転がるボタンを縫いつけるということ。

2021.7.4


・6月のあたまに事件が起こった。取り出した夏服のボタンが次々と取れてしまったのだ。

着るのを楽しみに去年買った少しオーバーサイズのシャツ、ゆるい部屋着にちょうどいいとおばあちゃんからもらった花柄のズボン、外勤や来局用に着るために買った袖広り丸襟のお姫様のような白トップス、それらが肌に触れて、心地よくなったと舞い上がりそうになった瞬間、ぽろっと忘れ物を落としてしまったかのように、ボタンが服たちから離れて、静かにコロコロと地面を転がっていく。

こんな出来事が立て続けに起こったので、結構参った、第一わたしはそんなに裁縫が得意ではない、むしろいまだに小学校の家庭科の授業で習ったボタン縫いのページのビジュアルをあたまに再生し直しながら、いつもボタン縫いをしているほどだ、裁縫も、趣味として始めればきっと楽しいのかもしれないけれど、今はまだ優先度が低いまま。

せっかく着ようとしていた夏服たちは、たったひとつボタンが取れてしまっただけで、もう簡単に着ることができなくなった、そしてこれは、あまり考えずに服を着るわたしにとっては、人に聞こえない程度で舌打ちをしてしまうくらい、ちょっと、イラッとした。

文句を言ってもしょうがないので、机の引き出しから雑誌のおまけとホテルでもらった小さなソーイングセット二つを取り出す、これはそれぞれ用意されている糸の色が違う、雑誌のおまけの方はポップで明るい有彩色たちが、ホテルの方はビジネスでも使えそうな無彩色たちが揃っている。この二つは結構気に入っている。でも両方とも基本的に糸がとても細いのだ、ましてや使うのは手先が不器用なわたし、そこでボタンを縫うときは異なる二色の糸を重ねて縫うようにしている、たいていの服に合う淡いピンクと白の糸に今回もお世話になる。

休日、ベランダから流れる川と車の音を聞きながら、黙々と縫う、始めると楽しくなるから面倒な性格だなと自分で思いながら、黙々と縫う、ひとつ出来上がったら、次の服、たったひとつのボタンを、黙々と縫う、そしてなんとなく、本棚にある池辺葵先生の「繕い裁つ人」で、主人公の祖母が駆け落ちして出て行った娘さんのためにウェディングドレスを縫っているシーンを思い出す、ひと針ひと針思いを込めて縫ったそのドレスは、漫画なのにため息が出るほど美しい、あぁ、服から力をもらうっていうけど実際は、服を作った人のエネルギーをもらっているのだなと、今書きながら思った。

そして自分のこの状況にふと疑問が湧いてくる、果たしてわたしはなんのために縫っているのだろう、この服たちだって、インターネットを漁ればすぐに出てくるかもしれないのに、ボタンひとつ取れた瞬間「もうやだ、新しいの買おう」と脱いでそのままゴミ箱に捨てることだってできるかもしれないのに、なんのために、お店に行けばもっと綺麗にもっと頑丈に縫い付けてくれるかもしれないのに、なんのために、わざわざ得意でないのにひとりここでこの服にボタンを縫っているのだろう。

3着、なんとかボタンを縫いつける、慣れないことをして肩はだいぶ硬ってしまったが、それでも元通りに縫えたことがとても嬉しい、試しに羽織って鏡の前に立つ、なんの違和感がないことを確かめる、そして簡単に落ちないかどうかも。

あれから1ヶ月近く経ったが、幸い縫い付けたボタンは皆ピンクと白の糸と一緒になって留まってくれている、自転車に乗って強い風に当たっても全然平気、そして通勤しながら転がっていったボタンたちのことを思う。

小さなボタンたちはわたしに、この服からボタンが取れてしまっても、それでも着ようと思うのあなた、と、問いかけているのかもしれない、たぶんボタンにとって服から取れて落ちてしまう行為は、持ち主にその服の価値を問う、自分のボタン人生をかけた一大決心をした上で、きっと服から地面へジャンプしているのかもしれない。

クローゼットを開けて、ある半袖のシャツを手に取った時、ふとそのボタンがピンクと白の糸で縫い付けられているのがみえる、これは去年縫ったものだ、確か取れる直前、その服を捨てようかどうしようかと迷っていた頃にボタンが取れてしまったのだ、取れた瞬間、転がっていくボタンを追いかけて捕まえて、「縫わなきゃ」とため息をついたことを思い出す、あの瞬間、この服の価値は決まったのだ。

そして今もそれらはわたしのそばにいてくれる、ピンクと白の糸に守られながら。

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