左膝粉砕骨折での闘病記…

去年の2月に仕事中に過って転倒、運悪くパレットの角に左膝の下辺りをぶつけ病院へ…あえて病院名は書かないが、これが1年半に及ぶ闘病記の始まりとなる…言わばヤブ医者に当たってしまった訳である。地元にMRIがある病院がここしか無かった為だが…画像では明らかに酷い状態なのに、安静にしていれば半年で治るとの診断。その日から大量の鎮痛剤を深夜1時の仕事前に一日分を一気飲み(真似はしないで下さい)何とか痛みに耐え朝の休憩までもたせる…あとは脚を引きづりながら歩き、終礼まで耐えるという時間が11月まで続いた…ここで等々歩行困難となり、いつもの日本鋼管福山病院へ…そこでの診断は即手術との事。何故今まで放っておいたのかと院長の優しくキツイお言葉…事の経緯を話し入院日を一週間待っていただいた、その間に会社に経緯を説明し労災に…総務からは何故2月の事を今頃言うのかと、お怒りの様子…労基からも何故今なのかと問い合わせが…方方へ説明し、入院予測の薬1ヶ月分を各病院へ周り当然その間も無理矢理仕事をこなし、入院手術へ…手術から3日ほど痛みで眠れず、ナースステーションにある鎮痛剤や注射を全て使い血液検査で肝臓の値が654という尋常でない数値を出し鎮痛剤の全て中止となり、残り四週を過ごす事に…リハビリは手術翌日から始まり脚を上げる訓練に、初日は1cmほどしか動かなかったが院長にリハビリを一日3回に増やしてくれと直談判…翌日からリハビリは3回に増え、さらに病室での自主トレを朝昼晩の3回に…その痛みは徐々に引くものの一回30回の足あげや屈折、左右への曲げ伸ばしなどハードなもの…でもボルトは入っているし何もしなければ固まってしまうという事、正月までに何とか退院したい思いから特訓に耐えリハビリ担当から曲がりすぎは困ると言わせる位に…車椅子から松葉杖にとステップアップ。装具は付けたまま松葉杖での退院となった…翌1月は仕事を休み自主トレ。仕事復帰は2月からとなった…が、痛みはそう簡単にとれるはずもなく薬の一気飲みは11月の抜釘まで続いた…そして11月となり手術予定日三日前となった仕事中に、またパレットに引っ掛かって転倒…左膝を怪我してしまう…当然手術は延期され、今度はその傷口を1ヶ月以内に治す(瘡蓋ではダメ)ミッションへ、まず出血はしていなかったが敢えて剥がし、液が出なくなるまでネットを貼り翌日また剥がしネットを貼るの繰り返しで何とか2週間で瘡蓋状態に…そこからは絶対に濡らさない戦術へ。そして診断二日前にようやく瘡蓋はなくなり手術OKに、4日後入院し今に至る…明日の夕方の院長回診で血抜きドレンを外し、ようやく自立OKてなる。抜糸の予定日は2週間後のクリスマス、翌日退院。でも骨にあなが空いた状態なので絶対走るなとの事…それから半年後の診断で問題なければ症状固定となり、闘病記は終わりとなる…予定、新たに転倒しなければ、の話しだが…

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