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私と古物(格好いいとはなんぞや)

私は古物が好きである。古物。それはロマン。地面だか木だか人間か作っただかわからなくなっているものが、私は好きだ。古いものって一体なんなのか。私は広い意味の古いものが好きだ。

地面に落ちていたり、人の手を渡り歩いたりして、然るべく傷を受けたり、風化したりして、最初より格好良く(主観である)なっているもの。それは人工物であっても、自然物であっても構わない。場合によっては、同一のものではなく習って作られ、引き継がれているものでも良い。あるいは、年をとっていく人間自体も同じ感覚で好きだと思っている。

思えばいつでもそうだった。

山に行って黒曜石を集めては分類し、炉にかけて反応を確かめた。写真は2014年くらいの私。

(黒曜石には、炉に入れて膨らむものと膨らみづらいものがある。おそらく純度みたいのがあって、不純物が多いほど膨らみやすいのだ。)

写真が、炉に入れて膨らませたもの。ガラスと同じような工程で削って、金箔を貼ったりもした。写真撮影は友人による。

学部の時の卒業制作は、鹿角を加工した作品だった。この時は、何をやっているんだとよく言われた。撮影は友人による。

大学院では、和菓子の研究もした。写真は金沢、吉はしの上生菓子。私の尊敬する菓子屋である。

この菓子の名前は「漁火(いさりび)」。 夜、漁夫が魚やイカを寄せるために焚く火のことである。ゼリー部分に包まれた餡が仄かに透けて見える。ただ、吉はしの菓子の美しさは、黒文字を通した先にあるのである。

美しい赤と黒に金箔が映える。夏の夜の海上に浮かぶ炎が目に浮かぶようだ。こんなに金箔を綺麗だなと思うことがあるだろうか…

最近では、蚤の市のイベントをやった。

正直、並べただけでうっとりだった。昭和の人工物と鹿角・黒曜石・縄文土器(住んでいる地域に昔、縄文人が住んでいたので、小学生の時に土器発掘がマイブームになった時期があった)などが、こんなにごたごたしている空間を作れるなんて… 遊びに来てくれた人たちにも、あんまり伝わってなかったかもとは思っているけど。。

ここで改めて思う。格好良いとは何ぞや。私の「古物」に対する愛は、そんなに賛同を得られないものなのか。違うと思う。世は平成だが、令和になるところである。平成の面白さも、もはや過去のものとなる。

(私の思う平成の面白さとは、こういうゲーセンとかのびかびかした感じだったりする。)この間、偶然に見つけてしまった「NO FUTURE TOKYOも、ぜひ見てほしい。ニューヨークですぐに売れてしまった写真集らしい。

3年前くらいに行った、蔵前の某古物商に久しぶりに伺った。移転改装したそこは、お洒落で洗練された空間になっていた。ちょっと喪失感を憶えた。3年前、よくわからない石ころがいっぱい置いてあって値札がそれぞれついていて、「面白い拾い物があったら買い取るよ」って店主さんが言ってくれた、あの面白空間に救われた気持ちになったのを思い出した。理解してくれる人は少なくても、あんなテンションを作っていけたら、幸せなんだろうなと思い直した。

美しく洗練されたものがメジャーになってきてしまった今、背景にいい感じの写真を入れて、いい感じの手書き文字を真ん中に置いたお洒落バナーなんて、もう自分で作る必要のないものなのではないか。AIに任せよう。

余談だが、最近ジモティーにはまっている。秩序のない空間で、古道具をあれやこれやと眺めるのがとても面白い。変なもの、見合っていない価格、飾りすぎていない文章や解像度の荒い写真に、気を遣いすぎていない人の熱を感じる。

自分の思う、格好いいとはなんぞやを形にするには、どうしたらいいのかな。古道具屋でもやろうかな。ああ古物 あぁあぁ古物 あぁ古物 そんな夜です。

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