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甥の結婚パート2(ある日のゴミ出し)とヤフコメそう思う数への疑問

こうやって記事はつくられるのかと思った。
朝のゴミ出しの日、ご近所様と顔を合わせた。

お近所「結婚しやったんやてな、新聞の結婚欄載ってたね」

私  「新聞見やはったんやね」

ご近所「何処に住んでるんや?」

 (多分、新居住所を知りたい?)

私  「うーん、仕事あるし」

 (視点をすり替える私)

私  「うーん、割と遠くで行ったり来たり」

ご近所「講師か?」

私  「うーん、先生の子は先生かもね」

ご近所「どこの子や?」

私  「うーん、わりと近く見たいよ、でも仕事があるしね」

少しづつ我が家の方へ距離を取って行く。
もう会話できないよねという距離で背を向けた。

お願いご近所様、ねほりんぱほりん聞かないで。
本人家族が喋ってない事、叔母さんは言えない。
でも知ってて言わないと、あいつはと、私の評価が落ちる。
友好的なご近所付き合いは保たねばならない。

そこで、また思ってしまったのだ。
我が推しの一件の報道を。
今私がご近所に喋った結婚情報であのクズプロさんはどれほど盛った記事をつくり上げるのだろうかと。
そうか、出身は地元だな、地元を探せとか。
友好的な記事を書いてくれるだろうか。
なぜ友好的な記事にならなかったんだろう。
もし推しと同じようなことが狭いコミュニティーの中で起こったら繊細な甥は耐えられないだろうな、病むだろうな、妻も病むだろうな、外へ出る気力も失せていくだろうな、生きるために方法を模索するだろうな、そしてどこか遠くへ行くか、清算するだろうなと叔母は思ったのだ。

だから推しは何ら赤の他人から責められるような筋合いはないし、悲しい決断をした意味をもっと理解してほしいと思った。

昨日から推しがGUCCIのブランドアンバサダーに就任したことで賑わっている。お祝い記事だからYahoo記事を見たのだが、どうしても納得いかないコメントにもの申したくて初コメントをしてしまった。

一個人の感想です。トップに居座っているコメントのこの共感したの数は本物なのでしょうか。離婚後の良くない印象を誰が、何が、植え付けたのかもう一度考えてみませんか。よくある離婚話がここまで引っ張られることに違和感しかありません。大きな嘘や少数意見にも少しの事実が盛り込まれると作り話であっても真実性を帯びて多くの人に届いてしまいます。もし本当にこの数が正当なのだとしたらその記事を造った者の罪は重いと思います。羽生氏の人気と影響力が大きすぎる裏返しの現象なのかもしれませんが。言論は自由ですが、トップにおいて欲しくないコメントだと感じています。 後になってしまいましたが、本来のこの記事、羽生氏のGUCCIアンバサダー就任においては双方のブランド力がより輝かれますよう、楽しみにしています。

数が本物か問うた元コメントに「コメのそう思う」が1時間で1,000も増えたそうです。現在1.8万を超えます。ファンを抜きにして、いくら羽生結弦といえども皆さんそこまでこのGUCCI記事に関心があるとは思えません。それがどういうことなのか、考えていただければ幸いです。


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