地からの声を背負って
第四回 『MOTHER2』で言うと
第五回 余白表現と得点
第六回 フィギュアスケートは難しい
第七回 限られた時間の中で
第八回 100年後に見てくれた人が
第九回 ややこしいものとキャッチャーなもの
第十回 いつ世界が終わっても
第十一回 普通が憧れ
第十二回 ゲームがあってよかった

 糸井さんがまず羽生さんに向けた言葉がこれだ。
この人間は、なにかしたがってるんだな
言われた羽生さんも思わず繰り返すその言葉。いっぱい称賛等の言葉は受けて来ただろうが初めて言われたのだろう。
 観察力洞察力に長けた言葉のプロが醸す言葉は単純なのに難しい。

 羽生さんは恵まれているとよく口にする。ジョニー・ウィアー選手やプルシェンコ選手など一流選手との今に続く交流は物怖じしない性格を発揮した少年時代に遡る。言葉が通じなくったって、スケート用語に身振り手振りとリスペクトの気持ちがあれば何とかなるさって、上手くなるためには強い気持ちの羽生少年がこの機会逃してなるかと交流を試みる。「サインください」から入って行くのだから何でも教えてあげたくなっちゃうだろう。
 まねてまねて追い越してフィギュアスケートを続けてきた、それは「憧れに近づいていく作業」だったと言う。高みにいた憧れを追い越すにはそれ以上の高みへ、行き付いたところがオリンピック2連覇で必然的だったとも言う。
 運には恵まれたかもしれないけれど、その運を手にし開花できるのは本人の努力以外の何ものでもないだろう。いい意味での貪欲さ、物怖じしない性格と謙虚さの相反するものが同居している羽生結弦だ。追い越された選手はフィギュアスケートの未来を羽生結弦に託したし一番のファンになったと記憶している。

 ここで羽生さんのミラーニューロンを知ることになる。天賦の才がまた一つ増えた。
「末っ子はミラーニューロンが強い」と対談も終盤に言い置いたことを探ってみると、真似っ子神経細胞の存在は比較的新しく知られた神経細胞の一つだそうだ。近くで年子の孫たちを見ていると下の彼女は姉がすることは何でもしたい。真似っ子神経細胞が強化されていく理由だ。その結果少しずつ早く修得していくことになる。異に羽生さんは生まれ持った脅威のミラーニューロンを発揮してきたのだ。

糸井さんの相槌というか、溜息というか、

「おお」
「はあーー」
「ああ、ああ」
とか、対談全回中に何回もあるけれど、その声がわかりすぎる。糸井さんでもそうなのかと少し安心したりするが、糸井さんはやっぱりプロで、咀嚼して返す合の手は簡潔にして意味深く、羽生さんの思考回路を刺激して、未知なる羽生結弦が現れた。糸井さんの合いの手の意味をもう一つ付け加えるとしたら、一息つける間合いが感じられて、羽生さんのストイックさを和らげているように感じた。一瞬理解不能と思われる言葉を糸井さんを相手に立て板に水のごとく話す羽生さんが終始楽しそうだ。

なにかやったらなんでもできる
 もう清々しい強さだ。この言い切る強い気質と天才肌を持つ羽生少年をまっすぐにそして広い視野に導いてこられたのは間違いなく、ご両親なのだ。
 強くて優しい羽生結弦がつくられる。ありきたりだけれど賢い人だなと思う。

 でも羽生少年は大人になるにつれ、思い通りにできない自分に気が付いていく。

うーん、ただ、やっぱり、いまは、
社会的なこととか、知識とか、
いろんなことを知ってしまっているので、
そこが子どものころとは違うかもしれませんね。
自分のことばとか行動に、
無駄な意味づけをするようになっているというか。
たとえば、「今日は雨だ」っていうときに、
ただ空から雨粒が落ちてくる、湿度が高い、暗い、
というくらいの意味しかないのに、
そこになんとなく自分が「憂鬱だ」とか、
「ちょっと体が重い」とか、
そういう意味づけを、大人になるとしてしまう。
それを、知性と呼ぶこともできるけど、
でも、本来はなくてもいい、
邪魔な概念なんだろうなとも思うんです。
だから、たとえば目標を立てたときも、
「雨だ」「体が重い」「ジャンプが跳べない」とか、
無駄な意味づけが生まれてしまいがちなんですよね。
それがわかっているから、
いまは子どものころと違って、
「無駄な意味を削ぎ落とす作業」を
ずっと続けているという感覚があります。

対談第2回より

 羽生さんは削ぎ落とせないものもあることを受け入れて来た。3.11以降彼が背負ったものの重さを見てきた。重過ぎて逃げ出したかっただろう時期を経て、応援の声を力に変えることが出来るようになっていく。そこに至る過程で気付きを与えるお母さまの言葉、「支えられ応援されることを当然のことと考えてはいけない」感謝の気付きで結果を残した伝説のニースのフリー。辛い出来事をも成長の糧として強くなれたと知っている羽生さんは、何度も言うけれど本当に強くって、優しい。

 羽生さんの孤独を鉛筆の芯の先に例える糸井さん。一本の鉛筆を形成するミクロン単位の木片の一片には其々の思いがあっての応援や支えなのだと羽生さんは分かっている。芯だけでは折れてしまうことを知りながらその細い先に常に在ることを選んで羽生結弦は立っている。
 頑張れの意味を受け入れ、噛みしめ、強くなってきた人だからこそのメッセージがある。

簡単には言えない言葉だとわかっています。
言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。
でも、やっぱり言わせてください。
僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、
その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。
頑張ってください
あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。
本当に、ありがとうございます。
僕も、頑張ります
2021年3月
羽生結弦

震災10年羽生さんコメント

共通する余白の重要性

なんか、きれいな水槽の中に、
きれいな金魚が泳いでるみたいな感じですかね。
金魚そのものはもう完成していて、
その金魚のまわりにどういうふうに
水草を植えていくか、みたいな。
その人が持ってる背景や価値観で
全体の色も変わっていく。
逆に、そういうことができる余白がないと、
なんか納得するだけで終わっちゃうっていうか、
あ、こうだよね、はい、ってなっちゃう。

対談5回

 全ての芸術の表現に共通する余白の重要性を、競技会時代からフィギュアスケートにも落とし込んで表現における余白を考えてきた。価値観に左右される余白部分を埋める観客やジャッジの想いがあることを知った上で、どんな価値観にも有無を言わせないジャンプと表現を、分かりやすい難しさを追求し見せることで得点を得て勝ってきた。プロになった今は、イメージを金魚の水槽に例えてしまうほどの語彙力と想像力を増し、強靭な身体をつくり、最強の羽生結弦の深化はつづく。

きつい客がいる限り...

 フィギュアスケートはバレエに近いと言う。バレエ界隈やダンス界隈からも、一目置かれファンにしてしまうほどの羽生さんなのに、自己への評価が厳しい。独学だという分野にも妥協を許さない。いちばんきつい客は羽生結弦自身だろう。そんなに厳しくなくったっていいじゃないかと思うけれど、それが羽生結弦だと言われたらもう見守るしかないのだ。
 競技会時代に納得いかなかった試合のインタビューで激怒心満載の早口で話していたことを思い出す。競う相手がいない高みにいる今他分野に挑もうとしている。スケートに落とし込んでフィギュアスケートの最先端を突っ走っている。このきつい客がいるかぎり羽生結弦のスケートは揺るがない。

 私にはキャッチーな作品でないものなんか一つもないのだけれど、羽生さんにとってキャッチーな作品て何だろう。競技会で残してきた数々の皆がよく知る作品のことを指しているのだろうか。
 新しいものに辛口な感想を寄せたスケート関係者の方もいた。難しいからと背を向けてしまったファンの人の話も聞いた。
 コアなファンはゲームとか、音楽とか、羽生結弦のスケートから知らなかったことがあっても学びを深め楽しむ。何歳になっても新しいものを知ったり、考えたりのきっかけは羽生結弦なのだ。だから全てがキャッチーなものになってくると伝えておこう。

いつ世界が終わっても

 今年初めの頃、対談相手は羽生さんではないかとおすすめされてきた糸井さんのポストがあった。こんなこと言う若い人はやっばりあの人しかいないだろうと思っていた。

【昨年、12月に、ずいぶん年齢差のある人と対談した。「ずいぶんとこの先が長くて、たのしみがいっぱいですね」というようなことを言ったら、ほとんど間を置かずに、「それは、まったくわからないですから」と返ってきた。】糸井重里・今日のダーリン1月2日

ほぼ日Xより

 人もモノもいつかは終わる、それは明日かもしれないと心に留め置く人生観死生観の上に、もうこれを残したから大丈夫と思える作品作りをしている。
 いつ世界が終わっても後悔しない生き方をしている。毎日をちゃんと生きている。くだらないことにもちゃんとする。羽生さんのくだらないにある愛情を知っている。周知されたくだらない日々をもう叩くものはいない。

なんでもできる人、羽生結弦は二階建て

 なにかやったらなんでもできる人だと思ってはいたけれど、はるかに想像を超えてきた。スケートは羽生結弦の上に乗っかっていると言う。羽生結弦の全てがスケートでできていると思っていたんだけれど、羽生結弦は二階建てだった。一階部分は揺るがない羽生結弦という人間で、もしかしたら羽生家の結弦さんの部分だろうか。
 この一階部分が丁寧に丁寧につくり上げられた。そこに乗っかった二階部分は貴方の思うがままにつくりなさいと地盤を固め基礎を打ち支え続けた方がいらした。
勉強がおろそかになるんだったらやめなさい
人間性が崩れるくらいだったらやめなさい
導かれて育った羽生結弦は何をやっても極めるのだろう。
この先高層階ビルになるくらいの可能性を密かに思う自分がいる。

 違う人生を選んだ羽生さんがパラレルワールドで、本人曰く地味に生きていたとしても、きっと輝きを放っている気がするのだ。どこまでも追いかけて見てみたいと糸井さんと共に思うのだ。

ふつうとへんと感動の在り処

 目指せ金メダルと言う少年と普通の自分でいたい小学生。葛藤は続く。ふつうに憧れながらへんを選ぶ羽生結弦がいる。
 ふつうを求める客がいて、ふつうじゃないものを求めている客もいる。ふつうだけじゃおもしろくないとへんを行こうとする羽生さん。キャッチーなものへのジレンマはそういうことか。
 スポーツの感動があるのは結果というものが付いてまわるからだと言う。普通にはそうなのかもしれない。
 結果が取れようがとれまいが競技会の羽生さんにこれほどのファンが付いた理由は感動の要素である結果と表現を両立していたからなんだ。
 今競技会が面白くないのは結果だけを求めすぎているからだ。
 羽生さんに届けばいいなと思うことがある。
 今の羽生さんの努力があまりにも戦いなのをファンは知っているから、プロフィギュアスケーター羽生結弦の演技を見るときその結果という感動があり、最上級の表現ヘの感動がある。今いるへんの領域は凄すぎる。順位だけの結果に勝るものがある。いかほどの努力の結果なのかに思いを致すがゆえの感動がある。そして羽生結弦の完成された芸術作品そのものに酔いしれるのだ。

MOTHER2と羽生さん

 羽生さんとゲームを切り離しては語れない。残念だけれどゲームには縁がなかった。今回はMOTHER2だ。そんな時NHKゲームゲノムなる番組で糸井さんがゲストだという。何なんだ、このタイミングは、図られている。
 発売30周年だそうだ。199X年、世界滅亡を阻止するため平凡な少年ネスがバットと野球帽を装備の素材として身に付けて同世代と力をあわせて戦う少年少女の大冒険。
 ある夜ネスの家の近くに隕石が落ちる。ハエのようなブンブーンが現れて10年後の未来が破壊されることへの助けを求める。なぜネス少年なのかはブンブーンの直感によるらしい。使命は世界に8か所あるお前の場所に行くこと。8つのおまえの場所を見つける旅。「おとのいし」はそのためのアイテム。
 ママは送り出す。ゲームをスタートする前にいくつかのクエスチョンに答える。例えばカッコいいと思うものは何か?に答えたものが後にネスの必殺技となる。羽生さんはなんと答えていたのだろう。
 途中少年ならではの弱さが描かれる。家が恋しくなることだ。病院へ行くとその寂しそうな表情からホームシックと診断される。その薬は家にある。対談中に出る場面だ。家に帰るとママが分かっているのと出迎えてくれる。好物はスタート前のクエスチョンで答えたものが用意される。羽生少年は餃子か卵かけご飯か?そしてまたママは優しく送り出す。
 冒険するにもホームがないとできない。大人だってそうだよねと糸井さんは言う。ゲーム内には記憶の断片、赤ん坊の姿とか、ママの声とか、愛の記憶がよぎる場面があって、親の愛があるゲームだという。
糸井さんの生い立ちを少し知った。MOTHER2には「ある幸せと無かった幸せ」という糸井さんの心情があるようだ。
 ざっと見せられただけで、泣きそうになった。また勝手に羽生家を当てはめてしまうし、ゲームの背景にある糸井さんを思うし、GIFTでもらった帰る場所のことも思った。
 でも笑うところは笑う。羽生さんが言うくだらねーの一つがこれだ。
「アルプスの少女〇〇ジ」
〇〇に入るのは
①はい ②いいえ
くだらねー。
 ただこのくだらなさは糸井重里の優しさだと思った。尖った武器は使わせない。戦った相手が命を落とすこともない。フッと息が抜ける間合いがMOTHER2にも仕掛けられているのだろう。
 羽生さんは人格が出来上がるのをネスが強くなっていく過程に例えていた。東和薬品社長との対談でもそうだったけれど、関連付けて盛り込む会話力に、羽生さんの人誑し(ひとたらし)と言おう。この人を好きにならない人などいるだろうか。
 私はゲームを知らないけれど、羽生さんにとってゲームがあってよかった。今もゲームが好きでよかった。

お気楽な対談の意味

 楽しかった。糸井さんと同じく学ぶことばかりだった。気楽なインタビューの意図は気楽な部分をすごく大切にしているほぼ日の信条によることだった。羽生さんは気楽な部分を受け止めてもらえることに気づいていたかもしれない。何をしゃべってもいいんだよ。普通のインタビュー記事では削られてしまいそうな話だったかもしれない。編集する方にとってはそれこそキャッチーな記事にするために悪戦苦闘しそうだから。羽生さんだって心得ているから切り取られて誤解を生むような話とか、哲学的な話とかしないのではないか。糸井重里と言う人に導かれたこそのインタビューだったと思う。
 糸井さんが少し心配したように「いま言っているようなことって。同じようなことを考えて、しゃべる相手っているんですか。」と尋ねてくれてよかった。羽生さんはMIKIKO先生の名をあげた。価値観を共にするMIKIKO氏との出会いがあってよかった。
 この対談は羽生結弦好き人間に留まらずいろんな方面の方に、このままの原稿で読んでもらいたい。教育的な面でも、現実と理想の狭間でもがいてる若い人にも、頼もしい若者に未来を託したいと思っている十分に歳を経てきた人にも、読んでもらいたい。
(フィギュアスケートの後輩さんたちは絶対読むべきだと思う。SharePracticeもそうだったけれど、直接じゃなくったって、上達へのヒントが詰まったものを折に触れ公開してくれる先輩だ。)


 羽生さんが世に出しているものは網羅していたつもりなのに、またしても斜め上を行く。羽生結弦の奥は深く、まだまだ深くなる予感しかない。

再びの対談を心よりお待ち申し上げます。

対談よりお借りしました


(ひとり言)

 最終回のどせいさんを胸に掲げ抱く羽生さんの写真が可愛い、と29歳の方を捕まえて言う。良い表情でホッとする。
羽生さんのことを各種SNSで発信されているゆづ★マミさんが「羽生さんがついに赤い蝶ネクタイしてるw仕事疲れの眼のせいか」とポストされていたけれど、はい私も老眼鏡かけ直しましたから。 
 羽生さんとぬいぐるみさんたちのツーショットはそれだけで癒やし系写真集が出来上がるほど。その笑顔と眼差しはあったかくて、やさしくて、ほっこりしてしまうのだ。かくして羽生さん家にはどせいさんが仲間入りすることになった。お留守番をしていたプーさんたちはどんな顔して迎えたことやら。
 しかしこのふり幅全開で〆るのか。そもそも羽生さんとぬいぐるみが似合いすぎるからだな。

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