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<あなたへの証し> ~第2の書 『新潟への道、新潟での歩み(2006年10月~2011年3月)』~ <第1章『東京に帰れない』(2)>

 僕がこのホテルの部屋で出会ったモノ。それは『今まで見たこともない自分』です。 

 部屋に入り、ふと見た鏡。そして、その鏡に映る自分の顔。真っ黒で、憔悴した老人の顔がそこに映っていました。「なんだこれは!?」驚愕した僕は、知人に頼んで、聖会を主催した教会の牧師と連絡をとってもらい、牧師のカウンセリングを受けられるように手配してもらいました。 

 なぜ僕はそんな顔をしていたのか?

 今だから言えることですが、それは『罪』のせいでした。実は、僕は洗礼を受けて、クリスチャンですと公言しているにも関わらず、ずっと『罪』を犯していたのです。洗礼を受ける前から犯していた『罪』を、洗礼を受けた後も犯し続けていたのです。『罪』を『罪』と認めず、自分を正当化し続けていたのです。

 しかし、この時は『罪』の認識を少し持ち始めていたころでした。クリスチャンなのに苦しい。真理を知った喜びも少しの間のことで、平安も束の間不安の中にいる。「もしかして、僕は『罪』を犯しているのか?」認めたくはないけれど、そう思い始めていたころでした。

 だから聖会を主催していた教会の牧師も避けていたのです。

(了)

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