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徒然なる自己紹介

あまり普段は綴らない、問答のような自己紹介です。写真はこのあいだのおやつ。

自分のことHSS型HSPだと自覚しつつ、定義したところで何も起きないから、その手の話は少なめにしたい。ジェンダーも、事実婚も、恋愛観も。定義をどんなシーンでも正しく使うことは難しく、言い間違いをゼロにすることも難しい。世の議題に向き合いつつも、定義はあくまで定義と捉え、自由に生きることにしています。みんなにもできるだけ自由に生きてほしいなと勝手に思っています。

あるいは、誰かに意見を言われたとき、本当に思ったことを返してくれる人はとても親切だと思いませんか。人に意見を伝えるというのは、信頼関係の上で成り立つ行為だと捉えています。

何か言ったとき、返事が返ってくるということは愛されてる。強いこと言って返ってくるのであれば、言わずもがな。返ってこなくても愛されてないわけじゃないことも多いのが難しいけど。

人と向き合うことや、定義について考えることについて、普段の生活で人はそこまで完璧を求めなくてよいという考えのもと、私は普段あまり意見を言わなくてもよいかなと考えている所存です。

とはいえ、たまには表現しないと他所から見てブラックボックスになってしまいそうなので、今日は大事にしている考えを書いています。

懐疑的でいたい、観察したい

見えるものが全て、全部を見ることはできないから、観察・理解・懐疑の繰り返しを大事にしたいです。

ある先生が私に言うに「今見えるものが全てと思わなくてもいいんじゃない?」

その場では絶対そうだと思いつつ、次の瞬間には違う答えが生まれているかもしれない。一分後か、一時間後か、あるいは一年後、十年後か。わからないので、決めでしかない。今あるものと、できること、残り時間からの最適解をなるべく早く選ぶことを大事に思います。

不可逆的なものであれば多少は慎重に考えるけど、何度かやってもいい、PDCAを回したほうがいいことが世の中には多い印象。

もちろん、データがあってそれに基づいて進めるべきであれば、それがわかりやすいと思う。ただ、判断する理由になるほどのデータはない場合が多い。議論で「誰が決めか」以上に重要な判断材料がない場合は、手を動かして観測することを大事にしたいのです。

やってみた結果を観察し、常に疑いつつ次を模索したい。

16PersonalityのINTP型の説明がわかりやすい気がするので、興味がある人は読んでみると良いかもしれません。

答えがないときは人にまかせる

上記を踏まえて、人に任せることが大事に思ってます。作業内容の正解が一つの場合と、複数の場合で対応が違って、特定の正解がある場合はチェックが適切だと思います。そうでない場合、合理的な決め手がないため議論では決めるのは難しい。

自分に責任がある場合、自分しか知見がない場合、もちろん判断します。

ブラッシュアップを求められる場合、アイデア出しはするけど、私が決め手となりそうな意見を出しても、やるほうも面白くなく、責任の分散も機能しない。

このように、場合分けはいろいろあるけど、コメントしても良きようにはならんかなと思うことがわりとあり、その場合はコメントしません。

完全はあり得ないが、完全とする行持

完璧について懐疑的でありつつ、完璧を目指さなければならない矛盾を抱えるタイミングはあるし、そういうものだと思ってます。

愛と権利と尊敬

何かに目を向けることが愛だと思います。見てさわって知覚して、良いと思う。好きという自覚より、時間を使うかどうかかなと感じます。

手を動かす、つくる、向き合う、時間を費やす、力を使った人に、それについて語る権利があると思っています。やった人・作った人は本当にすごい、成功させたらさらにすごい。

人間の信用がそこにあり、社会は成り立ってるんだと思うと惚れ惚れします。崩れかかっても、先駆者の成果で未だに成り立つのであれば、それもそれですごい。経済を見る気持ちは、巨大な蟻の巣を見るかのようです。

そして、できる・やろうと思うこと、思い続けることは物凄く大変で、キープできる人がすごい。そういう人を尊敬し、自分もそうありたい(心が折れたり荒んだりしがち)。せっかく生まれたので、経済の一端を担ってみたい。そう思わない人ももちろんよい。それぞれ。

それぞれだからこそ、あまり強い言葉は求めていないし、逆に自分の強い言葉を受け入れてもらうことは、本当に愛だなあと思ってます。強い言葉を言うほうも大変なので、それも愛だなあと思います。愛を受け入れるかどうかも、それぞれだと思います。

こうして投げかけのほとんどは愛だと思いつつ、私は愛をそこまで良いものとは信じていなくて、ソフト・ハード問わずよい手仕事を信仰しており、憧憬や嫉妬などいろんな気持ちを持ってます。その気持ちを大事にしてます。

好きな人について

人のことを好きな理由が明確にあります。大変お世話になった、治安維持に協力的、思考回路が興味深い、つらいときに助けてくれた、など合理的で明快な理由が多い。明快でないとき、それは恋です。そして、前提が覆されるとき、価値もまた覆るはずなのです。

必要悪とデザイナーと良いもの

必要悪って大事だと思います。言いづらいこと、踏ん切りのつかないこと、無責任でいいからやってほしい。背中を押してほしい。度々そう思うから、必要そうな人や場があったらできるだけ引き受けるようにしてます。

また、ある教授が言うに「クライアントに楽しんでほしいならデザイナーが楽しそうでなくちゃ」そしてまた、ある先生は言うに「プロの演奏者はつらくても優雅に見える」

本当にそうだと思う。仕事するときどんな人が来て何を言ってほしいか、どう見えたら人が楽になるか、よく考える。見せることのプロと関わるのに、見栄えが良くなかったら嫌だろうなと。

政治的な婉曲コミュニケーションは得意でなく、合理を求める人と相性がよいので、今のところは、できるだけ鋭くいよう、楽しげにいようと思ってます。

見てくれる人に目を向けたい

信頼や愛がある人は、いつもしっかりこちらを見てくれている気がします。大事にしてくれる人とコミュニケーションをとって生きていきたい。意識や時間は有限なので、大事に使おうと思います。

優雅に過ごす時間も大事だからそんなに人と一緒にいないけど、こちらを見てくれてるあなたのことはきっと好きさ。自由なまま仲良く暮らそうぜ。すや〜

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