冬の残り

2022.1.30

 鴨川を歩いていると、遠くの山に雪が積もっているのがよくみえる、今日は日差しは暖かいのに、分厚い雲と、一緒に吹いてくる風がまだ冬の残りを再認識させる、せっかく日向に当たってクレープを頬張っていたのに、いつの間にか影になって、その味も冷たくなって頼りないものになってしまいそうになる、立春はもうあと5日なのに、景色はまだ春の予感を出してはくれない。
 今年はよく雪の降る年だと思う、去年は冬が暖かすぎて、冬生まれのわたしには退屈すぎた、今年は目が冷めて毛布と布団に包まれていない顔がひんやりしていると、大抵ベランダの外は雪が舞っていた、毎朝みる全国のニュースで我が地名が読み上げられ、その積雪量はこの1月の間で2回も更新された、「京都の冬ってこんな都市部でも雪が降ると思いませんでした」、久しぶりに雪の積もった日、他府県からやってきた営業の女の子にわたしは笑顔でこたえた、「これからもっと冷えます」、そしてその通りになった。
 家にあるのは足元を温める小さなヒーター、1台だけ。ワンルームのこの家には足元を温めるくらいがちょうどいい。あとはお湯を沸かして、あたたかいほうじ茶や緑茶を飲めばいい、余計に冷える日は生姜をたっぷり使って、中華スープにすればいい。服はヒートテックの上にニットを羽織ればそれでいい、少し首元が冷える時は、やわらかいタオルでマフラーのように巻けばいい。エアコンはあるけど使わない、皮膚や喉が乾燥するのと、そもそもエアコンの中で作った温かい風は苦手だ。
 29歳になって1ヶ月がたつ、去年の同じ頃は本当に日常の一つ一つに心が落ち着かない日々だった、楽しみにしていた28歳だったのに、目の前の出来事ばかりに囚われて、嘆いてばかりだった、そんなあの頃のわたしが、いまのわたしをみたら、どう思うのだろう、抱えていた悲しみも、少しは半減するのだろうか、いや、悲しみにより浸っていたからこそ、いまある充実を噛み締めることができているのかもしれない、悲しみの影からきちんと距離を取ることができるようになって、初めて大人になったと言えるのかもしれない。
 そういえばきょう、母方の祖母が90歳になった、30年前のきょう、孫のわたしが生まれて祖母は還暦を迎えたことになる、もうすぐ母もその歳に近くなる、こうして歴史は繰り返されていく、できればずっと続いていけばいいのだけれど。

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