ラヤン・シェルキに待ち受けているのは"天国"か"地獄"か
今季のリーグアンの1つのトピックになっている、名門リヨンの不調。一昨年に就任した新オーナーによる粗雑な予算管理により、目標の上位進出に見合ったスカッドが形成できず、まさかの降格圏争いに巻き込まれていた。
昨季のどん底から立て直したローラン・ブラン、サポーターからの信頼が厚いOBファビオ・グロッソを解任した後に、アンダーチームからピエール・サージュを昇格させ、成績は僅かながら上向きの傾向にある。
チームの成績向上とは裏腹に、ある特定の選手に関しては、一貫して悲観的な憶測が寄せられている。
彼の名は、ラヤン・シェルキ。リヨンが7歳の頃から手塩にかけて育てている、将来のスター候補だ。
3月時点で未だ彼はリーグ戦で得点を挙げることができていないが、それよりも注目すべきはプレー時間だ。
下記の画像は、今シーズンのラヤン・シェルキの月別の平均プレイ時間を示したものだ。
9月から11月にかけて、プレイ時間が減少している原因は後述する。次に、年明け以降(2月まで)の公式戦におけるラヤン・シェルキのプレイ時間を画像で示す。
タイトル獲得にそこまで本腰を入れていないカップ戦を除いて、とりわけ2月以降は対戦相手が誰であろうと、ベンチスタートが既定路線となっている。
なぜ彼のプレー時間は減少しているのか。今回は彼にまつわる事情と照らし合わせながら、その原因を探っていく。
地元に愛され16歳でデビュー
ラヤン・シェルキこと、本名マティス・ラヤン・シェルキは2003年8月17日、イタリア出身の父とアルジェリア出身の母の間にリヨン3区で生まれた。
リヨン東部ピュジニャンで育った彼は、ある時兄の試合を応援に父親と共にPlaine des Jeux de Gerlandに赴き、時間潰しに地下駐車場でジャグリングをしていたところ、1人の男性から声を掛けられた。
男性の名はジェラール・ウリエ。リヨンの歴代監督の中で最高勝率を誇る人物であり、リヴァプール時代にはUEFAカップ等のタイトル獲得に導いた名将だ。
「今見たもので、君がOLに入る可能性は95%だ」。名将の後押しを受けて、わずか7歳でラヤン・シェルキはオランピック・ドゥ・リヨンに入団した。
ウリエの目に留まった才能は本物だった。シェルキはすぐにアカデミーで最高の選手の1人として認められ、2018年のUEFAユースリーグでは15歳33日での大会最年少ゴール記録を樹立した。
そして、2019年7月7日。新SDに就任した、レジェンドのジュニーニョ・ペルナンプカーノ主導の下で2022年6月までのプロ契約を勝ち取り、シウビーニョ監督(当時)からPSMに招待されることになった。
プロ契約締結後は、リザーブリームに入って4部でプレーしていたが、2019年10月19日のディジョン戦でリーグアンデビュー。
翌月には史上2番目の若さでCLデビューも果たし、さらにその翌月にはリヨンでの初スタメンを勝ち取る。2020年1月のカップ戦にてプロ初ゴールと共に、リヨンの史上最年少ゴール記録を塗り替えた。シーズン終了後には[Talent Scout]が発表した世界の注目若手トップ50にて、見事1位にランクインした。
強制的にプレーさせる方針転換をとった元会長
華やかしいデビューを飾ったシェルキだが、誰が監督であろうとスタメンの座は確約されていなかった(その理由も後述)。とりわけ恐怖政治を敷いたピーター・ボスでさえ、シェルキの起用は後半ビハインドの状況で流れを変えるジョーカーとして投入することが基本だった。
しかし、ピーター・ボスが解任されローラン・ブランを迎え入れたタイミングで、ジャン=ミシェル・オラス前会長は、シェルキと右サイドのポジション争いをしていた、テテとロマン・フェーヴルを2023年の冬の移籍市場で放出。
あえてライバルがいない環境の整備と共に、シェルキを使わざるを得ないシチュエーションを作り出した。類稀なる才能を育てて、多額の移籍金獲得を目論むビジネスの延長としてシェルキは先発の座を確立させた。
シェルキはジョーカーとして投入される際には、右サイドからドリブルを仕掛けるシーンが目立ったが、スタメンの座を与えられたローラン・ブラン体制では主にトップ下の位置に君臨。
シェルキの特徴として、両足が使える選手であることから、時折左右両サイドを任されることも少なくなかった。
昨季と今季の違いは何?
昨季は相変わらずのアウェーでの勝負弱さぶりは健在していたが、ヨーロッパ戦線まであと一歩の7位と、開幕当初の停滞感に比べればまずまずの成績を残すことができた。
しかしながら、今季開幕当初リヨンは残留争いに巻き込まれていた。PSMの成績も含めて調子を上げることができなかったローラン・ブランは解任された。
今季のリヨンの不調の原因に関しては以下の記事から⬇️
collectiveな面をよそに、あえてindividualな視点で今季のリヨンの不調の原因を挙げるのであれば、「ラヤン・シェルキを補完できる人材の欠如」である。
シェルキはジョーカー時代は主に右サイドで起用されていたものの、基本的にはトップ下でのプレーを好む傾向がある。
以下の画像は、今季のシェルキのヒートマップを表している。
シェルキは守備時こそサイドに張るものの(守備負担免除もしばしば)、攻撃時には左右構わずにインサイドに寄ってボールを受けたがる(とりわけゴール前は大好きな位置)。いわゆる「ザ・10番」の選手だ。
そもそも昨季のリヨンがシェルキに加えて、ラカゼットやカクレらと共に、中央での狭いスペース間でのテクニックを活かした攻撃を好んでいた。(リヨンのプレフォルマシオンはテクニックを重視した育成に一定数の評価・ベンゼマがブラジル人のリズムに適応できたのもこれが一因であるという仮説)
しかし、中央に人を密集させた状態で狭いスペース間のテクニックを活かした連携はリスクが高い。
一例として、中央に寄せた状態で手詰まりになると、サイドに張る選手のサポートが必然的になり、被カウンター時にサイドの選手が上がったスペースを何度も狙われるというのはとある国の代表チームが露呈している。
あらゆる局面において選手の関係性を絶え間ないものにするための、ペップ・グアルディオラの登場以降ヨーロッパに普及した「ポジショナルプレー」に昨季のリヨンは部分的に反している。本田圭佑やメスト・エジルらトップ下の選手たちが時代の波に適応できず、徐々にプレーエリアを失っていったのは周知の事実だ(ペップが「WGはサイドに張ってろ」・「ドリブルで抜くな」・「インテリオールはポケットを取れ」というチーム戦術を徹底しているのも有名)。
しかし、この中央密集型によってもたらさせるリスクを補完できる人材が昨季までのリヨンには存在していた。
守備目線では、カステロ・ルケバとマロ・ギュスト。
彼らは上背こそないものの、スピードには自信がある選手たちだ。中央密集型攻撃が不発に終わりボールを奪われると、CBのルケバは全体が間伸びしないようにハイラインを敷き、RBのギュストは爆速で戻って圧倒的な対人能力でボールを回収していた。
しかしご存知の通り、彼らはもういない。
攻撃面では、ブラッドリー・バルコラが支えていた。
彼が持つ、懐ドリブルによる1対1のテクニックや、長い足を活かして多少無理があるロングフィードでも追いついてしまう走力によって、リヨンの攻撃パターンは中央密集型以外の持ち味を誇っていた。
彼も夏にクラブを離れ、まさかのPSGに売られている。
右サイドのライバルを放出してシェルキを絶対軸にしなければならない状況になるも、当の本人はゴール前でのポジションを好み、シェルキを中心としたテクニック重視の中央密集型にシフト。それに伴うリスク回避においては、攻撃面はバルコラ・守備面はルケバとギュストがうまく補っていたが、非情にも今季はその3人がいないスカッドを渡されたローラン・ブランは結果を残せなかった。
外国人監督の冷遇と突きつけられた現実
ローラン・ブランの解任に伴って、クラブOBのファビオ・グロッソを招聘した9月。
チームにおいて、いわば「無秩序」を生み出すシェルキに対するグロッソの目は鋭かった。
限られた人材の中で「とにかく失点を減らそう」というチームビルドに踏み切ったグロッソは、早々にシェルキを確約されていたスタメンの座から下ろした。
両者の対立は瞬く間にメディアに広がり、シェルキはグロッソ体制下で出場機会を失った。これが、シェルキが9月から11月にかけてプレー時間が減少した理由にあたる。
結果的にグロッソはチームに不穏な空気を持ち込みすぎたことにより解任。ピエール・サージュがユースから昇格し、再びロッカールームに活気を与えると共に、シェルキにスタメンの定位置が戻ってきた。
ピエール・サージュ就任当初こそスタメンに復帰したシェルキだったが、冬のメルカートで即戦力を獲得できた1月以降、再びベンチを温め続けている。
1月以降チームとしては、右のWGとしてヌアマが完全に定位置を掴み、左も実力者のベンラフマを獲得成功。現在のリヨンの攻撃時の特徴としては、WGが大外に張り、インサイドにサポートする中盤・SBとうまく連携しながらゴールを目指していくスタイルだ。
マティッチやカクレら中盤とのバランスを考慮すると、このスタイル及びスカッドではシェルキの居場所は無いに等しい。
1月27日のレンヌ戦以降、シェルキはリーグ戦で先発出場を果たした試合は1試合もない。ましてや、レンヌ戦ではボールを触りたがるために中盤に降りてきたところを奪われ、結果的に失点を招いている。
このプレーである意味、首脳陣の踏ん切りがついたと言っても過言ではないだろう(この試合は前半で交代させられている)。人格者で周囲から慕われているピエール・サージュでさえ、「不純物」になり得るシェルキを特別扱いせず、最も配慮した形で厳しい現実を突きつけている。
自国開催オリンピック以降の行く末
幸いなことに、ティエリ・アンリ率いるU21フランス代表にシェルキは招集され続けている。さらに、同代表にはかつてのチームメイト、ルケバやバルコラがいる。
現体制では彼が最も望むトップ下でのスタメンの定位置を確約されているが、所属クラブで出場機会を与えられていないこと共に、今季はリーグ戦でゴールという結果が残せていないこともネックだ。
かつてはU21だけでなく、A代表も召集してよいのではという意見が寄せられるぐらい、シェルキは特別な選手だった。
その理由としては、彼の才能はもとより、現在のA代表でアントワーヌ・グリーズマンが担っている役割(攻守を繋ぐ役目)にシェルキが適任なのではないかという意見があるからだ。
個人的には今のシェルキがその役割を遂行できるとは思えないが、それでも彼を重要視するのは、フランス代表としてシェルキを守らなければならないという母性が働いているように思われる。
前述の通り、シェルキは母がアルジェリア出身であり、自身もアルジェリアの国籍を有している。彼のA代表召集を願う気持ちは、かつてフランス出身ながら祖国のルーツを選択して、他国の代表選手となった逸材を逃しているもどかしさによるものだ(リヤド・マフレズやセバスティアン・アレ)。
タレントが揃いに揃っているため、国内リーグの選手を召集することには消極的なディディエ・デシャンは、彼をどう評価するか。
来年のオリンピックまでは順当に召集される可能性はあるが、問題はその後だ。
クラブ単位でシェルキ自身がジョーカーの役割を完全に受け入れるか、自分が最大限に羽ばたける場所を求めるか。
彼は淘汰されゆく10番のポジションを好み、なおかつ両利きによるテクニックは相手どころか味方さえもボールの出所が予測不可能な部分がある。トレンドと逆行している彼を起用するリスクは、歴代のリヨンの監督は皆熟知している。
果たして今後彼に待ち受けるのは「天国か地獄か」。代表選択の行く末と共に、最大限の注目を払って彼を追っていきたい。
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