諦める行為も決して悲しいことではない

2021.5.21

・今朝は久しぶりに聴いた京都市からの警報で目が覚めた、小さく鳴らした軽やかな鉄琴をわざと音割れさせたような音色になって耳に飛び込んでくる、一瞬で夢の奥底から現実に呼び戻された、寝ぼけ眼で画面を見れば、家から離れた山の近くの地域が大雨による土砂災害避難警報地域になったとのことだった、よかった近所じゃないのかと思ってまた眠りにつこうとしたところ、また警報音がなり始める、さすが警報を知らせるだけあって、音が本当に大きい、しかも今は会社から支給された業務用スマホもある、私物のスマホと同じ種類なので、両方がほぼ同じタイミングでガンガン鳴らす、会社には申し訳ないけれど、少し眠りたかったので業務用スマホの電源を切った、ふと気づけばベランダから雨音がしっかりと聴こえた。

・繁忙期から抜け出したくて待ち遠しかった5月のはずなのに、3度目の緊急事態宣言のおかげであっという間に下旬になってしまった、予定していた諸々があっという間に吹き飛んでいってしまった、けどそれらに対してもう心が騒つくことも少なくなってきた気がする、どんな状況になっても、人間は考え方を変化させることで、この世界で生き残ってきた生き物なのだと最近気づいた、「セブンルール」の番組に登場したアイドルの女の子が、芸能界に生き残るために考えた結果、幼い頃から親しんだアウトドアに熱を注ぎ、それを動画で公開し始める姿を見た、素敵な笑顔で次の目標を語る彼女の横顔から、諦める行為もは決して悲しいことではないのだと教えられた気がした、

でもSNSをひらけば「五輪反対」と声を上げる人たちがいる、個人的な意見としてわたしはこんな世の中だからこそ、スポーツをみたい、過酷な状況でも直向きに努力してきた人たちが報われる瞬間を、直接でなくていいから、見てみたい、個人が個室で疑心暗鬼な状態になっているからこそ、世の中みんなを勇気づけられるものが必要だと思う、だってスポーツする人って、本当に毎日毎日頑張る人たちだから、運営するための課題は山積みかもしれないけれど、それでもやって欲しいなと思う。

とはいえいまの世の中じゃ、空気中に一触即発の地雷が混ざり始めたような気がして、一言でも発せばいよいよ爆発しそうな予感がして、なんとなく、こわい、からここだけに留めておく、読んだ人だけ知ってて。

・田村正和さんが亡くなられたことを、朝メールで来る新聞の速報で知った、これはほんとうに悲しいけど、正直メールをみたときは来るべき日が来たのだなと思った、BSプレミアムとHuluで流れている「刑事コロンボ」を一生懸命みてて、それを踏まえて改めて古畑任三郎を楽しもうと思っていた矢先のことだった、でももっと悲しかったのは、田村さんの死を悲しむyahooの記事が、夕方の星野源さんと新垣結衣さんの結婚ニュースで一気にかき消されてしまったこと、確かに田村さんはもうここ数年はめったにテレビで見かけることはなかったから、もうお茶の間の身近な存在ではなかったかもしれないけれど、それでも日本の優れた俳優さんがひとり、さよならしたことがあっさりと消えてしまうなんて、人の死なんてそんなものなのだろうか、でもここまで書いて、そういえば職場の知り合いにもご不幸があったことを思い出した、その時はその話をして寂しさを噛み締めあったのだけれど、あれから一ヶ月経ってその話がまた話題になることはもうない、わたしもここに書くまですっかり忘れていたところだった、人の死なんてそんなものなのだろうか。

とはいえ、かっこいいと思える男の人に会うチャンスが永遠に失われたのは、ただただ残念で仕方ないと諦めるしかない。

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